尾張藩領は知多郡師崎村の浜辺にその奇妙な屍骸が流れ着いたのは、嘉永二(一八四九)年、葉月朔日のことだった。
発見したのは、師崎の漁師たちである。
いったい、師崎の海は霧が濃い。殊に夏と冬の盛りは夜半から明け方にかけて、鼻を摘ままれても分らぬほどの濃い海霧が辺り一面に立ち込め、夜漁すら諦めざるを得ないほどだった。
その朝、普段通り湊に向かっていた漁師たちは、靄の立ち込める浜辺のなかほどに見慣れぬ小舟を見つけた。
沖合を流れる潮流の関係か、この師崎には日頃から多くの物が打ち上げられる。塵芥は元より、打ち棄てられた船やその残骸、時には青黒く膨れた土左衛門など、何物かを見掛けぬ日の方が珍しかった。
それは、三人も乗れば満席になるような小さい手漕ぎ舟だった。全体は黒く朽ち、富士壺のこびり付いた船腹はすっかり緑に変色していた。
漁師たちの目を引いたのは、そこに夥しい数の海鳥が群がっているからだった。ぎゃあぎゃあと啼き声を上げて無数の鴎が羽ばたく様は、一寸異様だった。
鳥どもを追い払いながら何事かと歩み寄った漁師たちは、忽ち素っ頓狂な声を上げて皆が飛び退いた。
潮水の溜まった舟底には裸の人間が──否、凄まじい腐臭を放つよく分からない人型の何かが横たわっていた。
恐る恐る立ち戻った漁師たちの目を先ず引いたのは、その顔面だった。
惨憺たるものである。斧や鉈の類いを幾度も叩きつけられたのか、肉は疎か骨ごと打ち砕かれ、最早下顎の一部しか視認することが出来ない。熟れた柘榴のような肉塊には蠅と舟虫が集り、白い蛆虫すら其処彼処で蠢いていた。
息を呑む漁師たちはそこで漸く、この死骸の奇妙な点に気が付いた。
髪と脚である。
顔面の惨状から上に目線を動かした漁師たちは、思わず顔を見合わせた。蓬のように乱れ伸びたその毛髪は、根元からその先端に至るまで、どういう訳か目にも鮮やかな朱色をしていた。
頸から下も酷い有様だった。長いこと水に浸かったせいで身体中の肉が溶け、所々では骨すら覗いていた。鴎に啄まれたか、さもなくば今も辺りを蠢く舟虫に齧られたのだろう。
胸に膨らみの無い所を見ると男のようだが、確証は無かった。死骸には、腰から下が無いのである。繊維状に解れた肉と長く白い皮膚が馬乗袴のように広がるだけで、骨の類いすら見当たらない。そしてそれは、恰も大きな鰭のようだった。
赤い毛髪に腰から下の大きな鰭──漁師たちの一人が、誰にともなく人魚と呟いた。
奇妙な死骸が流れ着いた事実は、直ぐに当地の代官、鹿野志摩守師景の耳にまで届けられた。
古来より、人魚の出現はこの国で瑞兆とされていた。
貞応元(一二二二)年、博多津に巨大な人魚が打ち上げられた際は直ぐに冷泉中納言が勅使として遣わされ、同行した占術博士の安部大富が占った結果まさに国家長久の証であると出たため、その屍骸は当地にて手厚く葬られたという史実がある。その甲斐あってか、前年に後鳥羽上皇が引き起こした承久の乱以降、確かに文永十一(一二七四)年の蒙古襲来に至るまで、五十年の長きに亘って表立った戦乱は起こっていない。
故事に通暁し、代々尾張藩の船奉行も務める鹿野志摩守は手ずから名古屋城の藩本庁まで馬を走らせ、早急な検分の必要性を説いた。曰く、二年前には信州で大きな地揺らぎがあり大勢の民が死んだ。不作凶作は続き、米価や物価は高騰の一途を辿るばかりである。今こそ龍宮の遣いたる人魚を大いに祀り上げ、人心を安んじるべきではありませぬか──云々。
藩上層部は至極尤もと膝を打ち、直ぐさま東海道を東へ、江戸の幕府に向けて使者を送り出した。
しかし、報せを受けた幕閣一同は皆渋い顔をした。
老中首座、水野忠邦による奢侈取締りと緊縮財政政策、所謂「天保の改革」が六年前に失敗して以来、民草の心は幕府から離れる一方だった。更に、今年に入ってからは開国交易を求める異国船が次々と近海に姿を現わしており、それらの対処にも頭を悩ませている今、人魚なぞに構っている暇があるかという訳である。
しかし、尾張といえば徳川御三家でも筆頭格。決して蔑ろには出来ない存在だった。
真面に取り合う訳もないが、だからと云って無下にも出来ない。果たして何と回答すべきか──額を突き合わせる老中たちに、我こそはと名乗りを上げる者がいた。書物奉行の入舟清光である。
書物奉行とは、江戸城内紅葉山に設けられた将軍家のための御文庫を管轄する御役目である。若年寄の支配を受け、主な業務としては図書の管理収集、整理に調査などが挙げられた。
凡そ畑違いの役柄に思えたが、清光はどういう訳か無比の熱意で以て上役連中を掻き口説いた。一方、面倒事に辟易していた幕閣も、奉行職にある者の派遣ならば尾張に対しても面目が立つと考え、渡りに船とばかりにその申し出をすんなりと受け容れた。
果たして清光は若年寄、本庄安芸守道貫の名代として東海道を西へ、宿場ごとに馬を乗り継ぎ、三日後には名古屋に到着した。そして尾張第十四代藩主、徳川慶恕への謁見を果たし公儀としての丁重なる謝意を示したのち、早速知多半島の南端、師崎村へ向かったのであった。
*
峠を越えると一面の海だった。
白砂青松の絶景を思い描いていた入舟清光は、眼前の光景に暫し言葉を失った。
暗い──そのひと言に尽きる。
低く垂れこめた曇天のせいでそう見えるのか、海は緑青のような色だった。どろりと重たい波は白い泡を噛みながら、数多の海藻を浜辺に吐き出している。甲高い海鳥の声も相まって、何とも陰々滅々とした雰囲気だった。
「陰気な海だのう」
思わず声に出してそう呟いた。荷物を運ばせていた人足が、なんでしょうと駆け寄って来る。
「いやなに、鬱々とした海だと思うてな。これでは海遊びをしようと云う気も起らぬ」
「へへ、お武家さまが海遊びだなんてそんな。なにぶん三河の海は奥まっておりますもんで」
清光の素性を知らぬ若い人足は陽気に笑ってみせた。
「案ずるな、泳ぎは得手としている。しかし」
清光は下り坂の道中で足を休め、笠の縁に手を掛けた。
「尾州の海ともなればもっと穏やかなものかと思うていたが、なかなかどうして波も高いではないか」
「へえ、この辺りは何かと潮の流れも激しく、向こうに見えます伊良湖の度合なぞは船の墓場と呼ばれとるそうで。あたしも詳しくは知りませんがね」
「素晴らしい。大いに結構である」
「は?」
「荒れた海の方が人魚は出やすいのだ。お前は八百比丘尼の伝説を知らぬか」
「ヤオ……ああ、人魚の肉を食べた尼さんの話でしたか」
左様と清光は大きく頷いた。
「あの類いの話は津々浦々に残されておるが、よく知られた物と云えば丹後の久美浜に若狭の小浜、能登の珠洲岬と佐渡ヶ島よ。どれも冬の怒濤で知られた地だ。他にも越中の放生淵四方浦には、大時化のなか三丈五尺もある巨大な人魚が現われたという記録がある。顔は若い女のそれだが、長い黒髪の合間からは金色の角が二本生え、それはそれは恐ろしい形相をしていたそうだ。尾州の穏やかな海ではどうかと思うていたが、これならば期待も出来よう。亡骸は代官の屋敷に安置されておるのだったな。そら、急ぐぞ!」
清光は殆ど駆けるようにして再び足を動かした。滔々とした弁舌に目を剥いていた人足は、慌ててその後を追った。
初めて清光が名古屋城を訪れた際、多くの者が戸惑いを隠せなかった。正式な幕府の使者でありながら、この書物奉行は一人の従者も連れていなかったのである。土埃に塗れた旅装の懐中から若年寄の親書が取り出されなければ、間違いなく門前払いを喰らっていたことだろう。驚き呆れながらも訳を問うた家老たちに対し、清光はひと言、独りの方が速く動けますのでと答えただけだった。
清光の背丈は六尺(約一八〇センチ)近く、肉の盛り上がった腕は丸太のようだった。肌の色濃く強い口髭を生やしたその様は、凡そ書物の管理収集に従事する者のそれとは思えない。成る程、この見目形ならば長い西上の道中でも滅多なことはなかっただろう。
そもそも何故書物奉行なのか。何事にも向き不向きという物がある。御文庫の管理を任される奉行と聞けば、屋内での職務に長けた印象が強い。それが従者の独りも連れず名古屋まで赴き、人魚の亡骸を検めると云うのだ。家老たちは当然選任の訳を問うたが、清光は此処でもひと言、某れがし碩学なればと胸を張るだけだった。
藩上層部の疑念は深まるばかりだった。若しやこの男は尾張の内情を探りに来た幕府の間者なのではないか。そのため家老たちは水先案内人と称して腕利きの、即ち怪しい素振りあらば即座に斬り棄てることの出来る御用人を同行させようとしたが、清光は慇懃に固辞した。
面倒事は御免だった。清光の真意はただ一つ、書物でしか知らぬ人魚の亡骸を、直に確かめたいだけなのだ。
蝉時雨の響く木立を抜け、白い陽が照り付ける浜道を幾許か進むと、行く手に広壮な門が現われた。人魚の亡骸が運び込まれたという鹿野の代官屋敷である。清光は額の汗を拭い、通用の門を敲いて来訪を告げた。
既に話は通っているため、下にも置かない歓待ぶりだった。一先ず足を洗い、汗と土埃で汚れた旅装を解く。新しい一式に着替えた上で通されたのは、十畳ばかりある広い座敷だった。
開け放たれた障子からは、箒で掃くような潮騒が遠く響いていた。日の光をいっぱいに浴びた庭先では、薄桃色の芙蓉が緩やかな風に揺れている。
間を措かず、当主の鹿野志摩守師景が姿を現わした。
「やあやあ入舟殿。遠路遥々ようこそ御出で下さった」
色濃く日に焼けた小柄な武家である。歳のほどは不惑ばかりで清光とそう変わらぬ筈だが、悠然として滑らかなその一挙手一投足は、流石尾州六十二万石の海上警固を一手に担う船奉行の威厳を感じさせた。
師景は颯爽とした足取りで清光の向かいに腰を下ろした。従五位下に叙せられる師景は書物奉行よりも当然上位にある訳だが、若年寄の名代で訪れている清光を慮っての対応と思われた。
清光は畳に拳を突き、深々と頭を垂れた。
「丁寧なお出迎え痛み入りまする。某れがし、若年寄本庄安芸守様の名代として参上仕った書物奉行入舟清光にござりまする。此度の一件には上様も殊更関心を寄せておいでとのこと。何卒当地にては志摩守様のお力添えを賜りたく、伏してお願いを申し上げまする」
「はは、堅苦しい挨拶は抜きよ。無論協力は惜しまぬとも。何せ人魚の出現は、国家長久の瑞兆ですからな」
「如何にも左様で。聞けば、尾張様に早急な検分の必要性を説かれたのは志摩守様とのこと。まことに畏れ入ったる御慧眼にて」
「なに、鹿野は元より海に住まう一族なれば、自ずとそれらの伝承にも詳しゅうなりまして。しかし──」
温和な笑みを浮かべていた師景の眉が、ふと曇った。
「どうもよく分からない事態となりましてな。実はあの直ぐ後で、同じ羽豆の浜にはもう一体、流れ着いた物があるのです」
「また人魚ですか」
「それがよく分からぬ。今度の物には、きちんと脚があったのだ」
「ほう、脚がある?」
「訝しむのは尤も。脚があるなら単なる土左衛門ではとお思いであろう。だが、二体目もまた先の一体と同じく顔は潰されて、その髪は根元から先に至るまで全くの朱色をしておった。これだけ似通っていては単なる土左衛門と棄て置くことも出来ぬ」
「確かに、前回との相似は気に掛かりますな。それに、脚があるゆえ人魚に非ずと決めつけるのは早計やも知れませぬ。海人という可能性もありましょう」
「カイジン?」