女子刑務所に実在する美容室をモデルにした小説『塀の中の美容室』(桜井美奈・著)がドラマ化。人気俳優の奈緒さんが主演を務め、毎週金曜日WOWOWにて放送中です。
ドラマ化を記念して、原作の桜井美奈氏が執筆したショートショートを特別公開。奈緒さん演じる葉留が刑務所を出所したあとに、美容室で繰り広げられる心温まるエピソードをお楽しみ下さい。
【あらすじ】
激務が続く番組制作会社で働く芦原志穂。彼女は今日も恋人にデートのキャンセルを告げるメールを打っていた。最近では「次はいつ会えそう」というメールすら届かない。そんな中、志穂は上司からの命令で、刑務所の中の美容室を取材することになるのだが──。彼女たちは、なぜそこに髪を切りにいくのか。刑務所の中で営業を行う美容室を舞台にした、感動の連作短編集。
『あおぞら美容室』のドアが開く。予約表で名前を見ていた刑務官の菅井は、すぐさま声をかけた。
「お久しぶりですね。お元気でしたか?」
刑務官が客を出迎えるのは、ここが刑務所の敷地内にある美容室だからだ。店に立つ美容師は受刑者で、客は塀の外からやって来る。美容師は国家試験に合格し、美容師免許を持っているものの、営利目的ではないため、格安で施術を行っている。
今店にやって来たのは、常連の鈴木公子。前回、公子が来店したのは三週間ほど前だった。だから、美容室に来る頻度としては「お久しぶり」というほど期間が開いたわけではない。だけど公子は、毎週のように店に通っているから、三週間も顔を見せなかったのは珍しいことだった。
「元気よ元気。全然元気。ちょっと旅行に行ってたの」
公子の体調は、確かに悪くなさそうだ。肌に艶もあり、表情も明るい。
「良いですね、ご旅行。長く行かれていたんですか?」
「先週、少しね」
そう言いながら、公子は菅井に「はい、お土産」と箱を差し出してきた。
「こういうのは、もらえないんですよ」
「えー、そうなの? つまらない」
「お気持ちだけ、ありがたくいただいておきます。カバンと一緒にお預かりしておきますね」
箱の中は饅頭だろうか。菅井は箱の厚みと大きさ、そして重さであたりをつける。ちょっと食べたかったな、と思うのは心の中にとどめておかなければならない。
「温泉でも行ってこられたんですか?」
「そう。まあ、温泉以外も行ってきたけど」
公子はふふふ、と含みをもたせた笑みを浮かべた。その裏に何かありそうな気がしたが、美容師がクロスを持って待っているため、それ以上質問をするのはやめておいた。
「こんにちは。お久しぶりね」
慣れた様子で公子はシャンプー台へ行く。年金受給者であろう公子が頻繁に美容室へ来られるのは、この店の価格設定が異常なまでに安く抑えられているからだ。最近値上げしたため、カットは千円になったが、シャンプーはいまだに三百円のままだ。その代わり、スマホの持ち込みや、美容師への質問は禁止されている。が、おしゃべりが目的の公子には関係ないのだろう。
「今日はシャンプーだけね。先週切ったから」
「どこで、ですか?」
普段は口数の少ない美容師が質問していた。これは許可する。カットの情報は知っておいたほうが進めやすいだろう。なにより菅井も気になった。
「先週よ」
ということは、旅行中に美容室へ行ったのだろうか。
長期旅行ならともかく、わざわざ旅先で美容室へ行くのは珍しい。
公子が座ったイスが倒され、洗髪が始まる。
──お湯は熱くないですか? どこか痒いところはありませんか?
美容師として必要な質問は許されている。店に立つようになってから、まだ二か月ほどでぎこちなさはあるが、それでも当初よりはかなり動きがスムーズになってきた。彼女はやがて、塀の外に出たあとも、こうして美容師を続けていくのだろうか。
刑務所の中で美容師免許を取得し、この『あおぞら美容室』に立っていても、全員が美容師になっているわけではない。割合だけなら少ないだろう。
それでも続ける人はいる。菅井は、以前この店に立っていた美容師のことを思い出した。
小松原葉留。彼女は出所してからも、美容師として働いていることを、指導をしていた技官の加川実沙から聞いている。実沙も小松原葉留と直接連絡を取っているわけではない。実沙と小松原の姉が知り合いのため、情報が入ってくるのだ。
それが許されるかはわからない。小松原としては、出所後のことなど刑務官になんて知られたくないかもしれない。もちろん菅井から連絡することは絶対にない。
ただそれでも、前を向いて生活していることを知るのは、素直に嬉しかった。
どうか元気で頑張って。
願うのはそれだけだ。それは、ここを出て行ったすべての受刑者に対して思うことだが、小松原に関しては、特にその気持ちを強く抱いていた。
菅井はシャンプーが終わって、ドライヤーで髪を乾かしている公子を見た。
一か月振りの公子の髪は、本人が言う通り、確かに短くなっている。だから美容室へ行ったのは本当だろう。問題はどこでその髪を切ったのか。
──まさか、小松原葉留にカットしてもらった?
菅井は、いやでも、とすぐに浮かんだ考えを打ち消す。公子がそれを知る手段はないはずだ。そして、ここへ通っていたときも、連絡を取り合う素振りはなかった。だが、一度浮かんだ疑問は、確認しない限り消えない。
髪の乾燥が終わった公子の肩を、美容師が揉んでいる。一分程度のサービスだが、公子は「あ、もう少し下を強くもんで」と注文を付けていた。
「そうそう、そこ。ああ、気持ちいいわ」
公子は満足そうに目を細めている。
「でも、もう少し練習したほうがいいわね。大丈夫、みんな最初から上手くはないから。初めはぎこちないけど、続けるうちに上達していくものよ」
「あ……はい」
「あと、愛想ももう少し良くしたほうがいいわ。マスクをしていても、表情がわからないわけじゃないんだから」
菅井もそれは同意する。小松原も愛想はあまり良くなかったが、それは性質というよりは、当時彼女が抱えていた問題のせいでもあった。罪と向き合い、様々な利用者と接するうちに改善していった。
そんな彼女は、美容師という職業に対して、真摯に向き合っていたと思う。客のリクエストに応えられなかったときは、次はできるようにと指導を仰ぎ、練習していたこともあった。受刑者に対して、適切な言葉ではないかもしれないが、彼女は真面目だった。
菅井がそんなことを考えていると、公子は「ここで働くうちに覚えておくと、外へ行ってからが楽になるわよ」と、再び意味深な笑みを浮かべた。
その表情を見ていると、菅井はもう、気づかないフリを続けられなかった。
マッサージも終わり、カバンを受け取りにきた公子に、菅井は訊ねる。
「鈴木さんのご旅行先ってまさか……」
「あらあ、わかっちゃった? そうなの、温泉のあとにちょっとね」
公子はふふふと笑いながら、カバンから小さなリーフレットを取り出した。それは今、菅井がいる場所と同じように、塀の中にある別の美容室だった。
「ここも悪くはなかったわよ」
「あ……そうですか。なんだ、彼女のところじゃなかったんですね」
菅井がそう呟くと、公子は一瞬きょとんとする。だが、菅井の言っている意味を理解したらしく、今度はケタケタと笑った。
「いやあねえ、行くわけないじゃない。彼女がどこにいるのかなんて、私にはわからないんだから」
本当は知りたいのだろう。公子は今でもたまに、小松原葉留のことを匂わせる発言をするから。
でも詮索しない。それがここのルールだ。
「いいの、私はここに通うだけで」
「たまに、他のお店に浮気するくらいで?」
菅井の冗談に、公子は「そうね」と言いながら、また来週の予約をしていた。