山本周五郎賞を受賞し、「神山藩シリーズ」で人気を博す砂原浩太朗さんの最新作は、豊臣秀次の遺児を主人公とした戦国歴史ロマン。「大坂の陣」前夜、大坂方の密使として全国に散らばる牢人たちを味方にする役目を受け、旅に出る三好孫七郎・18歳。なぜ父や兄弟たちは無残な死を遂げたのか、おのれは何者なのか、若者は旅を通して自らに向き合っていく──。「成長というテーマは、僕の創作の核のひとつ」と語る砂原さんに、そのテーマに真っ向から取り組んだ本作についてお伺いした。
取材・文=河村道子
撮影=下田直樹
──「豊臣秀次の落胤」という主人公の設定はどこから生まれてきたのでしょうか。
砂原浩太朗(以下=砂原):若者が旅をしていく青春ロードノベル的なものを書きたいというのがスタートでした。旅物語のひとつとして、高貴な血を引いた人が諸国を流浪していく「貴種流離譚」というスタイルのものが僕は好きなのですが、「では、誰の血を引いている主人公がいいか?」と考えていくうちに豊臣秀次の子というのはどうかなと。
──豊臣秀吉の甥に当たる秀次は、関白にのぼりつめたものの、謀反を疑われて自刃に追い込まれるという悲劇的な最期を迎えた人物です。さらに彼の妻妾子女30人以上が、京・三条河原で斬殺されました。秀次の前名を名乗る孫七郎は、その事件の翌年に生まれたため、存在を世に知られることがなかった──。そうした設定は、「もしかしたらそんな人がいたかもしれない」という想像を掻き立てますね。
砂原:「いたかもしれない」というのがポイントなんです。秀次にはたくさんの子供がいたので、ひとりくらい生き残っていてもおかしくないよね、という思いもありました。さらに、豊臣方には関ヶ原で西軍についた牢人たちと連絡を取っていた人が必ずいたはず。いたかもしれない出自の設定と、当然いたであろう役割の人を結びつけることでリアリティが生まれるのではないかと。そしてこれは偶然なのですが、僕は、主人公の年齢を青春只中の18歳にしたいとはじめから考えていました。史実をひも解いていくうち、秀次一家の事件の翌年に生まれていれば、物語の始まる大坂の陣前夜のこの年(1613年)、数え年で18歳になることがわかったんです。歴史的に動かせない事実は多々ありますが、それは制約である反面、上手く使うと面白い小道具になりますね。
──関ヶ原合戦の翌年、諸国をまわる芸人一座のひとりであった母は、幼い孫七郎を、秀次に連座し、自刃した家老・木村常陸介の子である木村重成に託し、孫七郎はその屋敷でひそかに匿われてきました。18歳になった彼は密命の旅へと、まるで放たれた鳥のように出発していきます。
砂原:ひたすら溜められていたエネルギーが野に放たれる躍動感みたいなものが出ているかなと。そしてやはり複雑な出自なので、「自分とは何だろう?」ということを常に考えながら動いていく主人公になると思いました。僕という作家が核として持っているテーマである成長小説(ビルドゥングスロマン)が、今作でも体現されています。はじめは「父」というものをリアルに感じられなかった孫七郎が、父である秀次の名を看板にして諸国を旅していくうち、「父とは何だろう」と考えるようになっていく。それは「自分とは何だろう」という問いにも重なる。そうして「自分」と向き合い、成長していく姿を描けたかなと思っています。
──最初に向かったのは紀州(和歌山県)九度山に蟄居する真田幸村(信繁)のもと。さらに長宗我部盛親、明石掃部、毛利勝永、後藤又兵衛と、歴史上著名な人物がストーリーに次々と現れてきます。
砂原:後藤又兵衛のように剛毅な人がいたり、明石掃部のようにインテリがかった人がいたり、真田幸村は一般のイメージとはちょっと違うキャラクターとして描いたり。後に大坂の陣で腕を奮う武将たちそれぞれ、変化をつけるよう心がけました。さらに登場の仕方にも変化をつけたいと思いました。毎回ただ訪ねて行き、交渉して──だと、ストーリーが単調になってしまうので、ここでこの人物が出てきたら驚くだろう、という展開で読む人を引っ張っていきたいなと。
──九度山から京都・洛中、そして海を渡って高知へと……。日本中を巡っていく旅に、次はどこに向かうのか? とわくわくしました。
砂原:舞台になった場所には、ほぼすべて取材に行かせていただきました。やっぱり取材って大事で、行かないと分からないことだらけなんです。この作品に限らず、描写は大切にしているので、行ってそこの空気を感じ、作品に生かす。ストーリーが面白いことはもちろん大事ですが、それに加え、描写の厚みみたいなものが欲しい。その地に実際、自分が立ち、歩くことで、そういうものが加わっていく。例えば一番取材の影響を受けたのは、クライマックスの舞台となった場所。はっきりどこにするかということは決めず、木曽方面で絵になるところを探し歩くなか、「これはアクションに使えるな」という、急な坂の続く馬籠に出会いました。入り組んだ水路のある高知では、遠回りして城下に入る主人公たちと同じ経路を辿ってみるなど、かなりの実地調査をしましたね。そこは描写の厚みとして生きていると思います。
──孫七郎とともに旅をするのは、家臣の源蔵と、大坂方の目付である左門。主従の関係はあるものの、年の近い3人の道中はまさに青春ロードムービーのようですね。
砂原:「一見主従、じつは友情」みたいな関係性が好きで。デビュー作『いのちがけ 加賀百万石の礎』で描いた前田利家と家臣の関係も“忠義”と言われがちなのですけど、自分のなかでは“もろ友情”。「節度ある友情」みたいなものがすごく好きなんですよね。今作もそれがいい形で出たかなと思っています。
──タイプの異なるこの3人の取り合わせが絶妙です。
砂原:孫七郎はいかような色にもなり得るまっさらなタイプ。いろいろな出会い、体験を重ねることで自分の色を見つけていく。源蔵は質実剛健な実直タイプ、対する左門はちょっとシニカルと、それぞれ個性の違う方が面白いので、その辺りは意識しました。書いているときも、この3人は自然に動いてくれましたね。たとえば源蔵が宿の女中といい感じになる場面があるのですが、それを他の二人が羨ましげに見ているとか(笑)。みんな若者ですから、そうした何気ない場面を積み上げていくことで、現代の自分たちにも重ねられるような人物として受け取っていただけたらいいなと。
──そして旅の途中、ときおり現れる左門の妹・くに。当時の女性としては背が高く、剣の腕も達者。孫七郎が次第に心を惹かれていく魅力的な、けれどミステリアスな女性です。
砂原:くには一見冷たそうな女性。でも、そういう人が時おり綻びを見せるとグッときたりする(笑)。なかなか心を開きそうにないがゆえに惹かれるみたいなことってありますよね。今作でヒロインはほぼ、くにひとりだったので、インパクトの強い人にしたいと思いました。
──“目のまえに道が開かれたなら、歩むしかないだろう”という考えで突き進んできた孫七郎は、旅を続けるうち、自身の数奇な運命について“いまは、幼きころから辿ってきた道がどこへつながっておるのか確かめとうございます”という思いに至っていきます。その結果、秀次の最期を知る福島正則に会いに行きますね。
砂原:ある意味、目を塞がれるようにして育ち、世の中から隠されてきた青年が、外の世界に踏み出したとき、どうするかと考えたら、これまでの自身の18年を意味づけたくなるかなと思ったんです。そして、それはどこにつながっているのか知りたくなるだろうと。あえて大きな言い方をすると、“何のために生きてきたのか”ということ。それは誰しもが知りたい問いですよね。そのためには前に進むしかないと思うんです。今、彼の前には、豊臣方の密命を帯びて牢人たちを揃えるミッションがあり、これを果たした先で何が見えてくるのだろう? と孫七郎は考えるのではないかと。その結果、彼は父の最期を見届けた福島正則に会うという選択をするわけですが、それも旅に出たからこそ見えてきた道であり、願望。“まず動く”ことで自分の望むものがよりはっきり見えてくるというのも、若者ならではだなと思いながら書いていました。
──孫七郎は、「父とは何か」「おのれは何者なのか」という思いを抱いて、歴史上の謎や空白とされているもの、例えばなぜ秀次はああした悲惨な最期を遂げたのかという謎にも迫っていきますね。
砂原:歴史を解釈していくうえで、たとえば“秀次名君説”みたいなものもありますが、僕は基本的にあまり立派な話は信じていなくて。物語として描くとき、人間としてストンと腑に落ちる行動原理を大切にしているんです。孫七郎は、福島正則の話を聞くことで、今まで実感できなかった父という存在を身近に感じることができるようになる。これも人間としての自然な感情をもとに史実のなかの点と点を繋げていったからこそ、現れてきたストーリーという線なのだと思います。
──秀次の悲劇にまつわる謎をはじめ、行く先々で出没し、刃を向けてくる謎の人物〈梟〉の正体、さらに牢人たちを集める密命の“主”とも言える淀どのの思惑をはじめ、物語にはミステリー的な網が張り巡らされています。
砂原:僕は歴史小説、時代小説を書いていますが、読書歴の始まりはミステリーでした。だから、いつもそういう味付けが自然に出てきてしまうんだと思います。デビュー後に、人生の初期にさんざん読んだものが自分の根っこになっているということを実感しましたね。
──舞台は“戦国”ではありますが、関ヶ原合戦後から大坂の陣前夜という、武士たちがひとたび戦から離れ、最後の決戦を直前に控えた時間であることも、本作の読みどころのひとつになっています。
砂原:戦国であり、かつ平和になる直前の狭間の時間。時代設定的にすごく面白いところを選んだなと思いました。孫七郎たちは古いことばで言うと、アプレゲール=「戦後の人」。作中でも戦国のベテランというべき武将から、「あの頃は、かんたんに人を殺めたものでな」みたいな言葉が出てくるのですが、それに対し、孫七郎たちが「なんだかこの人たち、ちょっと自分と違うなぁ」といった感を抱く。そうしたジェネレーション・ギャップのようなものを書けたことも面白かったですね。
──「父とは何か」を孫七郎が追求していくなか、彼が出会っていく人々からも、どこか「父性」を感じ取ることができる、本作は「父性」の物語でもあると感じました。同時に孫七郎の母が我が子を生かすために選んだこと、秀頼を守ろうとする淀どのの思い、そして母ではないものの、ヒロイン・くにが醸し出すものからは「母性」の物語でもあると。
砂原:父性、母性は大いなる力であり、大いなる狂気にもなり得る。人間の持つエネルギーって大体がそういうものだと思うんですね。あらゆる感情や欲望は、正の部分と負の部分を持っている。今作では父性、母性のプラスの面もマイナスの面も提示できたかなと感じています。
──そうした様々な人の感情を旅のなかで見つめながら、ラストで孫七郎に示されるセリフは読後、自分のなかで響き渡ってくるようです。
砂原:このセリフ、そしてラストの場面は、「父とは」「おのれとは」を突き詰め、旅をしてきた孫七郎が、次の段階へ進むことを示唆しています。自分を探し、そして見つけた後、その先で人はどうするのかという問いへのひとつの答えですね。