とあるブログに、「あなたが犯した罪」という不穏なメッセージとともに、投稿者の妻が描いた「絵」が掲載されていた。「風に立つ女の絵」「灰色に塗りつぶされたマンションの絵」「震えた線で描かれた山並みの絵」……9枚の奇妙な絵に秘められた衝撃の真実とは!? その謎が解けたとき、すべての事件が一つに繋がる!
今、最も注目を集めるミステリー作家、雨穴が描く、戦慄のスケッチ・ミステリー『変な絵』の読みどころを書評家・川口友万さんのレビューでご紹介します。
■『変な絵』雨穴 /川口友万 [評]
雨穴氏の書き下ろし小説「変な絵」は「変な小説」だ。
一応は9枚の絵を巡る推理サスペンス小説ではある。登場する絵は、子どもが描いた木と家のある絵、夫のブログに載っていた妻の描いたイラスト、殺された教師のポケットにあった下手くそな風景画、子どもが書き直したマンションの絵、それ自体は何の変哲もない、素人の描いたごく普通の絵だ。それぞれの絵について、誰がなぜその絵を描いたのかを調べる中で絵の謎が明かされ、背後にある事件が露わになる。
背景がわかるとどの絵も怖い。素朴な子どもの落書きが、実は親を殺した子どもの描いた絵だったり、走り書きが殺された人物の残したダイイングメッセージだったり、塗りつぶされた下に犯人が暗示されていたりする。しかし、それぞれの絵にまつわる事件も起きた年代も登場人物の年齢もバラバラだ。そして1枚の絵ごとにひとつの物語が、短編ミステリーとして完結している。
最初に読み始めた時は、これは絵にまつわる短編集なのだと思った。1つひとつの作品にどこも共通部分など見当たらなかったからだ。ところが違った。話が進むにつれ、バラバラの作品がほんの少しずつ重なっていき、最後の最後でこれが一つになるのだ。
短編集の形をとった長編小説のようで、しかし単純に長編小説とも呼べない。あえて言うなら、物語の形を借りたパズルである。物語の中のピースをあてはめながら、別の物語を組み立てる暗号あるいはジグソーパズルだ。この話とあの人物がそこでつながるの? あれはフェイク? この2人が夫婦だった? の連続で、そのパズルをすべて組み上げると隠されていた大きな一枚の絵が見えてくる。
やるな、雨穴、すっかりだまされたぜ。
作者の雨穴氏は有名なYouTuberで、どこかで間違ったジェイソンという感じの、白い手作り感満載の仮面をかぶり、江頭2:50さんのような黒タイツを着て、甲高くメカニカルな声で奇妙なことを語る。存在自体が実に摩訶不思議な人だ。
「変な絵」でキーとなるのは家族だ。水槽の金魚が一滴の漂白剤で全滅するように、家族という閉じた共同体は容易に一人の狂気に染められてしまう。水槽から金魚が逃げ出せないように、家族という見えない壁が逃げ道を塞ぎ、やがて全員が狂気に飲み込まれ、破壊されていく。
恐ろしいことに、その狂気は外からは見えない。ガラス越しにすべて見えていると関係者は思っているが、しかしその中を染め上げている狂気だけが隠され、見えない。それはまさに「変な絵」が一見しただけではまったく「変な絵」に見えないことと同じなのだ。
「変な絵」は雨穴氏初の書き下ろしとのことだが、前作「変な家」よりもサスペンスの質が段違いにグレードアップしている。一気読みする時の感覚が「変な家」とは真反対なのだ。
「変な家」はガツガツと読んで、あ~面白かった、である。エンターテイメントであり、読書欲という空腹を今どきのアレンジでうまく満たしてくれた。
「変な絵」は読書欲よりも知的興奮、同じおいしいでもカツ丼とフルコースではまったく違うように、最後のデザートならぬ最後のページまで読み終えないと読み終えたとは言えない。読み飛ばすことなく、ひとつひとつの絵の物語を理解し、誰が誰なのか把握しながら読んで初めて最後の1ページですべてが一気に収束し、謎がほどかれる。
冗談抜きで鳥肌が立った。読み終えて、余韻でしばらくボンヤリとした。読書前と読書後で、物の見方が少し変わった。
よく映像化不可能、ネタバレ厳禁というミステリーがあるが、「変な絵」もそのカテゴリーになるだろう。小説の構造上、映像化は難しいだろうし、何を言ってもネタバレになる。「変な絵」は読んでもらうしかない小説なのだ。
すでに世界30カ国での出版が決まっているという。そりゃそうだろう、こんなに変で知的刺激に満ちた小説、読んだことがない。ミステリーの手法としては、文章の記述自体がトリックになっていて読者を混乱させる叙述トリックになるのだろうが、雨穴氏のやり方は数あるミステリー小説の中でもかなり珍しい部類だろうと思う。
いわば小説における分子料理、小説のヌーベルジャポネーゼである。サスペンスの分解と再構築が味わえる、まさに三ツ星の作品なのだ。