境内の竹林を抜けると、行きたい過去に戻れます──。ここは、イケメン神主と美人巫女の兄妹が切り盛りしている北鎌倉の一条神社。参拝者は少なくお金はないけれど、祀られている神様には不思議な力があり、その神様に選ばれた人は過去をやり直せるという。
もし自分が、「あの日」に戻れたら何をするのか? そう思いを巡らせたくなる、5編の「やり直し」の物語。著者の成田名璃子さんに、本作に込めた思いをうかがった。
鎌倉は「何が起きても不思議ではない」空気がある
──まずは物語の舞台を鎌倉にした理由を教えていただけますか。
成田名璃子(以下=成田):単純に鎌倉が好き、ということもあるのですが(笑)、都内に引っ越してくる前は鎌倉のお隣の逗子市に住んでいたんです。しかも逗子駅からちょっと離れた鎌倉寄りで、おもな生活圏は鎌倉でした。街を歩いていると、古都ならではの歴史の重みと湘南カルチャーに代表される洗練された新しさが絶妙にブレンドされているんですよね。だからこそ、古さと新しさのはざまで、時の流れが曖昧だなと思える場所に出くわすことがあって。
たとえば、鎌倉駅前からつづく裏小町通りの甘味処で、茶碗からくゆる抹茶の湯気を見ているうちに、気がついたら50年前にいた。そんな時間のバグが、竹林に囲まれた古民家や長屋の一角を改修した雑貨店など、あちこちに潜んでいそうな気配がある。独特の空気感が、タイムリープものの舞台としてうってつけに思えたんです。
多くの作家さんが京都や鎌倉をモチーフに書きたくなるのは、街の空気が醸す「何が起きても不思議ではない」という物語性の深さかなと思います。
──本書ではさまざまな後悔を抱えた参拝客がタイムリープをします。時間旅行ものは、整合性を取ることや、一定のルール作りが大変かと思いますが、そのあたりで苦心したことを聞かせてください。
成田:そうですね、苦心しかなかったです(笑)。もともと頭の中がとっちらかっていて整合性のない人間なので、連載を終えたあとに通して読んでみたら矛盾だらけ、疑問点だらけで。担当編集のお二方に指摘されるまで気がつかないという……(涙)。私よりもお二人のほうが苦心されたことと思います。
よく連載にまつわる笑い話で、死んだはずの人間が次の回で生き返っていた、などと聞きますが、A地点にいたはずがB地点にいたり、駅から見えないはずのものが見えたり。矛盾だけでなく、「時帰り」をした人間がもつ時帰り前の記憶はどうなるのか、過去にアイテムを置いてきたらどうなるのか、どんなルールを設けたらより楽しく読めるのかなど、設定上で考えることも盛りだくさん。ただ、苦心しつつもとても楽しかったです。ぜひ「時帰り」のルール(制約)のもと、精一杯もがく登場人物たちを見守っていただきたいです。
──第一話では、高校時代の告白で大失敗し、恥ずかしい目に遭った女性がそれをやり直したいと希望します。「時帰り」した場所は高校の教室。授業中の雰囲気や、同級生の若々しさなど、読者の記憶をくすぐる描写で、一瞬にして学校に通っていた時代の瑞々しい気持ちが甦りました。
成田:わぁ、表現したかった世界が伝わったようでよかったです。若者の言葉は刻々と変化しているかもしれませんが、教室の空気感みたいなものは普遍的だと思うので、ぜひ青春から遠ざかった大人の読者たちには、いっしょに教室の中へと時帰りしていただきたいです。
ちなみに、何冊か拙著を読まれた方は「また!?」と思うかもしれませんが、青春時代を描く私の作品、登場人物がかならず走ってます。若者を走らせるの、大好きで(笑)。
読者のみなさんが、「今、起こせる変化」に気づくきっかけになってくれたら嬉しい
──第二話はすっかりメタボおじさんになった男性が、元のイケてる自分に戻すため、会社人生を変えようと奮闘します。ですが、記憶違いも多々あって……自分の過去は得てして都合よく改ざんされるものですね。
成田:これ、ほんとにギョっとするような改ざんがありますよね。私自身の体験でいうと、弟のいたずらで私が布団の下敷きになってしまったという幼い頃の記憶があって……。ある時、母にそんなことがあったよねと話したら、実は下敷きになったのは弟で、いたずらしたのは私のほうだったんです(笑)。
この物語は、表現としては過去のやり直しなのですが、時帰りした先では、「今」をよりよくしようと必死にもがいていた当時の(時帰りする前の)主人公の姿も描かれています。読者のみなさんにも、自分が「今、起こせる変化」に気づくきっかけになってくれたら嬉しいです。
──第三話は子育てであくせくし、育児をしない能天気な夫につい暴言を吐いてしまった妻の後悔です。これはどの夫婦にも身につまされるものがありそうです。
成田:この物語に関しては、産後の眠くて余裕のなかった私自身を憑依させて書きました(笑)。育児分担、習い事や塾など日々の教育方針、進路など、子どもが生まれると、夫婦で擦りあわせをする場面の連続だと思うんです。もしかしてこの物語は、これが終わりじゃないという、育児ホラーの序章だったのかも……なんて嘘です。ぜひ清々しくお楽しみください。
──第四話では、親友との果たせなかった夏のある日の約束を、今度こそ果たしたいと願う小学3年生の男の子が「時帰り」をします。転校という子ども時分の切ない別離を思い出させてくれます。
成田:こちらは、今風に表現すると、エモい要素をたくさん詰め込んだ物語です。夏休み、お祭り、約束なんて物語がはじまるに決まってます(笑)。子ども同士の約束って、大人の約束より絶対で、純度の高いものだと思うんです。ましてや親友との大切な約束。ぜったいに違えられません。約束を今度こそ実現させるため、ピンチにつぐピンチを懸命に乗り越えようとする健気な主人公を応援していただけたら嬉しいです。
親は心のどこかに、突然子どもを失うんじゃないかという潜在的な怯えを抱いている
──第五話は「目を腫らすと困るときには読まないでください」と帯に謳った、娘を交通事故で亡くした夫婦の物語です。しかし、当日には戻れず、前日をやり直すという展開に目を瞠りました。
成田:実はこの最終話に関しては、書きはじめる直前まで、物語として破綻していると思っていたんです。親なら我慢できず、絶対に死ぬ運命の子を助けようとしてしまうでしょうから。いや、じゃあなぜこの設定をプロットで提出したんだという話なんですが(笑)。悩んだあげくに、とうとう担当のお二方に泣きついて、色々なヒントをいただいてようやく、当日ではなく前日に「時帰り」するという設定が浮かんできました。
小さい子の親って、心のどこかに、とつぜん子どもを失うんじゃないかという潜在的な怯えを抱いていると思うんです。きっと万が一の事態への耐性をつけようという自己防衛の一種だと思うのですが、それが現実になった時に後悔のない親はいないはずで……。「日常という奇跡」は、私の書くどんな物語にも通底するテーマなのですが、本作には色濃く表現されています。読み終わったあとに、今という時間が、読む前よりも輝いて見えたら嬉しいです。
──本作は、文芸総合サイト「COLORFUL」(本サイト)で連載されました。連載ならではの苦労、また気を配ったことはどんな点でしょうか。また、各話の順番はどのように決められたのですか。
成田:そうですね。書き下ろしだとすべてを書き上げてから全体を推敲して担当さんに提出するのですが、連載だと各話ごとに掲載となり、どうしても揺らぎが出てきてしまいます。なので、なるべくほころびが出ないように意識していました。意識してあれかっという突っ込みの幻聴が聞こえてきそうですが(苦笑)。また、途中から一週間に一回の更新になったので、細かな山場を工夫して区切るなど、担当さんが苦労してくださったと思います。各話の順番に関しては、どの連作短編もそうなのですが、感覚によるところが大きいですね。ただ、いちばんシリアスな最終話は、最初から最終話と決まっていました。じつは、もし二巻目があるとしたら、主人公はもうぼんやり決まっているんです。今、ここで初めて言いました(笑)。
古今東西繰り返し描かれてきた、タイムトラベルが叶える人間の切実な願い
──成田さんご自身の「時帰り」したい思い出があれば教えていただけますか?
成田:私は高校3年生に戻りたいです。もっと真剣に進路について考えろと、当時の自分を叱ってやりたいですね(笑)。実は、私と同姓同名の先輩がいて、その先輩が「A大という大学に入学したんだよ」と当時の英語の先生に教えていただいて。それじゃあ私も行こうかなという、わけのわからない志望校の決め方をしたんです。その他にもう一つ受けた大学は、当時お付き合いしていた彼の志望校で……。当時の私、ゆるふわにもほどがあります。
──この本を書くにあたって、影響を受けた作品はありますか? また、お気に入りのタイムトラベルものの本や映画があれば、教えてください
成田:やはりいちばんは、タイムトラベル小説の金字塔、ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』です。一条神社に住む猫のタマは、『夏への扉』に出てくる猫のピートへのオマージュなんです。ちなみに、『時帰りの神様』と姉妹本でもある『時かけラジオ』(メディアワークス文庫)にもオマージュが仕掛けてあるのですが、それは、主人公が過去に株を仕込み、未来で一財産築くというくだりです。夢の仕込み方ですね(笑)。残念なら一条神社では許されないのですが……。
タイムリープやタイムトラベルは、古今東西、繰り返し描かれてきた題材ですが、それくらい、人間は後悔する生き物であり、過去へ戻れたらという切実な願いを抱えて生きているということの証左だと思います。
現実世界では技術的にまだまだ不可能ではありますが、ぜひ物語のなかでは、時帰り神社から過去への旅を楽しんでいただけたら嬉しいです。