2014年、『女王はかえらない』で第13回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した降田天さんが新たに世に送り出した作品は、女子生徒だけの演劇学校を舞台としたミステリー小説『少女マクベス』。

 定期公演の最中、自身が脚本を手がける「マクベス」の上演中に奈落に落ちて亡くなった天才少女・設楽了の死の真相を巡り、生徒たちの思惑と疑念が交錯する。了の死は本当に事故死だったのか、それぞれが抱える秘密と闇に迫る本作は、人間の内に潜む「心の奈落」を浮き彫りにする。

 降田天さんは、執筆担当の鮎川颯さん、プロット担当の萩野瑛さんによる2人1組の作家ユニットである。本作に向き合う中で、お二人が抱えた葛藤、明らかになった自身の「奈落」についてうかがった。

取材・文=碧月はる 撮影=川口宗道

 

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原作「マクベス」の魅力を語り過ぎないバランス感に苦労。「天才」を描く難しさにも直面し、改稿を繰り返した

 

──本作では、定期公演の舞台の演目にシェイクスピアの「マクベス」が起用されています。原作でも登場する3人の魔女に、それぞれ「野望」「愛」「恐怖」の感情が当てはめられていたところも印象的でした。

 

鮎川颯(以下=鮎川):原作のマクベスが読めば読むほど面白いので、どうしても原作の魅力を語りたくなってしまって。「そこはもっと抜きましょう」と言われ、「また書きすぎた」と反省する。執筆中は、その繰り返しでした。

 

──後半部分、ある人物の心理描写とマクベスの心情が重なる部分があります。その描写のリアリティに思わず引き込まれたのですが、ラストシーンに関しても執筆当初より原作要素を削ったのでしょうか。

 

鮎川颯氏

 

鮎川:あのシーンを書くのはすごく楽しかったです。でも、そのぶん使いたい台詞が多くなりすぎてしまって、泣く泣くカットしたところもありました。問題は、原作の台詞をそのまま使えないことなんですよね。本作では、あくまでも設楽了が書いたオリジナル脚本の「マクベス」をもとに話が進んでいくので。

 元にした訳が好きなので、それをどこまでいじっていいのかわからなくなってしまって、英語もできないのに必死に辞書を引きながら原文に当たりました。了が天才脚本家という設定のため、天才が書くにふさわしい和訳(台詞)にしなければならないのですが、自分が天才じゃないのに天才を描くのは難しくて。原作から大きく外れてしまうと、その後の展開とつながらなくなってしまうこともあり、原作と改変のバランスを取るのが大変でした。

 

──本作において、お二人がもっとも共感した登場人物を教えてください。

 

鮎川:私は、主人公のさやかですね。さやかは基本的にネガティブなのですが、私もネガティブな性格なので。

 

萩野:私はエゴサ大好きなんですけど、鮎川はそういう世間の反応も一切見たくない人なんですよ。

 

鮎川:メンタルが弱いので(笑)。

 

萩野:自分を過小評価してしまう、いわゆるインポスター症候群みたいなところがあるんです。だから、読者さんの反響などは、私が主にチェックしています。

 私は共感というか、リスペクトがあるのは美術班のリーダーを務める璃子ですね。自分のやるべき仕事にひとり淡々と向き合う姿、あの揺らがなさがすごく素敵だなと思って。なかなか、あんなふうにはなれないので。

 それと、了が身近な人物にしていた横柄な行動や発言は、「気をつけないと自分も同じことをするかもしれない」と思う部分はありました。了は、才能がある人や自分から見て輝いている人が好きなので、自分のことを本当に思いやってくれる人を雑に扱いがちなんです。先ほどお話ししたように、私は才能に弱いところがあり、そこは気をつけたいなと思っています。

 

──本作では、了のあふれる才能ゆえにハラスメントが黙認される描写があります。昨今の演劇業界のハラスメント問題とも重なる部分があると感じましたが、いかがでしょう。

 

萩野瑛氏

 

萩野:まず、本作は着想が10年前ということからもわかる通り、昨今の演劇業界のハラスメント問題を描いた作品ではありません。本作では、「才能」というものに翻弄される少女たちの物語のいち要素として、これまで自分が体験したり、人づてに聞いたりしたハラスメントを素材にして、架空の設定で表現しました。

 我々は、目の前に咲いている赤い花を見て物語をつくったけれど、赤い花は根っこのところで、青い花とつながっていて。ただ、根っこはつながっていても違う花ではあるので、青い花の物語を書くなら、青い花を見て書かなければならないと思うんです。仮に演劇業界のハラスメントをメインテーマに執筆するとしたら、本作とはまったく違う心構えが必要になると思います。

 

──萩野さんたちが体験されたり見聞きしたりした事実が「赤い花」、昨今の演劇業界のハラスメント問題が「青い花」、という比喩ですね。たしかに根っこはつながっていても、現実の事件そのものを描く場合、心構えや覚悟がまったく違ってくるだろうと思います。

 

鮎川:実際の事件そのものを描く際には、対象に対して深い理解と覚悟がいります。最近、小学館さんから刊行した『さんず』が文庫化されることになって。こちらは自殺幇助会社の話なのですが、文庫化にあたり、改めて安楽死について勉強してみたんです。でも、調べれば調べるほど知らないことばかりで、これは書こうと思って書ける題材じゃなかったな、と今さらながら気がつきました。そのことからも、現実の事件そのものに挑む力は、まだ足りていないと感じています。

 

萩野:『さんず』の時も、刊行前にたまたま芸能人の方の自殺が相次いでしまって。こちらが想定していないタイミングで本を出すことになり、どのように受けとめられるだろうとすごく怖かった。だから、文庫で出す時はきちんと直せるところは直そうと思って改稿に取り組んだのですが、それが果たして正しかったのかどうか、未だに答えが出せていません。

 

──作品を作り上げる過程で、意図せず現実が重なってしまうことがこれまでも多かったのですね。

 

萩野:そうですね。とはいえ、「こう読まれたくない」みたいな発信は、できればしたくないじゃないですか。やっぱり、読みたいように読んでいただきたいので。でも、かといって何も言わないことで「あの事件に絡めて書いたんだ」と思われるのは、正直すごく落ち込みます。

 本作は、あくまでもミステリー作品として、才能に翻弄される少女たちの物語を楽しんでいただければと思います。と言いつつ、矛盾するかもしれないんですが、読んだ方のなにかの思考の材料になったら、それもやっぱり幸せなことです。