カツセマサヒコの小説第2作『夜行秘密』が文庫化された。本作はバンド「indigo la End」のアルバム『夜行秘密』をベースに、著者独自の解釈で紡ぎ出した連作小説。2021年に刊行され、音楽×小説のコラボが話題となり大ヒットした。執筆当時、カツセさんはどんな思いで音楽から小説を生みだし、indigo la Endのメンバーはアルバムにどんな思いを込め、完成した小説をどう受け止めたのか。両者の創作秘話を聞いた。
このインタビューは2021年の7月に『夜行秘密』HPにて公開されたインタビューの再録です。
テキスト:矢島由佳子 撮影:鹿糠直紀(2iD)
■『夜行秘密』カツセマサヒコ
indigo la Endのアルバム『夜行秘密』を、カツセマサヒコが小説化する──そんなアイデアが浮上したのは、まだアルバム制作中だった2020年9月頃。「音楽を小説にする」という両者がかつてやったことのない試みは、カツセにとっては大きな戦であり、indigo la Endの川谷絵音にとっては「ただただ楽しみだった」と語る。小説の内容はカツセに任された状態で執筆が進んでいったが、indigo la Endのメンバーが出来上がったものを読んだとき、想像を遥かに超える仕上がりに驚いたという。
カツセマサヒコ(以下=カツセ):デビュー作『明け方の若者たち』の中にindigo la Endの名前を登場させたくらい好きだったので、indigo la Endのバイオグラフィの一部分に自分の書いたものが載るという重圧は大きかったです。「俺でよかったんですか?」って、ずっと思ってました(笑)。
川谷絵音(以下=川谷):嬉しかったですよ。前作でバンドを使ってくれたことも知っていたので、この話を聞いたときには「すごくぴったりだな」と思いました。どういうふうにアルバムが小説になるのかは全然わからなかったから、ただただ楽しみにしていましたね。14曲だから14篇の短編なんだろうなと思って読み進めたら、全部が繋がってひとつの長編になっていたのが予想外で。本当に面白くて、読んでいる途中から自分の作品から書かれているということを忘れちゃうくらいでした。僕の場合、曲を完成させたらもう自分の手元を離れる感覚なので、「手を加えられるのが嫌だ」といった固定概念もないし、誰かが二次創作したものはまったく新しいものとして楽しめるんですよね。
佐藤栄太郎(以下=佐藤):「自分らの楽曲にかかわるものはこうあるべきだ」って思い込むのは可能性を狭めることにもなるので、楽曲からなにか作られるときはむしろ、むちゃくちゃになった方が面白いなって、心の奥底では思ってますね(笑)。「小説になる」と聞いて、最初は楽曲を補完する感じになるのかと思いきや、まったく想像していなかったものになっていて本当にすごいと思いましたし、読んでいてすごく楽しかったです。特に後半が、グッとのしかかってくる感じがありました。過去の曲名とかもちりばめられ、愛がある方に書いていただけて、ファンのみんなにも喜んでもらえると思います。
長田カーティス(以下=長田):音楽を小説にするということが僕にとっては理解の外で、「本当にそんなことできるのか?」と最初は思っていたんですけど、出来上がったものを読んでみると、音楽の世界観をちゃんと読み取った上で書いてくれたことがわかる作品でした。僕自身、本を読むのが苦手なんですよ。自分の意思で本を読んだのが、多分、中学3年生が最後(笑)。そんな僕ですら飽きずに一気に読めました。
後鳥亮介(以下=後鳥):僕は物語というもの自体がすごく好きで。カツセさんのコラムとかも読んでいたので、アルバムが小説になると聞いたときは、恋愛をベースにしたものになるのかなと思っていたんですけど、だんだん人の怖さが見える話にもなっていき、ギミックがたくさんあって飽きずに読めました。もしかしたらこの曲はダークな側面も持っていたのかもな、といった気づきもありましたね。
カツセ:『明け方の若者たち』の映画化の話が進む中で、原作に忠実であるだけでは、映画として魅力的じゃないなと思うようになったんです。小説なら小説の、映画なら映画ならではの表現の仕方があるはずで、それを活かすようにしてほしいと。同じように、楽曲そのままの世界を14篇作っても原作である音楽には勝てないから、音楽の世界から広がりをもたせて、小説ならではの表現にすることを強く意識しました。
indigo la Endの4人が語るように、小説『夜行秘密』は、アルバム『夜行秘密』に収録されている14曲のタイトルや世界観を大幅に拡張させ、14篇から成る1つの大作となっている。各曲のキーワードが各篇の中でポツリと輝いていたり、心情や風景だけが重なっていたりする中で、楽曲からは想像し得なかった男女7人が自身の存在意義や居場所を探し求めるストーリーが繰り広げられる。歌詞からだけでなく、indigo la Endの大きな魅力のひとつである各楽器のアレンジからも物語のアイデアは膨らんでいった。
カツセ:最初に、歌詞もサウンドもメロディも全部分解して、1曲ごとに「この曲はこういう世界観で主人公はこんな感じ」といった3行くらいのまとめを作って、それらを混ぜたり組み直したりしてひとつの物語にするという作業をやったのですが、それにすごく長い時間をかけました。喪失と後悔をテーマに書こうと決めたのも、アルバム1曲目の「夜行」と最後の「夜の恋は」からインスピレーションをもらったものです。「夜行」の終わりが《夜行秘密 一人で握った》で、秘密って二人でないと成り立たないものなのに「一人で」と言っているから「喪失」が見えて、最後「夜の恋は」は《好きにならずにいたかった》というふうに「後悔」で終わるので。あと、indigo la Endは、1曲1曲深く聴いたときにそれぞれの楽器がかなり個性的な動きをしている印象があって、歌詞だけでなく、鳴ってる音やフレーズも物語の世界に昇華させたいと考えてました。たとえば「夜漁り」だったら、僕は間奏のカウントを刻むところがすごく好きなので、物語のどこかにカウントをするシーンを作ろうと思って、入れました。
川谷:カツセさんが、「『華にブルー』はすごく綺麗で美しい曲だけど、2サビの終わりでドラムがカオスになっていくのが印象的で、物語がカオスになっていく感じはそのサウンドから生まれた」と言っていたのでハッとしましたね。ちゃんとサウンドからも小説の世界観ができてるんだなって。
佐藤:アレンジまで物語に昇華してくれて、すっごい嬉しいです(笑)。
カツセ:indigo la Endの楽曲は、パッと聴いたときの印象と、深く掘ったときの印象が、どの曲も結構違うんですよ。それを楽しめるようにもしたいなと思って物語に反映させました。あと、アルバムのジャケットを見て「今回は赤いんだ」と思って、黒と赤というイメージは自分の中でブレずにいましたね。indigo la Endってブルーのイメージがあったから、ここで変えてきているんだったら、indigo la Endにとっての「新たな」、もしくは「別の」軸に自分の小説が存在するのは光栄なことだし、色々やっていいのかもなと思えたんですよね。
小説家・カツセマサヒコにとっては、本作が2作目となる。しかもデビュー作は、映画化が決まるほどのヒット作だ。自身の2作目としてはなにを世に送り出すべきか、様々な葛藤があったという。まるで、小説『夜行秘密』に登場するバンド・ブルーガールが、「自転車」でバズったあとにどんな楽曲を出すべきか悩み尽くしていたように。
カツセ:「代表作を持つことよりも、代表作を更新することの方が遥かに困難である」と小説の序盤で書いたのは、自分をジャッジするために入れた見栄みたいなところがあります。2作目は、前作できなかったことを全部やってやろうというつもりもあって。前作は私小説的な要素があるから、「カツセさんってこういう青春時代を過ごしたんですね」と言われることがものすごく多かったんです。前作が自分の内面にひたすら潜って書いた話だったので、今回は外側を見ることをすごく意識して、社会の事象に徹底的に向き合って書こうと思ってました。社会の縮図というものを意識しながら、「人は一面だけではない」ということを書きたかった。職業、役職、肩書きとかだけで持ってしまう偏見をなくしてどれだけ本当の部分を見せられるか、というところを、過去の経験も含めて掘り下げていきました。この小説を書いている時期に映画『すばらしき世界』を見たんですが、一度罪を犯した人が立ち直っていくには厳しすぎる社会だということも考えていたし、一概に「悪」だけで構成されてる人はいないんだということも伝えたかった。それは、アルバムからも感じたんです。歌詞を読み解いていくと、死生観とか人間の業や欲にまでフォーカスしているなと感じたんですよね。この物語については、自分一人では絶対に辿り着けなかったです。indigo la Endの楽曲があったからこそ、このキャラクターや構成を作れたのだと、改めて思いますね。
小説では、様々な年齢・職業・性別の7人の心情が実に多面的に描かれている。7人それぞれが、誰かを愛し、誰かを憎み、そして、その行為がまた別の愛や憎しみを生んでいく──。川谷に「一番印象深い登場人物は?」という質問を投げてみると、「全員が印象深い」と前置きしながらも、バンド・ブルーガールとそのフロントマン・岡本音色の名前を挙げた。まだ売れていない時期に「自転車」という曲がSNSで予想外にバズり、その後、市場が求めるものと自身が作りたいもののギャップに苦しみ、悩む彼の姿を、川谷はどう見たのだろうか。
川谷:僕らって、ずっと一定の感じでいるんですよ。下がりもせず、ずっとコアファンと一緒に歩みながら、微妙に右肩上がりになってるという感じで。前々作くらいまでは「このままでいいや」みたいな感じだったんですけど、前作のアルバム『濡れゆく私小説』を出した頃に「夏夜のマジック」がTikTokで広がって、「あ、まだ行けるのかもな」って考え直したりして。そうやって色々あったから、すごく重ねちゃったところはありますね。「自転車」という曲がヒットして、舞い上がって、「次はこれをやったらバズる」と思ってやったのにバズらないというのもめっちゃリアルなんですよ。バズると思ってガワから作ったものの方がバズらないんですよね。しかも、バランスを取ってやろうと思うと、上手くいかなかったりする。作りたいものは作るんですけど、かといって、作りたいものだけを作ろうとしたらそれも上手くいかないから。……もう、運なんですよね。「夏夜のマジック」だって、カップリングで作った曲だったので、「こういうことがあるんだな」って思いましたし。なにかが起こるかもしれないから、とりあえずひたすら曲を作るしかないなって。僕らはもう10年やっていて、10年の間になにが起こるかとか、なんとなくわかるんですけど、わからないことが起こったときに面白くなるから、それを追いかけてやっているんだと思います。
佐藤:僕らも売れてないときに人が少ないライブハウスでやってたので、ブルーガールのバンドメンバーたちへの親近感はありましたね。
長田:ああいう道を辿ってきてるからね、僕らも。
佐藤:読みながら「せやなせやな」って(笑)。
後鳥:あとは、バンドマン、裏アカは作るなってことだね(笑)。
全員:(笑)。
カツセ:岡本音色には、自分自身を重ねているところが強いと思いますね。「1作出しただけでなにか変わるわけではなかったな」というのは自分が感じているものでもあるので。でも周りは「何者かになったでしょ」という体で接してくるようになって、そのズレみたいなものも書きたいなと思いました。メインの人物7人それぞれに、なんだかんだ自分が入っちゃってるんだと思いますね。
本作を完成させたあとに、カツセはこう綴っている──「この物語が、多くの共感よりも、誰かの特別になることを願っています」。大勢から安易な共感を得ようとするのではなく、誰かの心に深く突き刺そうとすること。一辺倒の幸せを描くのではなく、人一人の多面性や現実の憂いをも描き切ろうとすること。それらは、indigo la Endとカツセマサヒコに通ずる表現の核のようにも思う。indigo la Endとカツセマサヒコが表現する愛や正義は実に人間臭く、苦しく、鮮やかだ。
カツセ:『夜行秘密』というアルバム自体が、多くの共感よりも誰かの特別になるように作った作品だというふうに僕には聴こえていて。「夏夜のマジック」がTikTokでバズって脚光を浴びて、その次に出すアルバムはやはりポップでキャッチーなものになるのだろうかと思ったときに、そういう曲ばかりではなくて。「このバンド、1曲バズったくらいでブレたりしないんだ。ずっと培ってきた自分たちの温度感を大事にするんだな」ということをすごく感じてそれがいいなと思ったんです。僕自身も、1作目はできるだけ広く届けることを意識しました。売れないと2作目を出させてもらえないと思っていたから、たとえライトな言葉であっても惜しげもなく使うという選択だったんですけど、『夜行秘密』を聴いて、安易に共感させるばかりのものを書くのはやめようって決めました。「みんなは好きじゃないかもしれないけど、私はこれが好き」って言える人がたくさんいる方が健全だし、それが今のindigo la Endっぽいなと思ったんです。
川谷:僕自身が、あんまり共感しないんです。
カツセ:『夜行秘密』は、1曲目の頭の2音でヘヴィだなと思ったし、1曲目のサビで《行かないで 行かないで》だから「これはどう考えてもハッピーエンドにならないな」というふうに感じたんですけど、indigo la Endはどうして「ハッピー」を作らないんですか?
川谷:ハッピーな人間じゃないからだと思うんですけどね(笑)。ハッピーな音楽を、そもそもそんなに聴かないので。好きなものしか作らない、というところなのかもしれないですね。明るい応援ソングとか、昔からめちゃくちゃ苦手なんですよ。この4人の中で明るい音楽が好きな人、多分いない。
佐藤:もう、あそこは参入しづらいですよね。
長田:ハッピーゾーン?
佐藤:そう、ハッピーゾーン(笑)。別に暗い人間だというわけではないんですけど、あそこは、本当に強固なハッピーがないと行けないんで。
全員:(笑)。
川谷:「この日楽しかったな」「頑張ろうぜ」みたいなハッピーからは、歌詞がまったく出てこないんですよね。
長田:さすがに、そういう歌詞がきたら「どうした?」って言う(笑)。
川谷:光が見える歌詞みたいなものは書けるんですけど。いちいち強制されるハッピー感は苦手で、そういうものが多いなと思う。僕、高校時代に体育祭に出たことないんですけど、体重軽いってだけで組み体操で上の位置にされたり、右向け右みたいなのだったり、集団でなにかを強制されることに対しては子どもの頃から嫌だったんですよね。応援ソングって、それがすごくあるんですよ。
カツセ:僕は、学生時代から結構ハッピー野郎だったと思うんですけど。モテたかったし、そのために「みんなでなにかやるぞ!」みたいなタイプで。でも物語とかに関しては、ハッピーエンドだと「裏切られたな」って思っちゃうんですよね。世の中そんなに都合よくできてないという感覚がいつもあるから、自分が書くときはちゃんと現実的なところで終えたいし、そうすることで寄り添える人がきっといると思っているんです。だからこそ救えるものがあるんじゃないかって。小説の中でブルーガールの全盛期を含め十数年のキャリアを描いているんですけど、そんな彼らには単にハッピーではない雰囲気を作ったのは、やっぱり自分がいろんな著名人に会ったりインタビューしたりしても全員どこかに影があったり悩んだりしているなと思うからで。逆に調子に乗ってる人はいなくなっていくパターンが多いから、世界はそういうふうにできてるんだなって思う。いつも現実を書いてる気がします。
音楽から小説を作るという試みの奥には、いち音楽ラバーとしてカツセが感じている音楽のインスタントな聴かれ方へのささやかな抵抗もある。小説『夜行秘密』を完成させたことで、新たな音楽の楽しみ方を生み出せたような手応えを両者は感じている。
後鳥:もともと自分が感じていなかった曲に対するイメージが、小説から返ってくるのが面白くて。曲のストーリーやモチーフをなぞって小説化するのはこれまでもあったと思うんですけど、そうではなくて、お互いが発見し合うということがまさに新しい形なんじゃないかなと思います。
川谷:今までindigo la Endの音楽に興味なかった人が小説を通して聴いてくれる可能性を秘めているなと思います。この小説を読むと、すごく音楽が聴きたくなるんですよね。僕だったら「これ、どういうアルバムなんだろう?」って聴きたくなるので。
カツセ:そうなったら嬉しいですね。『夜行秘密』がさらに日の目を見ることになるのなら、それはとてもポジティブなことだと思ってます。今、アルバムって、ものすごく賞味期限が短いじゃないですか。それはすごく悲しいことだと思うんです。自分が関わることで、新しい見せ方ができたり、まだアルバムを聴いたことがない人が聴いてくれたり、改めて楽曲と向き合って長く聴かれるアルバムになるようなきっかけを作れたらいいなと思ってました。
川谷:この小説はindigo la Endと関係なく、小説として本当に面白い作品です。カツセさんの傑作の中にindigo la Endの作品が入ってるということが単純に嬉しいですね。
カツセ:『明け方の若者たち』を出してから、いろんな人にいろんなことを言われた1年ではあったので、今作で「カツセマサヒコの2作目、indigo la Endとのコラボ」として世に出たときに、「なんだ、純粋な2作目じゃないんだ」というふうに捉えられたり、「CDのおまけね」「音楽のプロモーションの一環ね」みたいな捉え方をされるのは絶対に嫌だったんです。だからこそ、音楽を補足するために書くのではなく音楽を拡張させるために書いて、楽曲から小説にするという新たな道を作るものにするんだと決めました。indigo la Endの曲を半年間ずっと聴き続けても嫌いにならなかった人間がここにいるので、みんなにも聴いてほしいですね(笑)。半年間、死ぬほど聴いてもすごく好きでいれたのが、一番よかったなと思っているんです。半年間聴き続けると、さすがに嫌になるかなって思ってたんですけど(笑)、全然そうじゃなかったから、やっぱりいいアルバムなんだなと思いました。