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 いつの時代になっても少年の心を掴んで離さない昆虫がいる。かつて憧れた方も多いであろう、オオクワガタである。

 クワガタとしては日本最大級の大きさで、漆黒に輝く体の美しさから、昆虫好きの子どもから大人まで圧倒的な人気を誇る“昆虫の王様”だ。生息地は沖縄を除いた日本各地とされているが、実際に野生のオオクワガタを見たという人はどれだけいるだろうか?

 実は、長年にわたる森林開発などの原因により、野生の個体数は減少しており、2007年には環境省から絶滅危惧II類に指定されている。今では野生のオオクワガタを見つけるのは非常に困難で、著者の野澤亘伸さんが長年探し求めても、発見できなかったという。野澤さんはプロカメラマン歴30年でポートレイトやグラビアの撮影を中心に活躍中の幼少期からの“虫好き”で、趣味として昆虫を撮影してきた。

 そんな野澤さんがオオクワガタを追い求めた末に、教えを乞うたのは、オオクワガタを誰よりも知り尽くした、昆虫愛好家たちによる少数精鋭のエキスパート集団「インフィニティー∞ブラック」だった──。

 険しい山々にも分け入っていくインフィニティーのメンバーたちと共に行動するうちに、彼らに認められた野澤さんは、どの図鑑や論文にも載っていないような経験に裏打ちされた知識を聞くことができた。それらを野澤さんがまとめた本が、『オオクワガタに人生を懸けた男たち』(双葉社)だ。

 インフィニティーのメンバーに教わった一級品の知識に加え、オオクワガタを追い求める男たちの怪我あり、熊あり、オバケあり、さらには妻の激怒あり……という彼らの“生態”についても、野澤さんに語ってもらった。

 

■オオクワガタの特徴とは? かつて「1000万円」の値がついたことも

 

──そもそも、オオクワガタは普通のクワガタと何が違うのでしょうか。

 

野澤亘伸(以下=野澤):まず、オオクワガタは個体数が少なく、野生下で出会うことが非常に難しい、希少性の高いクワガタです。日本のクワガタでは、ミヤマクワガタやノコギリクワガタも有名ですが、その採れなさはとても比じゃない。日本一採るのが難しいクワガタといえるでしょう。野生の個体で70ミリ後半のサイズが確認されており、体の幅、顎の太さもあって、その美しい形に圧倒されます。オーラがあるんですよ。存在感に加えて、手に持った時の重量感は他のクワガタと別格だし、完璧なフォルムとラインだからどの角度から見てもカッコイイでしょう?

 

野生下では大型である71ミリのオオクワガタは、一生に一頭クラスのレア度(写真/インフィニティー・ブラック)

 

──な、なるほど……。虫好きの方を惹きつける格好良さがあることは、よく伝わってきました。

 

野澤:昭和の頃にはこのオオクワガタが一大ブームとなり、価格も高騰しました。伊勢丹のような都会の高級デパートでは、大きなもので10万円を超える値がつき、「黒いダイヤモンド」と呼ばれました。

 

 この時代に売られていたのは野生で捕獲してきたものが多かったのですが、段々と飼育下で大きな個体が増えていき、ブリーダーによって大きく育てられたものが売られるようになりました。1999年には、それまで“夢のサイズ”と言われていた80ミリを超えるオオクワガタが生まれ、都内の専門店がその個体に1000万円の値をつけて大ニュースになったこともあります。

 

 今は、飼育道具が開発されたり大型の個体を掛け合わせたりして80ミリを超えるものがどんどん出てきているので、天然個体も含めてオオクワガタの値段は下がってきています。ホームセンターで2000円出せば手に入るものがあるくらいですね。

 

■昔の図鑑が生んだ「誤解」と「憧れ」

 

──野生で出会うのが難しいとのことですが、図鑑には日本の多くの地域に生息していると書かれていますよね。なぜ見つけるのが難しいのでしょうか。

 

野澤:そもそも、“日本の多くの地域に生息している”というのは大きな誤解なんです。昆虫図鑑を読み、そこら辺の野山にいるんじゃないかと皆期待をするんですが、いざ探してみるとどこにもいない。昭和30~40年代の図鑑だと「桜の木のウロにいる」と書かれていたものもありましたよ。そんなところには棲みつかないのに。当時の昆虫図鑑は、戦前の古い生息記録を元にしたまま、それを改定せずに幾度も版を重ねたりしていましたから、いい加減な部分もあったんです。戦後は日本中で開発が進み、木々も伐採されていますから、状況が全く異なります。

 

 こうした図鑑の古い情報が誤解を広めてしまいました。でも、それがかえって「どこかにいるはずなのに見つからない、いつかは会ってみたい」という“幻の恋人”に抱くような恋心にも似た憧れを、多くの少年に植え付けることにもなったんです(笑)。

 

──なるほど、図鑑の誤った情報も悪影響ばかりではなかったんですね。

 

野澤:ええ、そうなんです。また、オオクワガタを見つけるのが難しい理由の一つに、他のクワガタとは違った特殊な生態があります。

 

 まず、オオクワガタは昆虫として大型で目立ちますので、天敵の鳥類などに捕食されやすい。そのためか警戒心がとても強く、慎重に行動するんです。

 

 メスが卵を産み付ける木も、厳しい条件をクリアしたものだけ。メスはクヌギやコナラなどの木が立ったまま枯れている「立ち枯れ」というものに産卵をします。なかでも「生枯れ」といって、木の本体は生きているけれど枝などが部分的に枯れた場所を好みます。この生枯れは高所に多いので、人が見つけるのは非常に困難です。

 

 メスが夏に産卵すると、2~3週間で卵が孵って幼虫になります。大型の昆虫は幼虫の期間が長く、オオクワガタの場合は2~3年。地域やエサの状況によって、期間は異なりますが。幼虫の間は白色腐朽菌というキノコの菌糸により腐敗して「白枯れ」という状態になった木と、そこで繁殖するバクテリアをエサに成長します。

 

 幼虫期間が長いということは、その間に病死したり外敵に捕食されたりする可能性も高まるということです。良い条件の白枯れの木でも複数のオオクワガタが産卵すれば、多くの幼虫がその木を食べることで木が倒れてしまい、幼虫に適さない環境となって全滅してしまうことも。朽木がちょうど良い白枯れの状態でいられるのもせいぜい5年程度と短い。他にも雨水が浸透して幼虫が溺れたり、キツツキに食べられたりすることもあるんです。

 

ブナの大木の折れ株(写真/野澤亘伸)

 

──いくらメスが好条件の木を選んで産卵しても、無事に成虫になれるとは限らないんですね。

 

野澤:はい。メスが一度に30個の卵を産み付けたとして、2年目を迎えられるのは約半数、3年目には3分の1程度になり、成虫になれるのは5匹程度ではないかと予想されます。オオクワガタは寿命が長く、飼育下だと5~6年は生きます。状況が良ければ、一頭のメスが一生に産む卵の数も50個を超えると推測されます。野生では条件がかなり違うでしょうが、少なくとも2~3か月で死んでしまう他のクワガタよりはずっと長生きですから、理論的には多くの卵を産むことが可能です。それでも、成虫になるまでの条件が厳しいので、個体数が少ないのです。

 

■「一等地のタワマン高層階」にしか住まない成虫のオオクワガタ

 

──木の高所で幼虫時代を生き抜いた個体は、成虫になってからどこに棲むのですか。

 

野澤:成虫のオオクワガタは、棲む場所に“異常なこだわり”をもっています。コクワガタやヒラタクワガタはうまく隠れられないような小さな窪みでも身を寄せていますが、オオクワガタは決して“妥協”しません。

 

 何よりも身を隠すことに執着する彼らが棲むのは、樹液が染み出ている木のウロや、昆虫たちが長年樹液を舐めることによって樹皮がめくれてできる隙間です。

 

 人間に喩えると、間取りの良い部屋(ウロや樹皮めくれ)がなければダメで、そこが昔からの高級住宅街(二次林ではなく自然林)でないといけない。食事(樹液)も外食せずに家の中でする。さらに、家の前に目障りな建物があるのも嫌(開けた空間が好き)で、日当たりと風通しも含む全てが必須条件となります。加えて高層階(木の高い場所)が好きで、周りに竹林があるとさらに良い。つまり、「一等地のタワマン高層階」にしか住まないようなものです。

 

 こうした条件が揃った木は、自然の中にもそう多くはありません。山梨などにある有名な多産地を除くと、一山に2~3本くらいしかないとか。それを見つけられた個体だけが子孫を残すことができ、ほかは外敵に捕食されてしまうんです。

 

ウロで採集した大型の越冬個体(写真/インフィニティー・ブラック)

 

──そんな生態だと、とても素人には見つけられなさそうです。

 

野澤:虫好きのマニアであれば、多産地に行けば見つかる可能性はあがるでしょう。でも、情報の少ない産地で自力で見つけようとするなら、情熱を燃やし年200日山を歩いても、5年は見つからないなんてザラです。僕も虫が大好きで、これまで国内外で昆虫採集をしてきましたが、30年かかってもオオクワガタには出会えませんでした。

 

 それでも、どうしても憧れのオオクワガタを野生で見つけたくて、昆虫の専門誌の編集長から紹介してもらったのが、オオクワガタを探すことに人生を懸けている「インフィニティー∞ブラック」のメンバーだったのです。

 

──そこまで人を夢中にさせるオオクワガタの魅力、凄いですね。なんだか実物を見てみたくなってきました。

 

野澤:そう言っていただけるとすごく嬉しいです! 僕が『オクワガタに人生を懸けた男たち』で伝えたかったのは、オオクワガタでもそうでなくても、夢中になって虫を探すことはこんなに楽しいんだ、ということでしたから。

 

 また、インフィニティーのメンバーが培ってきた、図鑑にも論文にも載っていない貴重な知識を埋もれさせたくなかったので、本に残せて良かったです。

 

 オオクワガタに魅力を感じていても、生態についてはよく知らないという方も多くいらっしゃると思いますので、そうした方々にとって、この本が少しでも参考になれば嬉しいです。

 

プロカメラマンの野澤亘伸さん

 

※地域によって、採集が禁止されている生き物が決まっていますので、十分に調べてから採集するようにしましょう。生態系が保護される国立公園や、立ち入りが禁じられている私有地には入らないでください。採集の際は、むやみに木々や生き物を傷付けないように注意しましょう。