東京・奥多摩の、太古から神を祀ってきた霊山・御嶽山。その山の中にある神官屋敷は、作家・浅田次郎さんの母上のご実家である。少年時代、屋敷の大広間で伯母から聞かされた怪談めいた夜語りは、怖いけれど、引き込まれるものばかりだった──。
自身のルーツに由来する山の物語を描いてこられ、御嶽山での生活がなければ小説家にはなっていなかったという浅田さん。一方、40歳から始めた山登りで山の魅力にとりつかれ、生き方も変わったという俳優の市毛良枝さん。山という存在に魅せられ、時に畏れもしてきたおふたりの、山への想いを伺った。
取材・文=門賀美央子 写真=山口宏之
御嶽山の屋敷で、夜ごと聞かされた寝物語は、妖しく謎めいていた──
市毛良枝(以下=市毛):私が初めて読んだ浅田さんの作品は『地下鉄に乗って』だったのですが、そこに描かれた風景は私も見たことがあるものばかりで、「ああ、そうそう。こんなだったなあ」と懐かしく感じたものでした。浅田さんと私は年齢がひとつ違いで、比較的近いエリアで育っているので、同じ景色を見てきたのでしょうね。さらに、ふたりともキリスト教系の学校に通っていたことなど、共通点が多くて。
浅田次郎(以下=浅田):そうですね。
市毛:でも、お母様の御実家は代々奥多摩の御嶽山で神官を務めるお家柄だったのですよね? それなのに、どうしてキリスト教系の学校に?
浅田:日本人は宗教に関してはいい加減だからでしょう(笑)。
市毛:いえいえ(笑)。完本として刊行された『神坐す山の物語』は、そのルーツを活かしてお書きになった小説なんですよね? 何編かは文庫版で読んでいましたが、今回完本版も改めて拝読しました。神秘的な物語と、昔ながらの美しい言葉遣いが印象的です。
浅田:ありがとうございます。母方の里は奥多摩の御嶽山に代々住んできた神官の家柄です。まさに山の神々とともに在り続けた一族ですね。今も山上には神気が溢れていて、いわばパワースポットでしょうか。
市毛:わかります。霊山だったんですよね。
浅田:はい。昔の御嶽山登山は単なる山登りではなく神詣でした。特定の寺社に信仰のある地域の人々が「講」という団体を組んで、参詣に行く習慣ですね。参加者は講全体の代参という立場でお祓いしてもらい、お守りなどをもらってくるわけですが、彼らが泊まる宿を御師が提供していたんです。だから、母の実家も、改築するまではそれこそ何百人もの人が一度に泊まれるほど大きな広間があったりしたものです。僕は物心ついた頃から、夏冬は毎年そこで過ごしていました。その際、夜ごと母の姉である伯母から寝物語を聞かされたのですが、妖しくも不思議な話が多くてね。やたらと広い部屋で聞く怪談めいた話は、それはもう怖かったですよ。普段は東京の街中に住んでいる子どもにとって、古くて大きな屋敷ほど怖いものはない(笑)。
市毛:ワクワクします(笑)。
浅田:でも、僕はそれらの神さびた話がとても好きでした。そこで記憶を元に短編をいくつか書いたところ大変好評をいただいていたのですが、関連作品が複数の文庫に分散して収録されていたもので、この際一冊にまとめ、書き下ろしを加えてもう一度出させていただくことになりました。
市毛:私もたまたま今年の2月に山のエッセイ『73歳、ひとり楽しむ山歩き』を出していたので、今回は山つながりということでこうしてお話をさせてもらえることになり、うれしく思っています。
40歳は新しいことを始めるのに最適な年齢?
浅田:その御本に登山を始めたのは40歳を過ぎてからだったとお書きになっていましたが、それを読んでしみじみ思いました。俺はなんでこういう生活を40歳からできなかったんだろう、と。60歳を過ぎた頃に心臓を、70歳で肺を悪くしたせいで、今は登山なんてできません。もっと体を労っておけばよかった。
市毛:そうでしたか。
浅田:しかし、40歳になってからも新しいことを始められるという部分には大変共感しました。というのも、僕が小説家になったのはまさに40歳だったんです。40歳は、案外物事を新しく始めるのにいい年なのかもしれない。その頃から始めるものの方がむしろ身に付くというか。
市毛:わかります。40歳になったばかりの頃は、ここまでこういう生活をしてきたのだから、この先も死ぬまで似たような人生が続くんだろうと漠然と思っていたんです。ところが、ひょんなことから山登りを始めたら全然違う人生が待っていました。たかが40歳で勝手に人生の先が見えたなんて思うのは生意気でしたね。
浅田:でも、一つの節目であることは確かです。ああ、もうちょっと体を鍛えておけばよかったなあ……。
市毛:でも、若い頃は自衛隊に入っていらっしゃったのですよね? 相当鍛えられたのではないですか?
浅田:そうですね。飲まず食わずで歩き続ける経験もしました。だから、登山中の体の変化については、何度もうなずく箇所がありましたよ。たとえば、ある一定の苦しさを越えると急に楽になるとか。
市毛:はい、体が慣れるとつらくなくなるんです。私は車のアイドリングのようなものだと思っているんですけど、エンジンにオイルが行き渡ったら円滑に回るようなことが体に起きて、血液がうまく回り始めると元気になるんじゃないか、って。
浅田 高揚感も生まれますしね。
昭和30年代の登山ブーム、そして神の領域としての「山の在り方」とは
市毛:自衛隊といえば、奥多摩辺りには旧日本軍が切り拓いた道が今も残っていますよね。あの手の道って、考えられないほど急勾配のルートを取っているんです。
浅田:演習用だから直登※なんでしょう。今は登山道になっているんですか?
※急な斜面や岩場を回避せずに登っていくこと
市毛:ええ、そうなんです。本当にきつい道です。
浅田:昔の軍隊は車で移動することがなかったから、列車で行ける所まで行って、そこから直接山へ入る訓練をしたみたいです。御嶽山にも結構来ていたそうで、『神坐す-』にも関連するエピソードを書いています。戦前はレジャーで登山する人はそれほどいなかったと思いますが、昭和30年代になると登山ブームが起こりました。市毛さんも覚えていらっしゃると思うのですが。
市毛:ありましたありました! すごかったですよね。
浅田:あの頃は集団就職で東京に出てきた若者がいっぱいいました。ブームに乗った彼らは奥多摩や日本アルプスに向かうのに中央線を使うから、みんな新宿駅に集まるんです。ただし、市毛さんも御著書で書いておられたように、当時は登山なんて遭難しに行くようなものというイメージがあった。だから、高山に行くつもりでも親には近郊の低い山に行くなんて嘘をついて出てくる。とはいえ、みんな貧乏な時代だったから土日ごとに遠出するわけにはいかない。だから格好だけは登山服を着て、リュックを背負って、登山のスタートラインである新宿駅までとりあえず行く。
市毛:陸サーファーの登山版ですね(笑)。でも、どうして山には行かないとわかったんですか?
浅田:みんな、喫茶店で山の話をしていました(笑)。当時の新宿にはそういう人たち御用達の山小屋風喫茶店があったんです。
市毛:確かにありました。あれはそういうことだったんですね。
浅田:店内ではダークダックスの「山男の歌」やヨーデルが流れていて、とりあえず登山気分だけは味わえる(笑)。
市毛:なるほど(笑)。でも、その世代の人たちはまだまだ現役で山登りをしていますよ。
浅田:そうですか。僕は最近、自分で自分を年寄りにしちゃっているところがあるんだけど、やっぱりもう少し頑張らなきゃ駄目ですね。とはいえ、自分で自分を年寄りにしちゃうと居心地がいいんです。何でも歳のせいにできるから。でも、市毛さんの文章を読んで、考え方がちょっと変わりました。
市毛:それはよかった。昔の70代に比べれば、今の70代はみんな若いですから。
浅田:そうなんですよ。『神坐す-』に出てくる神官の祖父や語り手の伯母はものすごい年寄りのように読めると思いますが、実年齢は今の僕よりも若い。老人も、世の中も、ずいぶんと変わりました。しかし、神の領域としての山の在り方は変えてはいけない。やたらに木を切ってもいけない。人間は自然とともにあるべきです。
市毛:その通りです。私も、浅田さんの御嶽山シリーズを読んで、私の言いたかったことをこんなにも美しい言葉で表現してくださっていることに感動しました。山には神が坐す、という観念。それは、これからも守り受け継いでいくべき、かけがえのない文化だと思います。
【あらすじ】
『完本 神坐す山の物語』
奥多摩の、太古から神を祀ってきた霊山・御嶽山にある神官屋敷は、作家・浅田氏の実家である。彼の少年時代、伯母から聞かされた怪談めいた夜語り。それは怖いけれど、美しくも哀しく、引き込まれるものばかりだった──。単行本未収録作品と書き下ろし作品を加えた完本版。
ヘアメイク:吉村英里・スタイリング:金野春奈(市毛さん)
衣装協力(市毛さん):トップス3万5200円、スカート4万4000円(共にアデリー/オフィス サプライズ TEL:03-6228-6477)その他スタイリスト私物 *すべて税込