東京・奥多摩にある、太古から神を祀ってきた霊山・御嶽山みたけさん。作家・浅田次郎氏が子どもだったころ、その山に代々伝わる神官屋敷の大広間で、美しい伯母に夜な夜な聞かされた怪談めいた寝物語。その家に古くから伝わる怖い話は、妖しくも心ひかれるものばかりで、少年の想像力を逞しくさせました。

「御嶽山での生活がなければ小説家にはなっていなかった」という浅田さんのルーツともいうべき山の物語が、新たに書き下ろし短編と単行本未収録作を加え、完全版として刊行。そんな『完本 神坐す山の物語』の読みどころを「小説推理」2024年8月号に掲載された書評家・大矢博子さんのレビューでご紹介します。

 

完本 神坐す山の物語

 

完本 神坐す山の物語

 

■『完本 神坐す山の物語』浅田次郎  /大矢博子 [評]

 

書き下ろしや単行本未収録作も加わり、あの山の物語が「完本」となって登場。シリーズが一冊にまとまったことで見えてきた家族の物語とは──。

 

 浅田次郎氏のご母堂の実家は、奥多摩の御嶽山にある武蔵御嶽神社である。古来からの由緒あるその神社で代々神官を務めてきた家に、浅田氏は幼い頃から幾度も泊まりに行った。そこで伯母から聞いた不思議な昔語りや神社に伝わる話に脚色を加えたのが本書だ。

 ──と書くと「それもう読んだ」と思われるかもしれないが、ちょっとお待ちを。本書は2014年に出た短編集『神坐す山の物語』に、4篇を加えた「完全版」なのである。「赤い絆」と「お狐様の話」は別の短編集『あやしうらめしあなかなし』に収められていたもの、「山揺らぐ」は書き下ろし、「神上りましし諸人の話」は単行本未収録だったあとがき代わりの1編だ。

 収録作の大半は幽霊譚、怪異譚である。大正時代を舞台に狐憑きや天狗が出てくる話もあれば、死ぬ前に「私」に会いにきた伯父の魂の話もある。個人的に最も好きなのは訓練中にはぐれた歩兵を探す部隊の話「兵隊宿」だ。怪談としての練度もさることながら、驚きに満ちた構成は上質なミステリのような読後感をもたらした。また、新たに書き下ろされた「山揺らぐ」は関東大震災で朝鮮民族に対するデマが流れたときの様子が描かれる。大きな震災を経た現代だからこそ加えられた1編だ。

 そしてシリーズがまとまったこの完全版を読んで初めて、気付いたことがある。これは怪談集である前に家族を──脈々と続く親族を描いた物語なのだ、ということだ。

 験力を持つ曽祖父。その血を受け継ぐ娘と凡人の婿。その間に生まれた息子や娘たち。そしてその子どもたち。皆それぞれの運命を従容と受け入れ、次の代に渡していく。受け継がれる、というテーマがここには明確に存在する。

 作中、「私」は悟る。「生命は父母から授かったわけではなく、それこそ神代から連綿と繋がって、この肉体を生成しているのだ」──と。

 曽祖父から「私」までの四代が登場する意味はそこにある。それは血縁だけに限らない。関東大震災を描いた「山揺らぐ」然り、伊勢湾台風の「天狗の嫁」然り。私たちはそこに、自分の体験した災害を重ねるだろう。同じ思いをした人が過去にもいた。その人たちの悲しみや喜びを受け継いで今があるのだとあらためて感じるだろう。

 完本、として一冊にまとまった意味がすとんと腑に落ちた。これはまとめて読むべきだ。前作を読んだ方も、あらためて手に取っていただきたい。