稀少がんを患う医者として闘病や日々の想いを発信している緩和ケア医の大橋洋平さんは、俳優の小倉一郎さんの『がん「ステージ4」から生まれ変わって いのちの歳時記』をいかに読んだのか。患者と医者の両面からこの本の感想を綴っていただいた。
■『がん「ステージ4」から生まれ変わって いのちの歳時記』小倉一郎 /大橋洋平 [評]
「モニターしか見ないドクターには要注意」──
がんから奇跡の生還を果たした小倉一郎さんの慧眼
一医者として、また一がん患者として、俳優・小倉一郎さんが明かした奇跡の闘病体験は、今、病に苦しむがん患者さんだけでなく、全医療者が白衣の襟を正して読むべきものだと思う。
役柄では気弱な印象がある小倉さんだが、このたび上梓された本『がん「ステージ4」から生まれ変わって いのちの歳時記』を読むと、意外にもご本人の本質はとにかくタフだ。若き日、理不尽なケンカをふっかけてきたショーケンこと萩原健一さんを、ガラスの灰皿片手に撃退したというから間違いない。
そんな彼だから、総合病院の医師に“ステージ4の肺がんであり、余命は1~2年”と告知されても、ひどく取り乱したりはしない。残された時間を「あと1年」ととらえ、美しく締めくくるために俳句の結社をつくるのだ。
本文の折々に挟み込まれたこの俳句がまた、素晴らしい。私も少々たしなむが、どこに投稿してもボツ、ボツ、ボツ。毎日、生きとるのが精いっぱいの身には、ホントにうらやましい……。
中でも、タフな小倉さんの本領が存分に発揮されているのが、「最後まで生きるのをあきらめないための3カ条」として語られた「その3 モニターしか見ないドクターには要注意」だろう。
肺がんを告知した総合病院の医師は、一度も小倉さんと目を合わせることなく、患部の映ったモニターを見たままだったという。「命の期限を患者に正しく伝えるのが医師のつとめ」であり、「限られた診療時間のなかで、できるだけ病状を正確に伝えなくては」という真摯な気持ちから出た行為だった、かもしれない。「だとしても」と続けた小倉さんの言葉に、ハッとさせられた。
《生意気な言い方をお許しいただければ、「ドクターには医者として、肝心なところが抜け落ちていたのではないか」と僕は思います。「病気」は診ていても、肝心の「病気にかかった人間」そのものは見ていなかったのではないか。》
一患者として、共感しかない。もちろん、病の診断と治療においてモニターを見るのは必須だ。だが、患者が求めるものは、何か? そう、「わたしの」心身の不調はどこから来ているのか見つけてほしいのだ。もしそれが病ならば、やっぱり治してほしい。だから、モニター見ててもええ。お愛想なんかいらん。でも、時にはこっちも見てほしい。だって、人間同士なんやから!!
ちょっとでもこちらを見てもらうと、患者は話を聞いてもらえたとホッとする。話を聞いてもらえたら、オレのことわかってもらえた気になる。わかってもらえたら生きる力が湧いてきて、病と闘える──すみません、つい熱くなってしまいました。
小倉さんは“必ずしも目を合わせてくれるドクター=良医とは限らない。愛想ばかりがよくて、腕が伴わないケースもあるかもしれない。”と控えめにおっしゃっているけれど、そもそも腕の伴わない医者なんて論外である。患者の目「すら」見られない医者は、やっぱりダメです。小倉さんのような著名人が、正面切ってそのことを言ってくれた。とても意義深いことだ。
小倉さん、がん患者の皆さん。一緒に「生きること」を頑張りましょう。いい意味で、ワガママ全開で。