37歳で夢を見るのは無謀なのか? B級ボクサーが9か月でチャンピオンになれるとはだれがどう考えても思えないのに、なぜか応援したくなってしまう。フリーのテレビディレクターである著者自身も取材者の域を超えて熱狂してしまうほどの熱き闘いの日々。初の著作ながら第52回大宅壮一ノンフィクション賞と第20回新潮ドキュメント賞にノミネートされた話題作が待望の文庫化。執筆の裏話を著者の山本草介さんにうかがった。

 

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殴らないで勝ちたい変人ボクサー

 

──米澤には強いパンチもないし、スピードもない。愚直に超接近戦でボディを打ち続けて相手をへばらせて倒すしかありません。KOで会場を沸かせるような華もないのに、どうしてなのかみんな米澤を応援したくなる。山本さんはその代表格ですが、米澤の魅力とは一体なんだったのでしょうか?

 

山本草介(以下=山本): ボクサーとして見れば、どんなに強い相手でも逃げないところかもしれません。特に取材が始まって2戦目の福山和徹戦(ミドル級日本ランキング3位)でしょうか。打たれても打たれても、前に出続ける米澤さん。その姿は圧倒的でした。「殴らないで勝てる方法はありますかね?」なんてことを聞いてくるくらい優しい男なのに、倒れないで前に出る。あの根性はすごかった。取材当初、あんまりボクシングは強くはなかったかもしれませんが、心は強かった。そこに惹かれたのかもしれません。

 

──米澤からはじめて「日本チャンピオンになりたい」と聞いたとき、どう思われました?

 

山本:頭を抱えました。本気で言ってるのか、と。言わなきゃ練習に行く気持ちにならないから言っているのか、よく理解できずに僕は混乱しました。でも、米澤さんと同棲していた彼女のみな子さんが「なれると思う。そのための生活をしてるから」と真っ直ぐに僕の眼を見て言ったとき、ショックを受けました。冷静に考えたら難しいかもしれないけれど、その「冷静に考えるって、どういうことなの?」って突きつけられたような気がしました。

 

──福山に負けてますます崖っぷちなのに、なぜか韓国の東洋太平洋ランキング14位のイ・ウンチャンには勝ってしまう。チャンピオンへの道が見えてきた──米澤陣営のスタッフも、番組を見ていた視聴者も奇跡を信じ始めたと思います。山本さんは、一番近くで米澤を見ていて、どう思いました?

 

山本:一番近くで試合を見ていたし、カメラも回していたのですが、判定勝利が決まったときに、なんだか、「あれ?」みたいな感じでした。特に「うおー! やった!」みたいな高揚感はなかったです。実感がないというか。KOで圧倒的な力を見せつけたわけでもないし、大逆転勝利みたいな派手なこともなく、相手選手と額がぶつかって米澤さんが出血してドクターストップになって判定……というよくわからない展開だったので。だからうれしいのはうれしいのですが、「なんで勝てたの?」みたいな感じでした。

 これ、どうやって編集すればいいの、という心配の方が勝りました。ただ、勝利の事実は事実で……時間が経つにつれ、「もしかしてすごいことになってきたのではないか?」と思い始めました。定年まで4か月前に東洋太平洋ランキングにはじめて入るボクサーなんてこれまでいたのかとか、日本ランキングにも入れなかったボクサーなのにとか、段々と米澤さんがやっていることが、とんでもない奇跡になるかもしれない、と期待を持ち始めました。

 

無謀なマッチメイクを実現させた有吉会長(左)と小林トレーナー(右) 撮影=小田振一郎

 

ドトールで仮眠してからストイックに練習

 

──米澤は特異なボクサーです。普段は夜勤仕事で身体を酷使しているのに、ストイックに練習に励み、お金がないから彼女の家に転がり込む。学生時代はレスリングを経験し、30歳で始めたボクシングにのめり込み、36歳で無謀な挑戦を始めた。山本さんがそんな「変人ボクサー」を追い続けた理由はなんだったのでしょうか?

 

山本:本当に滅茶苦茶なところですね。夜勤明けにドトールの椅子で寝て、それからジムに行く姿を初めて見て、ちょっと常人じゃないなと思い始めました。普通、身体が持たないですよ。ドトールで寝るっていうのは……。食べるものは三食ぜんぶ鶏肉を入れた青汁ご飯っていうのも本当に驚いたし、しかも毎食おいしそうに食べているし……。殴りたくないボクサーっていうのも、おかしい。それに米澤さんは父親からも「お前は優しすぎるからボクシングに向いてない! ちゃんと就職しろ!」と怒られている。色々な面で滅茶苦茶で理屈が通らなすぎて、興味が尽きなかったですね。最大の謎は、「なぜ闘うのか?」という根本的なことなのですが、何度聞いてもよくわからない。本書を書き進めて、そこを解明していこうというのが、一つの軸になりました。

 

──なるほど。本書のテーマですね、「米澤はなぜ戦うのか」。しかし、米澤の努力の日々は報われませんでした。奇跡は起こらなかったとしても、米澤が目指した「グレイトファイト」は確かにあったということなのか。振り返ってみていかがですか?

 

山本:伝えたかったことは、やっぱり「諦めないこと」ですかね。米澤さんは世間的な評価はないし、親からも応援してもらえないし、金銭的にも全く儲からない。まだ20代の若者だったらいいですが、36歳にもなってそんなことをずっと続けていた。尋常でないやり方で。本書にも書きましたが、僕自身、あの人の諦めの悪さをずっとそばで見ていて、最初は結構、冷ややかに見ていました。でも、最後には「自分もがんばろう」と思ったし、この本を書いたのも、誰にも読まれなくても全力を尽くそうと思ったからなんですよ。誰にも誉められなくても、米澤さんはやったじゃないかって。じゃあ、僕もやろうって。だから、書けたんです。伝えたいのは「諦めてはいけない」ということかもしれません。

 

──本書は山本さんにとって初の著書でした。あとがきに書くことの歓びについて書かれていました。これまで影響を受けた本はあったのでしょうか?

 

山本:影響を受けたというか、これはとんでもない本だなって思ったのは、ノンフィクションだと、石牟礼道子さんの『苦海浄土』です。水俣病の患者さんたちの非常に感動的な長い独白があるのですが、実は石牟礼さんは、患者さんたちには2、3回しか会っておらず、ほとんど想像力によって書かれたものだと解説にあって、本当に驚きました。要は「勝手に」書いた作品なのです。なのに患者さんからはクレームなどなく、ずっと読まれ続けている。ノンフィクションというものの存在を考えさせられました。石牟礼さんは、言葉を発することのできない患者さんの心を想像力によって代弁したのです。吉村昭さんの『羆嵐』やスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』、最近はトルーマン・カポーティーの『冷血』にも大きな衝撃を受けました。

 フィクションだと、エーリヒ・ケストナー『ふたりのロッテ』、フォークナー『八月の光』、マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』、ガルシア・マルケス『百年の孤独』あたりと、チェーホフの短編や保坂和志さんの小説も好きです。また影響を受けたということでいうと、いま、絵本作家の舘野鴻さんのドキュメンタリー映画を作っています。舘野さんは10年くらいかけて1冊のものすごく緻密な虫の絵本を描く人で、一緒に獣道を歩いたり、苔まみれの谷で一日中過ごしたり、北アルプスの2500メートルくらいの山々で高山病になりながら蝶々を追いかけたりしているうちに、作家は身体で世界と向き合うものだと僕は知りました。それで、僕も舘野さんについていくためにジョギングをしたり、水を30リットル背負って土手を上り下りしたりするようになりました。

 

──山本さんも全身全霊で取材対象に食らいついているのがよくわかります。本書は、発売後に反響を呼び、第52回大宅壮一ノンフィクション賞と第20回新潮ドキュメント賞の候補作にもなりました。新潮ドキュメント賞の選考委員を務める池上彰さんは選評で「ボクシングという、私にとって未知の世界を垣間見せてくれたのが本書。読み進むうちに、みるみる引き込まれる文章力と、一気読みさせる『熱量』がありました」と語っていらっしゃいました。次作もお書きなっているそうですが、どんな「熱量」を作品に宿してくれるのか楽しみです。どういう人に密着したのか教えてください。

 

山本:茨城県日立市に「塙山キャバレー」という全店舗トタン張りの古い飲み屋街があるのですが、そこを舞台にしたドキュメンタリー番組を、2021年から2023年にかけてフジテレビの『ザ・ノンフィクション』で作りました。6回くらい連続もので放送されました。日立市は東日本大震災の時には震度6強という激震に揺られ、周りの建物が崩壊していく中で、なぜか昭和にタイムスリップしたようなオンボロ飲み屋街だけが無傷で残り、その日の夜も通常営業していた。とにかく不屈の飲み屋街なんです。それは、長年カウンターに立つママたちの不屈さと重なってきて……またむくむくと「書きたい」という思いが立ち上がってきました。今回も時間がかかっているのですが(ガスは止まっておりませんが)、ママと常連客たちの奇想天外な人生を書いています。書きながら、「これは本当に現代の話なのだろうか?」と僕も首をかしげながら、毎日原稿に向かっています。

 

【あらすじ】
ミドル級のボクサー・米澤重隆(36)は年齢制限による引退が迫っていた。現役を続けたるためにはチャンピオンになるしかない。大好きなボクシングを続けたい一心で無謀な挑戦を始める。リミットはたったの9か月。だが、周囲の予想に反して米澤は勝利を重ね東洋太平洋ランカーにのし上がり、誰もが奇跡を期待し始める。NHKドキュメンタリーで放送された米澤の挑戦は話題を呼び、ディレクターとして密着取材をした著者が書き下ろしたのが本作『一八〇秒の熱量』。