37歳で夢を見るのは無謀なのか? B級ボクサーが9か月でチャンピオンになれるとはだれがどう考えても思えないのに、なぜか応援したくなってしまう。フリーのテレビディレクターである著者自身も取材者の域を超えて熱狂してしまうほどの熱き闘いの日々。初の著作ながら第52回大宅壮一ノンフィクション賞と第20回新潮ドキュメント賞にノミネートされた話題作が待望の文庫化。執筆の裏話を著者の山本草介さんにうかがった。

 

普通のボクサーなら壊れてしまうからやらせない

 

──本作はミドル級のB級ボクサー・米澤重隆の9か月の挑戦を追いかけたボクシングノンフィクションです。2013年の話でちょうど10年前になります。当時は、「チャンピオンか世界ランカーにならなければ37歳で強制引退」という規定がありました。23年6月に年齢制限は撤廃となりましたが、この年齢制限がなければ、米澤の無謀でクレイジーな挑戦はあり得なかったのではないでしょうか?

 

山本草介(以下=山本): そう思います。まず、このタイムリミットがなければ、NHKドキュメンタリーの企画として通らなかっただろうし、僕が米澤さんと出会うこと自体なかった。米澤さん自身も年齢制限がない中でどこまで真剣にやれたかわかりません。もしかしたら、ダラダラと現役を続けていたかもしれません。9か月以内にB級ボクサーが日本チャンピオンを目指すというのは、やっぱり今考えてもおかしいですよね。

 よっぽどイケイケの若い才能ならまだしも、引退間近のB級ボクサーが……。なんでこんな挑戦をしたのかはいまだに謎なのですが、「時間がない」からこそ、青木ボクシングジムの有吉会長も所属の米澤本人も滅茶苦茶な闘いに挑めたのは確かだと思います。会長自身が、「普通の選手だったら、こんなことはさせないよね。だって壊れちゃうかもしれないから」と当時話していました。

 

──ドキュメンタリーの取材をしていた山本さんが、テレビ番組の尺では伝えきれないことが多く、ノンフィクションとして書き下ろしたのが本作です。番組が終了して業務終了……ではなく、どうして本を書こう思ったのかを改めて教えてください。この仕事を請け負うまではボクシングにまったく興味なかったんですよね?

 

山本:まったく興味がありませんでした。そんな自分になぜこんな仕事が舞い込んだのかというと、仕事を振ってきた人が、「興味のない奴の方が面白いものを作る」という妙な信念を持っていて、それに気圧されただけなんです。なんか、ディレクターが大好きな対象を撮ると、ダメだった例がたくさんあったみたいなんです。憧れていると、冷静に距離をとって見られないのかもしれません。今なら少し理解できますが、当時は、「何でこんな仕事やることになったんだろう?」と半ばふてくされてました(笑)。

 文章にしようと思ったのは、NHKのプロデューサーから「書かないか?」と言われたからです。なぜ、そういう声をかけてくれたのか、それはよくわかりません。11回にもわたる連続ドキュメンタリーが終わったあと、打ち上げで焼きとんを食べながらそんな話になって……。僕がよっぽど何か溜め込んだ顔をしていたのかもしれません。言われた瞬間、書こうかなと思ったのは確かです。それまで、ものを書いたことはありませんでしたが!

 

元ボクサーの米澤重隆氏(左)と著者の山本草介氏(右)。単行本刊行時に双葉社にて。

 

卒業論文より長い文章は書いたことがなかった

 

──執筆に夢中になるあまり、テレビディレクターの本業はおろそかになり、家のガスも料金未払いで止まるほどだったそうですね。そこまでして本を書こうと思った山本さんの執念とはなんだったのでしょうか?

 

山本:本にして出版しようとは思っていませんでした。最初は、面白かったら雑誌に載るかもという話はあったのですが、執筆に時間がかかりすぎて、いつの間にかその話はなくなっていました。正直、誰かが読んでくれるとは思っていなかったのです。一年以上かけて書いて、米澤さんに誕生日プレゼント代わりにPDFで送ったら「懐かしいっすね~」という拍子抜けするような感想が返ってきて、それだけでしたから。

 じゃあ、なぜ、そこまで夢中になって書いたのかということですが、書いていて楽しかったからです。それまで書いた最長の文章は大学の卒業論文。400字詰め原稿用紙で70枚程度でしたが、それを優に超えてもどんどん書きたいことが浮かんでくる。論文は四苦八苦したのに、こちらはどんどん筆が進む。「こんなに自分には書きたいものがあるのか!」と自分で自分を発見する日々はやっぱり楽しかったです。ただ、不思議なのは、一日かけて一行も書けない日があっても、やめようとは一度も思わなかった。疲れ切ってボロボロになっているのに、また明日になったら書けるに違いないと酒を飲んで寝てました。実はその頃、妻のお腹に赤ん坊がいて、貯金はどんどん減ってくるし、焦りは当然あったのに、なんでだったのか。米澤さんに「どうしてボクシングやってるの?」とたくさん質問しましたが、よくよく考えたら、僕の執筆と同じように答えがありません。

 

──有吉会長の言葉に「山本さんも絶対おかしくなってるから」とありましたが、撮影当時や執筆当時、周りの人からそういった指摘を受けましたか?

 

山本:撮影中にそういった指摘はなかったのですが、撮影したものを見て、「よくこんな場面を撮れたな」と周りの人には驚かれました。例えば、重要な試合の前に米澤さんが「(試合を)キャンセルさせてください」というまさかのギブアップ宣言のシーンです。普通の人は、ああいうことがあったとしても、撮影させない。テレビカメラの前ではなく、もっと隠れて話し合うはずですが、米澤さんも有吉会長もカメラを受け入れてくれた。

 9か月のロケ期間、撮影NGと言われたところはほとんどなかったです。もしかしたら、僕も米澤陣営の一員として認めてもらっていたのかもしれません。米澤さんと毎日一緒にアパートまで5キロ歩き、たくさん話をしてましたから。執筆中は、友人には呆れられてました。「いいものが書けている」と僕が興奮して話すと、「それ、どこで発表するの?」と冷静に言われました。まあ、当然ですよね。

 

(後編)に続きます

 

【あらすじ】
ミドル級のボクサー・米澤重隆(36)は年齢制限による引退が迫っていた。現役を続けたるためにはチャンピオンになるしかない。大好きなボクシングを続けたい一心で無謀な挑戦を始める。リミットはたったの9か月。だが、周囲の予想に反して米澤は勝利を重ね東洋太平洋ランカーにのし上がり、誰もが奇跡を期待し始める。NHKドキュメンタリーで放送された米澤の挑戦は話題を呼び、ディレクターとして密着取材をした著者が書き下ろしたのが本作『一八〇秒の熱量』。