2020年に初の小説を上梓した山田佳奈氏。失踪した認知症の父のために仲が良くない3兄弟が集まり、家族の形を問い直すという物語は大きな反響があったという。だが、小説が出たあと、実の父親が認知症になり、亡くなるという皮肉な偶然が……。「家族」を描くこと、そして人間を掘り下げること。文庫化に際し、『だから家族は、』と改題したデビュー作についてお話をうかがった。
「傷は研磨の作業だから、ついてもいい」という言葉が救いに
──単行本として『されど家族、あらがえど家族、だから家族は』を上梓したのが2020年でした。あれから3年。今回『だから家族は、』と改題したうえで文庫化するにあたり、あらためて本作をお読みになって、いかがでしたか。
山田佳奈(以下=山田):たくさんの反響があったデビュー作だったので、色々当時を思い出しながら著者校をしました。個人的に、この3年で一番大きな出来事は、父が亡くなったことですね。作中の父親と同じで、認知症になり、亡くなりました。小説のように失踪はしていませんが。
──そうだったんですね。お悔やみ申し上げます。
山田:この作品は元々、舞台の脚本だったんですが、その頃は元気だったんです。ですが、ちょうど小説にする前あたりに認知症になってしまったんですよね。作品に現実が引っ張られようなところがあったのかもしれません。
──物語を書き上げたあとで、同じようなことが現実で起きた。そのあたりはどう思われましたか。
山田:あらためて、人というのは出会いと別れなんだな、ということを強く感じましたね。それに、現実はもっとシビアでした。私には年上の兄弟が2人いるんですが、お葬式では、それぞれに親との別れ方があって、2人のことを見ていたら、自分がどう振る舞えばいいのかわからなくなってしまいました。もう何年も前に母が亡くなっていて、そのときは「この世の中にこんな哀しみがあるのか」というくらい泣いたのを覚えているんですが、今回は「泣くのは家に帰ってからでいいかな」と冷静な自分がいました。
──小説では、認知症の父親の失踪を機に、あまり仲が良くない兄弟3人が対峙する様子が各人の視点で綴られていきます。山田さんのご兄弟もそうですが、3人がそれぞれの立ち位置で親との関係や兄弟の関係を見つめ直していく姿が印象的です。
山田:自分の書くときの手癖というか、どうしても人間を掘り下げていきたくなってしまう。そうすると、わりと登場人物同士の諍いが多くなってしまうんですよ。突き詰めていくと、だから戦争ってなくならないんだな、って。だって、誰もが自分が一番幸せになりたいと思っている。それで意見をぶつけ合うと、必ず譲れないところが何かしら出てきますから。
──家族は社会を構成する最小単位、という言葉もありますから、恋人同士や友人同士、師弟関係、上下関係などに比べて、より感情を剥き出しにしてしまう場面が多いようにも思えます。
山田:家族って難しいな、と本当に思いますね。小説では最後に3兄弟が、かつての「家族の光景」を思い出しながら語り合う場面が出てきますが、それを経てもなお、3人の関係性は大して変わらないんじゃないかな、って思っています。
──先ほど、山田さんのお父さんが亡くなったというお話のなかで、お葬式でご兄弟を見ていたらご自身がどう振る舞えばいいのかわからなくなった、とおっしゃっていましたが、親の死のような人生において大きな出来事の渦中にいても、冷静にまわりを客観視しているというか、少し離れたところでカメラを回しているような感覚があるのかな、と思いました。物語の3兄弟の関係性は変わらない、とおっしゃったのも、山田さんなりに「関係性を客観視した」ゆえかな、と思ったのですが。
山田:子供の頃からそうなんです。10代の頃とか、学校生活に馴染めなかったところがあったり、兄弟と年が離れていたので、大人と関わる時間が多かったんですね。そこで培われた、というか、自然と身についた素養なんだと思います。
──人間を掘り下げていく、というところが山田作品に通じるポイントだとお話を聞いていると感じますが、この後、どのような作品を書いていきたいと思っていますか?
山田:今回、小説ははじめてでしたけど、舞台や映像作品を含めると物を書いて15年くらい経つんですよね。私自身もしんどい期間を経て今があるので、これからはいろんなことを経験してきた人を描けたらいいな、と。誰かの名言に「傷は研磨の作業だから、ついてもいい」という言葉があって、すごく救いになりました。そういう傷を負った人たちの物語を書いていけたらいいな、とも思っています。