『水を縫う』で河合隼雄物語賞を受賞、『川のほとりに立つ者は』で本屋大賞にノミネートされるなど、話題作が続く寺地はるなさん。最新文庫の『どうしてわたしはあの子じゃないの』は、同じ中学の同級生だった十代の少年少女の視線と、彼らが30歳になった時の視点で語られる、大人の青春小説だ。思春期の頃に抱いた強烈な憧れ、嫉妬、思い込み──痛々しくもまばゆい感情がちりばめられ、大人になったからこそ踏み出せた登場人物たちの新しい一歩が、読む者に救いと勇気を与えてくれる。
「小説推理」2021年1月号に掲載された書評家・大矢博子さんのレビューで『どうしてわたしはあの子じゃないの』の読みどころをご紹介する。
■『どうしてわたしはあの子じゃないの』寺地はるな /大矢博子 [評]
他人と自分を比べ、嫉妬や羨望を持て余していた思春期。大人になった彼らは当時の自分と向き合うことができるのか? 救いに満ちた大人の青春小説。
寺地はるなの小説は、心の中に巣食っていたもやもやをはっきり形にして見せてくれる。ああ、私はこれを抱えていたんだ、と初めて自分の気持ちに名前がつき、姿が見えてくる。その上で「さあ、進め」と背中を押される。
だからといって甘やかしてくれるわけではない。その文章は時に容赦なく、残酷な現実をつきつける。けれどその残酷な世界の中で、やっていけるさ、と伝えてくれる。だから私は寺地はるなの小説が好きなのだ。
佐賀県の片田舎の村で育った三島天は、故郷も家族も大嫌いで東京に憧れていた。だが家出してまで目指した東京では暮らしていけず、今は福岡のパン工場で働きながら、小説家を目指している。
天の同級生である藤生は、中学時代、天のことが好きだった。けれど天は「いつかここから出ていく」と決め、外の世界ばかり見て、藤生の思いにはまったく気づかない。
そんな藤生に片思いしていたのが、同じく中学時代の同級生、ミナだ。東京生まれで可愛くて、告白してくる男子も多かったミナ。だが藤生は天の方ばかり見ている。さらに家では暴君の祖父に抑えつけられる毎日。
物語は3人(+もうひとり)が持ち回りで視点人物を務め、中学時代の話と30歳になった今の様子が描かれる。
中学時代の、彼らひとりひとりの足掻きが堪らない。嫉妬、羨望、後悔。どうしてあの人が好きなのは私じゃないのか。どうしてあそこにいるのは自分じゃないのか。他の人にも悩みがあるなど想像もせず、自意識をもてあまし、感情をコントロールできず、自分で自分が嫌いになるような行動をとり、落ち込む。でも必死だった。一生懸命だった。誰しも心当たりのある「黒歴史」だ。
大人になったからといって、「あそこにいるのがどうして自分じゃないのか」という思いはなくならない。けれど3人は、自分は自分でしかないのだという悟りにも似たあきらめを身につけるとともに、そんな自分を赦し、そこでよりよく生きるという方法があることを知るのだ。
答えは冒頭に出ている。小説家を目指しながらパン工場で働く天が、コンベアに流れてくるケーキを前に何を考えているかを読んでいただきたい。物語は始まったばかりなのに、ここで私は胸が熱くなった。
進め、と寺地はるなは言う。やっていけるさ、と肩を叩いてくれる。なんと優しい物語だろう。この物語はきっと多くの読者を救うに違いない。