木村拓哉主演ドラマ『教場』原作者・長岡弘樹の45万部超ヒット作『傍聞き』の表題作に登場し、圧倒的な存在感を放ったシングルマザー刑事・啓子と、新聞記者となる娘・菜月。シリーズ第2作にして掉尾を飾る注目作。母娘の捜査力と、深まる人間模様も堪能できる5編を収録!
「小説推理」2023年10月号に掲載された書評家・佳多山大地さんのレビューで『球形の囁き』の読みどころをご紹介します。
■『球形の囁き』長岡弘樹 /佳多山大地[評]
「もしかしたら、一番世話になった母さんに逮捕されたがっているかも」──。優秀な警察官である母とその血を受け継ぐ娘は、まるで名探偵の座を競うライバル同士のよう。
新刊『球形の囁き』をもって、あの〈「傍聞き」シリーズ〉がついに完結! ──という売り文句だけでミステリーファンの食指を動かすには充分だろう。普通、こうしたシリーズ名は、主人公の名前が冠せられるもの。実際、Wヒロインの存在を立てて〈羽角啓子&菜月シリーズ〉などと呼ばれたりもするみたいだけれど、やはりミステリーファン一般に通りがいいのは、シリーズ皮切りの短編タイトルを掲げた〈「傍聞き」シリーズ〉のほうだろう。
それだけ「傍聞き」という短編のインパクトは強烈だった。いまや作者の長岡弘樹は押しも押されもせぬ“短編の名手”の地位にいるけれど、その評判を得る大きな1歩となったのが2008年の日本推理作家協会賞短編部門を受賞した「傍聞き」(双葉文庫『傍聞き』所収)の出来映えにほかならない。老婆の1人暮らしの家で盗みを働いた犯人が、とある場所で交わされた会話を傍聞き(漏れ聞き)したために自首を決断する物語は、歴代の短編部門受賞作のなかでも指折りの名品といって過言ではない。
この出世作「傍聞き」で初登場していたのが、杵坂署強行犯係刑事の羽角啓子と1人娘の菜月(当時は小学6年生)のWヒロインである。優秀な警察官である母啓子と、じつに名探偵と呼ぶほかない能力を発揮する娘の菜月は「赤い刻印」(双葉文庫『赤い刻印』所収)で颯爽と再登板を果たすと、いよいよ1冊まるごと彼女らの活躍を描いたシリーズ第1集『緋色の残響』(双葉文庫)を経て、今回最新の第2集にして完結編『球形の囁き』に至る。
シングルマザーの啓子と1人娘の菜月は、堅い信頼関係で結ばれている。と同時に、こと事件捜査においてはしばしば緊張感を孕むライバル関係にあるのが〈「傍聞き」シリーズ〉最大の魅力だろう。第1集を通して中学生だった菜月は、この第2集において高校生から大学生、さらに地元新聞社の記者へと急成長していくのだが、母啓子とまるで名探偵の座を競う構図は変わらない。第2集のなかでは、杵坂署の女性職員がビル内の非常階段で暴漢に襲われる第3話「路地裏の菜園」と、女性の転落死事件をめぐる決定的証拠が意外なかたちで出現する第4話「落ちた焦点」の切れ味が特にいい。菜月が次第に一人前の大人になる過程を印象的に描き、彼女と年を経る母とその周囲の人間模様の陰翳がますます濃いものになっていくのも見どころだ。本作をもってシリーズ完結とは聞くけれど、最後に読者が目にするのは羽角家の未来なのですよ。