歌人として活躍する東直子さんの最新短編集『ひとっこひとり』が刊行された。日常的な「言葉」を鍵にして描かれた12編は、その言葉と、言葉を発する人々の抱える孤独とが響き合う。短歌で大切にする余韻を、短編でも感じてもらえたら嬉しいと語る東直子さん。本作のテーマや、執筆にあたってのこだわりについてなど語ってもらった。
──本作は、日常の中でなじみのある言葉が、さまざまな孤独を抱えた人々の心に触れるときを鮮やかにとらえた短編集となっています。このような切り口を選んだきっかけがあれば教えて下さい。
東直子(以下=東):私の『とりつくしま』(ちくま文庫)の中の二つの短編が収載されている『NHK国際放送が選んだ日本の名作』(双葉文庫)を編集された担当者の方がお声掛け下さり、小説を連載することになりました。『とりつくしま』は、亡くなった人がモノにとりついてもう一度この世を眺めるという設定で主人公が毎回異なります。たいてい日常的に使うモノなのですが、今回は日常的な「言葉」が鍵となる小説、というアイディアをいただきました。折りしもコロナ禍だったので、誰もが自分自身とその人生について向き合わされた時期でもあり、言葉と孤独を響き合わせる話を書こうと思いつきました。
──第1話の「大丈夫」をはじめ、「覚えてる?」「もういいよ」「つれていって」など、収録作12編、各話のタイトルにもなっている「言葉」を選ぶにあたり、東さんが基準にしたことなどありますか?
東:よく耳にする言葉ばかりなので、典型的な使い方にはならないように工夫したつもりです。例えば「大丈夫」という言葉は、大丈夫じゃなくても安易に使ってしまう傾向があります。しかし、表面的な意味だけではなく、その奥に蠢くいわくいいがたい感情などを言外に感じさせる「大丈夫」として伝えられたら、と思いながら書きました。考えながら書くうちに見えてきたものもあるように思います
──執筆するにあたり、「言葉」と「物語」ではどちらが先に浮かんだのか興味があります。
東:基本的には、物語先行です。タイトルを『ひとっこひとり』にしたのは、なにかしらの孤独を抱えた人を描こうと思ったからです。ふとひとりで立ち尽くすような状況に立たされた人が誰かに出会ってなにかが変わる、というのが基本のコンセプトで、彼らが自然に交わす会話の中から物語の芯になる言葉をピックアップしました。
──全編、設定も読み心地も非常にバラエティに富んでいて、まるで玉手箱のような短編集です。各話の書き分けについて、特に心がけたことなどあったのでしょうか。
東:『とりつくしま』は、主人公が死んでしまったあとから物語が始まるのですが、その立場や状況は多様になるように考えました。今回も作り方として似ていて、いろいろな立場の人や心理を書き分けたいと思いました。コロナのことが直接出てくる話はそんなに多くはないのですが、通底する状況として暮らしの中のひとりきりの時間のようなものは常に意識していました。
──各話ともに原稿用紙で20枚程度です。この短い枚数で、ぎゅっと物語を凝縮させ、余韻を響かせる筆さばきは、まさに見事です。
東:ありがとうございます。余韻を感じてくださったこと、なにより嬉しいです。長く、五七五七七の三十一音に言葉を凝縮する短歌という詩型に関わってきましたが、短歌では、余韻をなにより大事にするところがあるので、その影響が短編でも出ているのかもしれません。それからどうなったのか、どうすればよかったのか、という物語の少し先のことは、読者の胸に委ねたいという気持ちがあります。
──第1話の「大丈夫」は、一人の主婦が、自分が抱えている秘密を夫に明かしたときに、夫からかけられた言葉「大丈夫だよ」をモチーフにした短編です。そんな言葉をかける夫に対し、「そう言う夫のやさしさは、いつもどこか的外れ」という主婦のモノローグに共感した世の妻も多かったのでは?
東:夫婦たるもの、あうんの呼吸でわかりあっているべき、という価値観が昭和の頃にはあった気がするのですが、ほんとうにそうだろうか、という疑問が昔からあり、知人などにいろいろと現実の話を聞く中で、夫婦の微妙な齟齬みたいなものが描けたらとずっと思っていたので、共感してもらえていたらありがたいです。
──毒親、不倫、認知症、不登校、コロナ禍など、社会背景を反映した物語も多く収録されているのが印象的でした。
東:ひとりきりの状況を考えていくと、自ずと現代的なテーマが見えてきて、結果的に社会背景を反映した物語となりました。今生きているということは、現在の空気を吸って生きているということなので、自ずと現代の気配は入ってくると思います。そこをはっきりテーマとして打ち出すということはこれまであまりしてこなかったと思うのですが、今回はわりあい能動的に踏み込んだ感じはありました。
──東さんの、特に思い入れのある作品があれば教えて下さい。
東:それぞれ思い入れはあるのですが(笑)、家族との関係を見直すような内容が多かったですね。その中で、血縁とは違う形での関係を模索した「またね」は、登場人物のその後の時間のことが気になっています。「覚えてる?」や「話して下さい」や「きれい」は、家族や友達などの一般的なイメージとは違う新たな関係性を見出す話を書きました。どこかで見聞した話をアレンジして書いていったのですが、人間の関係はもっと自由で多様であればいいなあと思う自分の希望も込めました。
──単行本化され、全編を通してお読みになった印象はいかがですか?
東:小説の連載はマラソンのようなもので、時には息があがってもう走れないかもと思う、ぎりぎりの心理状態で書くこともあるのですが、追いつめられれば追いつめられるほど、登場人物の気持ちと同化していくようで、夢中で書いていました。こうして読み直すと、一人一人一生懸命に生きているなあ、と感慨深い気持ちになりました。
──各話には、イラストレーター・三好愛さんによる連載時の挿絵も収録されていて、物語に彩りを添えています。
東:ゲラの段階では三好さんの絵は入っていないので、掲載誌の「小説推理」が届いて初めて拝見します。なので、雑誌を開いて三好さんの絵を見るのが、なによりも楽しみでした! 物語の核となる部分を押さえつつも余白のある絵で、物語を三好さんの絵ならではの豊かさで広げていただき、とても嬉しかったです。「ごめん」のデフォルメぶりには笑いつつ、独り身のどんよりとした心のありようが伝わって切なくもなりました。「もういいよ」のお弁当の具になる感じも楽しかったし、「きれい」は、星空の下の冷たい空気感も伝わって、とても好きでした。
──東さんはおもに歌人として活躍されています。創作するにあたり、短歌と小説ではどのような違い、もしくは共通点がありますか?
東:余韻に関して、短歌との共通点を語りましたが、最初から物語の一場面として短歌を作ることがあって、短歌から小説や戯曲に広げていったこともあります。『さようなら窓』(講談社文庫)という短編集がそれです。逆にエッセイや小説を書いたあとに、それをふまえて短歌を作って添えることもあります。今「PHP」で連載している「フランネルの紐」がその形を取っています。散文と短歌の一種のコラボレーションですが、そのときに気をつけているのが、それぞれがそれぞれを説明したりまとめたりしすぎないようにすることです。短歌も小説も理屈で説明できない部分に味わいがあると思うので。
──今後、小説でお書きになりたいテーマがありましたら教えて下さい。
東:実生活の中での現代短歌との関わりについて小説の形で書いてみたいです。また、実在の歌人の生涯も詳しく調べてみたいです。あるいは、私が中学生ごろに夢中になっていたSFやファンタジー要素の強い長編も命のあるうちに書けたらと、ずっと思っています。
──最後に、読者の方々へのメッセージをお願いします。
東:この世のどこかにこんな人がいるかもしれない、と思って書きましたので、この世のどこかにいるあなたと、本を通じて対話ができればうれしいと思っています。SNSなどで感想をお伝えいただければ、きっと読みますので、よろしくお願いいたします! 小説の中で未知の人が出会うように、読者同士がつながれたら、とてもすてきだなあと夢想しています。
12個のなにげない言葉のなかに、
きっとあなたが気になる言葉もあるはずです。
是非、ページをめくってみて下さい。
【あらすじ】
夫に抱えている秘密を言い出せない主婦。わかりあえないままだった老母の葬儀に向かう中年の娘。高校生の娘に弁当を作り続けるシングルファーザー。元担任教師に、強引に家に誘われた教え子。真夜中のニュータウンで出会った大学生と若い母親……。さまざまな淋しさを抱えた人々が口にした、何気ない「言葉」がつなぐ想いとは? 人気イラストレーター、三好愛氏の挿絵とともに贈る、切なくて温かな12編。
東直子(ひがし・なおこ)プロフィール
1963年広島県生まれ。歌人・作家。96年「草かんむりの訪問者」で第7回歌壇賞受賞。16年、小説『いとの森の家』で第31回坪田譲治文学賞受賞。主な小説に『とりつくしま』『階段にパレット』、エッセイに『一緒に生きる』『レモン石鹸泡立てる』。最新刊は『現代短歌版百人一首 花々は色あせるのね』。