これから馳星周作品を読み始めることのできる読者は幸せだ。血湧き肉躍る物語たちに親しみながらこれからの人生を謳歌できるであろう。作品群を眺めればその質量の豊富さを再確認できる。『不夜城』がデビュー作にして直木賞候補となった出世作であるが、この直木賞候補作品だけを追いかけても凄みを実感できるはずだ。99年『夜光虫』、00年『M』、04年『生誕祭』、07年『約束の地』、15年『アンタッチャブル』。そして20年『少年と犬』でついに直木賞受賞となった。その他、文学賞の受賞作品は97年『不夜城』で吉川英治文学新人賞と日本冒険小説協会大賞(国内部門)、98年『鎮魂歌 不夜城II』で日本推理作家協会賞(長編部門)、99年『漂流街』で大藪春彦賞と文字通りの破竹の勢い。日本の文壇を人気、実力ともに牽引していることは誰もが周知の事実である。

 数多の名作群のなかで個人的に思い入れが深いのは『不夜城』とそのダークサイドの系譜を継ぐ本作『雪月夜』はもちろんであるが、13年『ソウルメイト』も忘れがたい。人間と犬にまつわる感涙の家族小説であるが、その後の『少年と犬』にも連なる特別な存在感を放っている。生死病死をそのままに受け入れる犬が、物は言わずともなんとも雄弁。心で通い合う本能的な信頼関係からかけがえのない命の尊さがピュアに伝わる。

 16年の『比ぶ者なき』もまた良かった。これは藤原不比等を中心に古代日本の闇を描いた物語。隠されていた禁断の歴史の扉が開いた快感は衝撃的であった。このタイトルこそ馳星周のことであると唸らされた。18年『蒼き山嶺』はスリルに満ちた山岳冒険小説の傑作だ。壮絶な極限状態でのサスペンス、よもやのスケール感に命を結びつける友情に震えが止まらない。まさに見たこともない絶景を体感させる1冊である。こうして数冊を思い返しただけでも、この著者の手持ちのカードと引き出しの多さと奥深さに驚きを禁じ得ない。

 馳星周の描き出す豊饒な物語は、ひとりの作家が紡ぎだす独立した世界というより、人類の営みから湧きだす壮大な宇宙を感じさせる。ダークにしてネガティブな色合いからは怒りや呪いが擦りこまれ、明るくポジティブな要素からは清涼な祈りの境地が見えるのだ。それは一面の銀世界に滴る血痕のようであり、分厚い雲の切れ間から眩く差しこむ天使の梯子のようでもある。白黒の2面があるからこそ、それぞれの印象が際立つのである。

 人の世を凍らせる氷結は冷たいほど空気は清涼に澄みわたり、地獄の闇が深いほど天空に輝く月明かりは美しい。壮絶な運命によってつながった本書の2人の男。その素顔をじっくりと眺めれば、唯一無二のカタルシスが浮かび上がってくる。最近、甘口の小説が世に蔓延っていると嘆く前に、馳星周文学を全身に浴びるべきだ。汚れた皮膚をすべて剥ぎとったむき出しのリアルと、本物のノワール世界がそこにある。