憲法発布、国会開設、庶民の政治参加……。日本の民主主義は「土佐一の悪童」から始まった。板垣退助――志高きひとりの男の生き様に迫る『自由は死せず』の文庫版がついに発売された。直木賞受賞作『銀河鉄道の父』の映画化でも話題を集める歴史小説の俊英、門井慶喜氏に本作についてお話を伺った。

取材・文=河村道子

 

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感情を押し殺し、江藤新平を見捨てる判断をしたというのが、僕はすごく退助らしいと思います。

 

──様々なエピソードが重ねられていきますが、最も退助らしいと思われた史実、それを前にして、ご執筆されるなか、退助の人間像が最も腑に落ちたものとは?

 

門井慶喜(以下=門井):辛い話ですが、維新後、佐賀で士族の反乱を起こした後に敗走し、土佐まで助けを求めて逃げてきた江藤新平を退助は見捨てるんですよね。それは非常に辛い決断、けれど退助らしいぎりぎりの判断であったとも思うんです、理性と感情があった場合、55:45で理性を取ったというか。感情を押し殺し、江藤新平を見捨てる判断をしたというのが、僕はすごく退助らしいと思いますし、歴史に対しては価値があるのではないかと。

 人としてどうなんだ? と言われる方もなかにはいらっしゃるかもしれません。でも江藤新平を助けてしまえば、今度は土佐でも反乱が始まってしまうことは必定だった。辛い決断でしたけれど、僕は退助らしい良さが出た、純粋に感情でもなく、純粋に頭だけでもない、という人の良さが出た人生の場面だと思いました。

 

──戊辰戦争時、軍人として指揮をとった退助が、壮絶な戦いのあと、口にするのは「いくさとはつまらぬもの」「戦争は人命の無駄遣い」。彼はその後、刀ではなく、言論で政治を、世を変えていく道を選んでいきます。

 作家である門井さんも、言葉で世の中を変えていこうとする“言葉で闘う人”でもあります。退助の信念とご自身の思いには重なるところがあったのではないでしょうか。

 

門井:言葉で世界を変える人は基本的に2種類いると思うんです。ひとつは政治家、ひとつは詩人。政治家は世の中を変えようとして言葉を使います。詩人はそれを受け取る個人を変えるために、言葉を操る人だと思うんです。そういう意味で、小説家というのは、詩人と政治家の間にあるものだという基本認識が、おそらく僕にはあると思います。

 政治に関心がある、ない、ということとは別次元の問題として、純粋に読者個人に対して訴えかけようという部分と、社会に対して訴えかけたいという部分が両方あり、その真ん中にあるのがいわゆる作家の書く、言論でも詩でもない、散文というものだと思うんです。

 

──「板垣死すとも自由は死せず」という名言が生まれた、退助暗殺未遂事件の場面では、きっと驚いてしまう読者の方が数多いると思います。その名言が強すぎるがゆえ、自分が歴史の思い込みをしていたことに。

 

門井:歴史の思い込みってありますよね(笑)。『銀河鉄道の父』を読んだ方のなかに、“宮沢賢治は貧乏な家の子だと思っていた”と言う方が多くいらっしゃるようにね(笑)。

 

──その事件を起こしたのが、政敵ではなく、「きまじめな暗殺者」だったことも。

 

門井:一種の不平士族の変形みたいな人。暗殺者にもいろいろあって、同情できない人もいますけれど、彼についてはやや同情に値すると言ったら変ですけれど、そういうものも書かなければ、一方的な退助=正義の話になってしまう。そしておっしゃるとおり、「板垣死すとも自由は死せず」というセリフだけがひとり歩きしているということも。そのセリフだけを頼りに、読者が事件を追いかけていってしまうことにもなりかねないので、注意して書きました。

 

──退助の生涯を執筆され、感じられたこと、ご自身の気付きとなったこととは?

 

門井:幕末といいますか、江戸時代と明治時代というのはつながっているんだ、ということが肌感覚でわかりました。それは当たり前のことなんですけど、どうしても歴史というものを軸にすると、ここまでが近世、ここまでが近代と、明確な線があるように感じてしまう。でも今回、退助の人生を追っていったことで、やはり時代には区切りなんかないんだ、ということを実感しました。

 幕末には土佐藩の文官をし、明治以降は自由民権運動と、その人生は、教科書的に見たら線が引いてあるかのように分かれているけれど、つぶさに見ていくと、ひとりの人間が連続した時間を生きているということが改めてよくわかりました。時代には区切りがない、これはいろんな時代に適用できると思うんですね。戦前と戦後にも区切りはないし、バブル以前とバブル後にも区切りはない、昨日と今日も、今日と明日も区切りはない。あらゆるものの連続を層で見ることは僕も非常に勉強になったし、楽しかったし、現代の見方がちょっと変わりました。

 

【あらすじ】
土佐藩の上級武士の家に生まれた板垣退助。若い頃は時世に興味なし。藩主の山内容堂に”最悪”と評された男は、幕末の動乱を経て武器を捨て、言論で生きる道を歩む。誰もが政治に参加できる世の中に! と主張し、自由民権運動を推し進めた板垣退助。西郷隆盛、江藤新平、後藤象二郎らと幕末維新を駆け抜けた波乱万丈の生涯を描く。

 

門井慶喜(カドイ・ヨシノブ)プロフィール
1971年、群馬県生まれ。同志社大学文学部卒業。2003年「キッドナッパーズ」で第42回オール讀物推理小説新人賞を受賞し、作家デビュー。2016年『マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代』で第69回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)受賞。2018年には『銀河鉄道の父』で第158回直木賞を受賞。主な著書に『家康、江戸を建てる』『ゆけ、おりょう』『屋根をかける人』『『定価のない本』『自由は死せず』『東京、はじまる』『銀閣の人』『なぜ秀吉は』『地中の星』『ロミオとジュリエットと三人の魔女』『信長、鉄砲で君臨する』など。