見た目はほっこり笑顔の普通のおばちゃんなのに、鮨の腕前は銀座の一流店も顔負け。江戸前の仕事で新鮮な魚をさらに美味しく握る雅代さんは、悩んでいる者の心も握って解決してしまう。コロナ禍によってお店も夫婦関係も危機に陥るスペイン料理店のシェフ、創業社長の後を継いだ二代目女社長の苦悩、そして廃れる漁師町の活性化に挑む青年……彼らのもとに雅代が現れると……。
「小説推理」2023年3月号に掲載された書評家・大矢博子さんのレビューで『間借り鮨まさよ』の読みどころをご紹介します。
■『間借り鮨まさよ』原宏一 /大矢博子[評]
どうしてお店がうまくいかないのか? 悩める店主たちを鮨職人の雅代さんが救う。ほっこりあたたかな癒しの新シリーズ、満を持してここに開幕!
「ヤッさん」シリーズが完結を迎え、ああ、もうヤッさんには会えないんだなあと寂しく思っていた皆さん、原宏一による新しき「食の達人」が登場しましたよ!
その名も『間借り鮨まさよ』の雅代さんだ。
自分の店は持たず、全国各地の飲食店を短時間だけ間借りして鮨屋を開く。いつもニコニコした気のいいおばちゃん、けれどその腕は銀座の一流店にも引けをとらない。どこで開店するかわからない彼女の鮨を追いかけるファンもいるほどの、放浪の鮨職人である。
雅代が間借りするのは、なぜかどこも問題を抱えた店ばかり。けれど雅代の鮨を食べ、雅代に話を聞いてもらっているうちに、次第に心がほどけていく──という趣向だ。つまり本シリーズにはさまざまなジャンルの飲食店が次々と登場してくるというわけ。料理描写は鉄板の原宏一なのでそれだけでもワクワクするではないか。
第1貫「バスクの誓い」は、夫婦で営むバスク料理のお店。夜のコース料理だけのリストランテだったがコロナ禍で打撃を受け、ランチ営業を始めたり安価なスペイン料理のアラカルトを増やしたりテイクアウトを始めたりと工夫するも、客は戻って来ない。さらには疲労からか妻の機嫌が悪くなり、ついに夫婦仲にも亀裂が入ってしまう。
第2貫「能登栗の声」は、父の急逝で金沢の洋菓子店を継いだ若き2代目社長の悩み。売り上げの伸び悩むプリンの改良を職人に打診するも、聞く耳を持ってくれない。
第3貫「四方田食堂」は千葉の漁師町が舞台だ。東京で焼肉チェーンの経営に失敗し、自己破産した主人公が千葉の故郷に戻ってくる。昔馴染みの食堂を手伝い始めたものの、彼の料理は客に受け入れられず……。
それぞれの店がなぜうまくいかないのか。雅代さんは愚痴を聞いたり、ちょっとだけヒントを出したりして、優しく導く。ヤッさんとは違ったタイプだが、困っている人たちが少しずつ立ち直り、進む道を見つけるのは一緒だ。店主たちの迷いや間違いは私たちにも身に覚えがあるようなものばかりで、雅代さんはそんな読者たちも一緒に癒してくれるのである。なんてあたたかい物語だろう。
もちろん、雅代の握る鮨をはじめ、スペイン料理に栗のスイーツ、町の食堂の定食に至るまで、数々の美味しそうな料理が食欲を刺激すること請け合い。心が満たされ、代わりにお腹が空くという、嬉しいような困るようなシリーズの開幕である。