2021年、愛知県での定着が報告され話題になった寄生虫「エキノコックス」。北海道に生息するキタキツネの感染率は40%以上にも上ります。本来、キツネとネズミの間でライフサイクルが完結するはずのエキノコックス。しかしイレギュラーに人間に寄生してしまった場合、死に至る病を引き起こします。

 日本で本格的に対策が始まったのは戦後復興期。北海道礼文島出身者から相次いでエキノコックス症とみられる患者が発見され、その謎を解明すべく調査団が島に派遣された。河﨑秋子さんの最新小説『清浄島』ではそんな史実をもとに、エキノコックス症と闘った研究者と島民の姿を描きます。 

 今なお新規感染者が発生し続けるエキノコックス症。『清浄島』の刊行を記念して、北海道立衛生研究所で30年以上、エキノコックスの研究に携わってきた八木欣平さん(現北海道大学獣医学部客員研究員)と著者との対談が実現しました。
(取材・文=瀧井朝世)

 

 

河﨑秋子(以下=河﨑):このたびはお忙しいところありがとうございます。八木さんに最初にお会いしたのは5、6年前でしょうか。私が、昭和29年に礼文島出身者にエキノコックスの発症者が多数見つかり、島で撲滅を図ったことを知って小説にしたいなと思ったんですよね。編集者に相談したら調べてくださって、北海道立衛生研究所にエキノコックスの第一人者がいらっしゃるということで、八木さんをご紹介いただいて。いきなり押しかけてお話をうかがいましたよね(笑)。その後も、原稿を読んでいただいていろいろご指摘くださって、お時間とらせてしまいました。

 

八木欣平(以下=八木):いい経験でした。失礼な言い方になりますが、最初はどういうバックグラウンドの方なのかも、どのように小説の題材にするのかも分からなかったんです。でも原稿を読んで、小説を書かれる方はすごいなと改めて感じました。僕は科学的な事実の表現が正しいかチェックするために読みましたが、面白かったです。河﨑さんに書いていただけてよかった。これはぜひみんなに紹介したいです。

 

河﨑:ありがとうございます。『清浄島』の主人公であり、当時の礼文島にエキノコックスの調査に行く研究者、土橋義明は、八木さんの先輩にあたる衛生研究所に所属していた研究者の方を参考にしました。

 

八木:僕は1980年代にその方の下にいたんですよ。冗談の好きな、明るい方でしたね。少し前に亡くなったという葉書をもらって、時間が経ったことを実感しました。河﨑さんの書いたこの本を先輩にも読んでもらいたかったですね。

 

河﨑:そうなんです。この小説を書こうと思った頃にはすでにご療養中とのことでご挨拶できず、結局お会いすることはなかったんです。土橋以外は、基本的に登場人物にモデルはいなくて、勝手に想像させていただいたのですけれど。

 

八木:当時はエキノコックスの研究はまだ入り口で、分からないことがたくさんあった。それでも研究者は地道にひとつひとつ確認しながら進めなくてはいけない。その時の葛藤が小説の中に滲み出ていますね。僕からすると「なぜこんなに上手に書けるんだろう」と。

 

河﨑:畏れ入ります。

 

八木:研究者がヒロイックに書かれていたり、大げさに人がバタバタ死んだりする話でもないところもいいですね。抑制が利いていると感じました。

 

河﨑:初期のエキノコックス研究にあたられた研究者の方々のご活躍の記録を見て、絶対にヘンに物語化しすぎないようにしようと思いました。それで今回は現実に基づいたフィクションという形をとったんです。もちろん専門家の方から見て、ここはちょっと違う、という箇所はあると思いますが。

 過去の事例や研究もいろいろ調べましたが、本当に研究者のみなさんが身を切るようなご苦労をされたとよく分かりまして。先達あっての今の公衆衛生なんだと身に沁みました。

 

八木:小説の最初のほうに、笹の実のエピソードが出てきますよね。戦後の食糧不足の時期、岩手で小麦粉の代用品として笹の実でパンを作っていたら、それを食べた多くの妊婦が流産したという。

 

河﨑:後からあれは笹の実が毒なのではなく、笹の実に時々発生する麦角菌が原因だったと分かったんですよね。

 

八木:そのように科学というのは、後から振り返ってその原因があきらかになり、これからは止めましょうとなることが多い。笹の実の話はその良い例ですね。僕も勉強になりました。

 

河﨑:専門の方にそう言っていただけるのは、嬉しいです。

 

八木:研究者はみんな、本当に正しいことは分からないまま、その時点で分かっている範囲で何をどこまでやるかを判断しなければならない。『清浄島』の土橋も動物を殺処分するかどうか判断しなくてはならなくなりますが、それも分かっている範囲で決めなくてはいけなかったんですよね。

 僕ら研究者は人に話す時、いつも「本当のことは分からないけれど、今の技術ではここまで分かっている」ということをどう伝えるか悩むんです。でも、みなさんは研究者なら本当のことが分かっているんだろう、みたいなイメージを持たれていたりする。その研究者の悩みを、なぜ河﨑さんがここまで表現できるのか、ちょっと不思議な気すらします。

 

河﨑:それはやはり、事前に八木さんにお話をうかがえたのが大きかったんです。特に動物実験など、研究のなかでの命の扱い方のお話が印象に残っていまして。

 

八木:動物実験については研究者だって、「そんな可哀相なことを」と思っている。でもやっぱり、もし実験して分かったら社会に貢献できる、という気持ちがあると思います。主人公の土橋のそうした気持ちも描かれていて、すごいなと思いました。

 

河﨑:ありがとうございます。私は研究者ではないですが、元畜産関係者としてスクレイピーとかBSEの問題には直面し、割り切れないことがいろいろあったんです。そのあたりの思いは作品に入れた感じがあります。
※【編集部注】河﨑さんは元羊飼い。

 

八木:土橋に関しては、当時できる方法としてはあれしかなかったという理解をしています。ただあれが成功例として評価されていいのかは分からないですけれど。

 

河﨑:島民の方がたもご苦労がありましたよね。どういう感情を抱かれたのかは創作ですが、できるだけ、当時の方の気持ちから外れないようにしようと思いました。

 礼文島には取材に行きまして、本当にいいところでした。とても美しくて、人も温かくて、すごく親切にしていただいて。それは、エキノコックスを含め時代の荒波や、地形的な条件を潜り抜け、人としての営みを継続していらっしゃるからこそ得られたものだなと思いました。また今度は観光客として行って、少額ではありますがお金を落としていきたいなと思っています。あとは、礼文島いいところだよ! と勝手ながらアピールさせていただこう、と。

 

八木:僕、隣の利尻には行ったんですけれど、礼文には行ってないんですね。これを読んで、僕もぜひ訪問したいなと思いましたね。高山植物なんかも咲いているというし。

 

河﨑:温泉もありますよ。

 

『清浄島』発売記念対談〈後編〉──に続きます。

 

河﨑秋子
1979年北海道別海町生まれ。元羊飼い。2012年「東陬遺事」で第46回北海道新聞文学賞(創作・評論部門)を受賞。14年『颶風の王』で三浦綾子文学賞、16年に同作でJRA賞馬事文化賞、19年『肉弾』で第21回大藪春彦賞、20年『土に贖う』で第39回新田次郎文学賞を受賞。22年『絞め殺しの樹』で第167回直木三十五賞候補に。他書に『鳩護』『鯨の岬』『介護者D』ある。

八木欣平
1956年大阪府生まれ。1978年北海道大学獣医学部卒。1983年から2021年まで北海道立衛生研究所でエキノコックス、アニサキス等の寄生虫の研究に従事。1986年ボリビアで霊長類に関する調査研究、95年ウルグアイエキノコックスコントロールプロジェクトに参加(JICA)。2000年メルボルン大学客員研究員。現北大獣医学部客員研究員。

 

【あらすじ】
風が強く吹きつける日本海最北の離島、礼文島。昭和二十九年初夏、動物学者である土橋義明は単身、ここに赴任する。島の出身者から相次いで発見された「エキノコックス症」を解明するためだった。それは米粒ほどの寄生虫によって、腹が膨れて死に至る謎多き感染症。懸命に生きる島民を苛む病を撲滅すべく土橋は奮闘を続ける。だが、島外への更なる流行拡大を防ぐため、ある苦しい決断を迫られ……。