2014年、三浦綾子文学賞でデビュー後、新田次郎文学賞、大藪春彦賞を立て続けに受賞。さらには今年、『絞め殺しの樹』が直木三十五賞にノミネートされ話題となった河﨑秋子氏。いま最注目の作家の最新作は、寄生虫による謎の感染症を撲滅すべく闘い続けた人々を描く長編小説だ。厳しい自然の中で、無力な人間にいったい何ができるのか──史実をもとにした著者渾身の一作。

「小説推理」2022年12月号に掲載された書評家・杉江松恋さんのレビューで『清浄島』の読みどころをご紹介する。

 

北の海に浮かぶ美しい孤島に キツネが運んだ寄生虫「エキノコックス」。 それは「呪い」と恐れられる病を生んだ。 未知の感染症に挑む、若き研究者の闘いが始まる――  救える命があるならばあきらめてなるものか。  直木賞候補作『絞め殺しの樹』で注目の著者による 果てなき暗路に希望を灯す渾身の傑作長編

 

清浄島

 

■『清浄島』河﨑秋子  /杉江松恋:評

 

今もまだ続けられているエキノコックス症との闘いの原点を描く『清浄島』。生命を守ろうとする者たちの辛く、そして哀しい姿が胸を打つ。

 

 生命はすべて尊い。そしてすべてが重い。

 河﨑秋子『清浄島』は、2021年に発表した『絞め殺しの樹』で第167回直木賞候補となった作者の最新長篇だ。これまで河﨑は、故郷である北海道の歴史と風土を題材とする作品を書き続けてきた。『清浄島』の舞台は日本海に浮かぶ礼文島、生命と人々の暮らしを守ろうとする者たちの闘いが迫真の筆致で描かれる。

 1954(昭和29)年、北海道立衛生研究所の研究員である土橋義明は単身、礼文島に渡る。当時日本では極めて稀であったエキノコックス症が、この島の出身者のみに相次いで発症していた。この病は寄生虫による感染症である。礼文島で何が起きているのか。正確な感染経路を突き止めるための現地調査が土橋の任務である。

 土橋と島民の間には断絶がある。外部の論理を持ち込もうとする者を島民は強く警戒するのだ。序盤で描かれるこの文化摩擦は、本作における重要な主題の一つである。土橋にとってはエキノコックス症の根絶が最優先すべき課題だが、島民の豊かな生活文化は雑多な要素から成り立っている。外の論理を導入することは、それを破壊しかねないのである。自らの使命を貫こうとする土橋は、苦渋の決断を強いられる。

『清浄島』という題名の意味が明らかにされたとき、読者はエキノコックス症との闘いに辛い一面があることを知るだろう。河﨑が作品を通じて繰り返し行う、命に軽重があるものか、という問いかけが土橋の選択を通じて浮かび上がってくる。他の動物の命を奪わなければ生きていけない、人間という存在の哀しさも。

 土橋が、職務を通じてさまざまな人と出会い、深く知り合っていく小説でもある。島に来た当初は無気力な人間にしか見えなかった山田という役人にも、心中に複雑な内面があることがわかってくる。次郎という少年との交流は、土橋の純情を浮かび上がらせるはずだ。

 時系列に沿って記述される疫病との闘いが、本作の大きな外枠である。その中で人々がどのような表情で笑い、泣き、怒っていたかを描くことで、作中の時間も生きたものとなる。描かれているのは昭和29年の礼文島という過去だが、読者は自分と同じ血肉を持った人間がそこにいることを発見するはずである。人間の営みは歴史の上にあり、誰もが生命の連なりの中にいるのだということを意識させて物語は幕を下ろす。