今年、生誕150年という記念すべき節目の年を迎える岡本綺堂。『修善寺物語』『鳥篇山心中』など新歌舞伎作品や、「半七捕物帳」などの時代小説で、現在も多大な人気を博しているが、その一方で、幻想怪奇文学の名匠としても活躍した。綺堂の新たな魅力が発見できる貴重な一冊である『岡本綺堂 怪談文芸名作集』。編者の東雅夫さんにお話を伺った。

(取材・文=立花もも) 

 

世の不条理を怪談に重ねて描くという手法において、綺堂は大いなる先駆者であった

 

──〈青蛙堂主人〉を名乗る男が主催する怪談会の実況中継といった趣もある『青蛙神』に始まり、ラストは『百物語』で締めくくられる『岡本綺堂 怪談文芸名作集』。それぞれ出典の異なる短編なのに、読んでいる間中ずっと、ひとつの百物語の会に参加しているような、不思議な心地を味わっていました。

 

東雅夫(以下=東):やはり、ただ短編を一冊に寄せ集めるだけでなく、何かトータルな、新しい世界観を呈示しないことには、東雅夫編のアンソロジーとして、改めて世に問う意味はないんじゃないかと思っているんです。本書は、綺堂にとって2冊目の怪談集となる『近代異妖篇』を、まるごと一冊収載するのに加えて、その他の作品集からも代表作をいくつか入れて、綺堂怪談の全体像を把握できるようにしているのですが、岡本綺堂が非常に愛好していた、いわゆる〈百物語〉の形式を、より濃密に再現できるような形にさせていただきました。挿画も(せっかくのハードカバーなので)初出当時のままを再現することで、より雰囲気が出たんじゃないでしょうか。

 

──岡本綺堂といえば「半七捕物帳」、というイメージの強い人は、読むと意外な印象を抱くかもしれませんね。

 

東:綺堂は、関東大震災で一切合切を失いましてね。住み慣れた麹町の自宅とともに、長い年月をかけて蒐集した書籍類もすべて焼失してしまったため、文献資料がなくとも書くことができる怪奇小説や巷談を、本格的に書き始めたんです。まあ、綺堂の〈おばけずき〉は根が深くて、すでに最初期の習作時代から、百物語風の作品を書いたりしていますが、愛する江戸の風景が震災で息の根を止められ滅んでゆくなかで、改めて江戸怪談を語りなおすというのは、晩年の彼にとって大きなテーマの一つであったのだと思います。岡本綺堂生誕150年を迎える今年、関東大震災が起きてから100年という節目を来年に控えた今、どうせならば、彼の怪談文芸作品にも注目していただきたい、と思ったわけです。

 綺堂の文章は現代の人にも親しみやすく、構成もわかりやすいものが多いですしね。ただし、物語の因果は、分かりやすく描かないというのが、綺堂の怪談が放つ妖しい魅力でもあります。たとえば『寺町の竹藪』という話──。

 

──「あたし、もうみんなと遊ばないのよ。」と、突然、悲しげな顔で友達に宣言して消えた、お兼ちゃんという女の子が、そのとき実は別の場所で理不尽な目に遭っていた……という、わりと悲しいお話ですね。

 

東:たとえば『番町皿屋敷』で、お菊さんが夜な夜な井戸から現れるのは、無実の罪を着せられて殺された恨みを背負っているから。そんなふうに、江戸時代を舞台にするときは、因果応報の物語であることが多いんです。なにか悪いことが起きるときは、必ずそれだけの理由が隠されている。でも『寺町の竹藪』では、お兼ちゃんがどうしてそんなひどい目に遭わなくてはいけなかったのか、最後まではっきりとは語られない。それがまた、読んでいて、やるせないところでもありますが、実際いま、現実に起きている出来事って、そういうものなんですよね。特に子どもが犠牲になるような犯罪事件では、どれほど捜査が進んで、裁判を重ねたところで“本当はどうだったのか”なんて、誰にも分からなかったりする。世の不条理を怪談に重ねて描くという手法は、現代ではさほど珍しくもありませんが、綺堂はその大いなる先駆者であったのだと、改めて彼の作品を読み返していて、実感しましたね。

 

──なぜか所有者の手元に戻ってきてしまう呪われた面をめぐる『猿の眼』、なぜか一人の男を追い続けて人生を狂わせてしまった女性を描いた『水鬼すいき』など、自分でも理由がわからないまま執着してしまったがために身を亡ぼす人たちの話──というのも多いですよね。それが物欲であり、恋というものなのかもしれませんが……。読み手の自分も、いつか足を踏み外すかもしれないという恐ろしさもあって、面白かったです。

 

東:おお、実感がこもってますねえ(笑)。生きた鰻を丸呑みせずにはいられない男を書いた『鰻に呪われた男』という話もあります。実は綺堂先生、鰻が大好物だったんですよ(笑)。「半七捕物帳」でも、半七親分がすぐに鰻屋に行くのが定番ですが、自分にとって何より好ましいものを、とことん不気味なモチーフとして描ききることができるところに、綺堂の作家としての奥深さを感じます。また『水鬼』では、単に男に執着するというだけでなく、貧しい育ちで芸妓になるしか生きる術のなかった女性の悲哀も描かれます。女性に限らず、下層階級に育ち苦労した人たちが、思いがけず怪異を呼びよせてしまうさまを、綺堂はしばしば描いていますが、彼自身、作家としては遅咲きで、売れ始めたのは中年になってからなので、若い頃に味わった虐げられるような思いが、そこには滲み出ているのかもしれません。

 

──それでいうと、関東大震災直後の混乱を描いた『指環一つ』という作品もありますね。夏季休暇で東京を離れていたために難を逃れた大学生が、やはり東京を離れている間に家も仕事場もすべて失い、家族はみんな行方不明だという男に出会い、世話になるお話ですが、他の作品にはない切実な悲しみを感じました。

 

東:ラストの数行が、胸に重く響きますよね。あれもまた、実際に被災し家財を焼失した綺堂でなくては書けない震災怪談だと思います。そんなふうに、怪談として描くことでしか決着をつけられない、やるせない現実、というものが、やはり世の中にはあると思うのですよ。一方で、日清戦争の際に、従軍記者として大陸へ渡った綺堂は、巨大な権力になすすべもなく翻弄され、命を落としていった貧しい人たちの姿も目の当たりにしているでしょうし、一人で生きる術をもたない女性たちに寄せる想いもあったのでしょう。

 

──確かに、綺堂の女性の描き方は、どこか優しいですよね。一方的に愚かなもの恐ろしいものとして描かない。それは貧しい人たちに対しても、同じですが。

 

東:もちろん時代が時代ですから、現代の感覚とは違うところもありますが、基本的に彼は繊細なフェミニストだったのだと思います。当時の文筆家にしては珍しく、女性のお弟子さんも多くとっていましたしね。たとえば綺堂の1歳年下で、何かと対照的な泉鏡花は、尾崎紅葉に師事していましたが、紅葉の弟子はほとんどが男性。男同士でわいわい騒ぐのが好きだったようです(笑)。その点、綺堂は女性のお弟子さんを大事にしていたらしく、膨大な書簡集も残っているんですよ。そのあたりも、現代の人たちが読んで、なじみやすい部分ではないでしょうか。

 

──東さんは、どの短編がいちばん印象に残っていますか?

 

東:やはり巻末に置いた『百物語』でしょうか。あれも結局のところ、何が起きていたのか、よく分からない不可解なお話でしょう(笑)。でも、そこがいいんですよね。あれはいったい何だったのだろう……と考えをめぐらすことのできる余白に、怪談の醍醐味はあります。『猿の眼』も、年配女性の上品な語り口からは想像もつかない、ぞっとする領域へ連れていかれるところが好きですね。ちょっと、レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』みたいな読み心地もあって。

 10月15日に岡山県の勝央美術文学館で催される岡本綺堂展の講演イベントでは、『猿の眼』を朗読しようと思っているので、さて、どう表現したものか、挑戦し甲斐があります。こちらの展示には私も監修役でいろいろ協力させていただいているので、ぜひともみなさま、本書を片手に、足をお運びください!

 

岡本綺堂(おかもと・きどう)プロフィール
1872年~1939年。東京芝高輪生まれ。府立一中(現・日比谷高等学校)卒業後、東京日日新聞などに勤務し、記者として働きながら戯曲の執筆を始め『維新前後』『修善寺物語』などの新歌舞伎の名作を次々に発表。著名な劇作家となり、「綺堂物」という言葉も生まれた。その後、「シャーロック・ホームズ」に触発され、探偵小説「半七捕物帳」を執筆し人気を博した。

東雅夫(ひがし・まさお)プロフィール
1958年神奈川県生まれ。アンソロジスト、文芸評論家。82年から「幻想文学」、2004年からは「幽」の編集長を歴任。11年『遠野物語と怪談の時代』で日本推理作家協会賞を受賞。監修書に〈会談えほん〉シリーズのほか、150冊を超えるアンソロジーを編纂刊行。近刊に『お住の霊 岡本綺堂怪異小品集』『江戸の残映 綺堂怪奇随筆選』がある。