就活をテーマに、究極の心理戦を描いた『六人の嘘つきな大学生』が2022年の本屋大賞で5位にランクインし、いっきに知名度をあげた浅倉秋成氏が最新作『俺ではない炎上』を上梓した。本作は、SNSのなりすましアカウントによって、ある日突然、女子大生殺害犯に仕立てられてしまった男の緊迫感ある逃走劇を描く。“明日は我が身”かもしれないと思わされるリアルなストーリー展開にぐいぐい引き込まれる本作の発売にあたり、浅倉氏に話を伺った。

 

俺ではない炎上

 

──就活をテーマに描いた『六人の嘘つきな大学生』は、浅倉さんにとって初めてファンタジー要素を抜きにしたミステリー小説でした。最新作『俺ではない炎上』はSNSの炎上によって殺人犯に仕立てられてしまった男の逃走劇で、前作以上に社会性が強くなっていますね。

 

浅倉秋成(以下=浅倉):もともと、高校生が主人公のファンタジックな青春ミステリーばかりを書いていたので、それだと届かない読者もいますよ、という助言は複数の編集者からいただいていたんです。自分が経験してきた学生時代をベースに書いたほうが書きやすいのは確かだけれど、もっと多くの読者に読んでもらうためには、挑戦もしなくちゃいけないと、ファンタジックな要素を封印して書いてみたのが『六人の嘘つきな大学生』でした。ありがたいことに思った以上の反響をいただけたのですが、就活がテーマだとやっぱりどこか「若い子が読むもの」という印象をもたれるかもしれない。だったら、さらに多くの読者に届けるために、ある程度年のいった大人を主人公に据えてみようと思いました。……商業的な話で、恐縮ですが(笑)。

 

──いえ、大事なことです。

 

浅倉:SNSの炎上をテーマにしたのは、“明日は我が身”の緊迫感が物語には必要なんじゃないかと思ったから。僕の家族や友人はほとんど本を読まないのですが、『スマホを落としただけなのに』が映画化されたとき、みんなそろって食いついていたんですよね。これは観なきゃ、読まなきゃ、と。その年、「このミステリーがすごい!」にランクインした作品は知らないのに『スマホを落としただけなのに』には興味を抱く。なぜだろう、と考えたときにやっぱり「自分にも同じことが起きるかもしれない」というリアリティが大事なんだろうなと思ったんです。ネット上の、ちょっとした言葉のあやによって炎上して、実生活に支障が出るほど追い詰められるというのは、いまや芸能人に限った話ではない。であれば、SNSの炎上によって無実なのに殺人犯に仕立てられてしまった男を描くというのはどうだろう、と。

 

──ただの誤解ではなく、「なりすましアカウントによる炎上」というのが本作のおそろしいところでした。ハウスメーカーの営業部長・山縣泰介は、Twitterのアカウントを持っていないのに、泰介としか思えない投稿と写真が10年前からちらほら行われていて、そのアカウントが犯行現場の写真を投稿してしまうという……。意味がわからないけど、こんなことされたら、絶対に潔白を証明できない、と。

 

浅倉:現代における最大のいやがらせはなんだろうと考えたとき、陥れたい相手になりすましたSNS上で悪さするのが一番じゃないかと思ったんですよね(笑)。本人を知っている人がよく読めばその人だとわかる情報ばかりなのに、オープンにしているわけじゃない。でもその感じが、逆に、本物っぽい。という絶妙ななりすましアカウントが悪さをしたら、きっと手の打ちようがないだろうなという思いつきが繋がって、本作の骨子ができあがりました。

 

──実際、泰介は家族にも同僚にも信じてもらえず、孤立無援で逃亡する羽目になります。写真付きで素性が晒されて、自宅に野次馬やYouTuberが押しかけてくるところもリアリティがありすぎて、読んでいてぞっとしました。

 

浅倉:実際に炎上したものを調べていてわかったのは「みんな、本気で怒っている」ということでした。もっと、ライトな感覚で叩いていると思っていたんですよ。でも、芸能人の不倫にせよ、人を死に至らしめてしまった事故にせよ、反射的になんとなく書き込んでいるのではなく、真剣に怒りを表明している。自分とは関係ないはずのことにも、我が事と同じ熱量で。でも……怒っているときってみんな「自分は悪くない」と信じているから、怒れるんですよね。自分だけは正しい、冷静に物事を見つめることができている、だからわかっていない人たちに教えてあげているんだ、くらいのつもりで。

 

──作中で描かれる、炎上に加担した第三者の人たちもそうですよね。情報を拡散したり、警察を非難したり、騒ぎに苦言を呈したり、立場はさまざまですがみんな自分の正義を信じてTwitterで発信している。

 

浅倉:わかりやすい情報をつかまえて「この人は信頼できる/できない」とジャッジするのは僕自身もやりがちなので、気をつけなきゃいけないことなんですが、とりもなおさず人はわかりやすい物語しか理解することができないんだなあというのは、今作を書くにあたって改めて考えました。たとえば、炎上の度合いでいうなら、カルロス・ゴーンより不倫した芸能人のほうが強く叩かれているような気がするんですよ。それは、カルロス・ゴーンがいったいどんな罪を犯して、どういう問題が発生しているのか、しっかりと理解している人が少ないからなんじゃないかと思うんですよね。対して不倫は「絶対にだめ!」と否定しやすいし「不倫している奴はどうせこういう心情なんだろう」と決めつけやすい。

 

──その思い込みが暴走して、炎上に繋がっていく……。

 

浅倉:だけど実際は、他人が思うほど物事はシンプルに運ばないし、不倫している人にだってそれぞれ事情と言い分があるわけでしょう。角度を変えてみれば、不倫した人のほうが被害者であるケースだってあるかもしれない。……なんて言うと、不倫擁護派のように聞こえるかもしれないけど、決してそういう意味ではなくて。人は多面的だということを『六人の嘘つきな大学生』であれほど書いておきながら、僕だって、他者をすぐにカテゴライズして決めつけてしまうところがある。その矛盾は誰しも抱えているものだと自覚して、常に自分を戒めておかねばと思うんです。この小説で、そんな説教くさいことを言いたかったわけでもないですけど。

 

──でも結果的に、浮かび上がってくるテーマではありましたよね

 

浅倉:『教室が、ひとりになるまで』はスクールカースト、『六人の嘘つきな大学生』は就活をテーマにするのはいかがですかと言われて書いたものですが、どちらもその実情に一石を投じようなんて使命感はさらさらなかった。でも、やっぱりそのテーマにじっくり向きあって書くと浮かび上がるものはどうしたって出てくるんでしょうね。『俺ではない炎上』を書くうえでは、ネットが自己弁護の増幅装置になりつつある、ということをどうしても考えずにはおれなかった。みんなが、正しいことをしたいと願っていて、自分の感情は正しいものだと信じたがっている。その論拠を、実生活とは距離のあるネット上に見つけることで「ほら、やっぱり」と安心し、覆されたところで「自分は悪くない」と逃げることができる感じ……。

 

──炎上に加担したのは、みんな同じのはずなのに、自分だけは正しい立場でそれを為している、と全員が思っている姿も、皮肉に描かれていました。

 

浅倉:混雑に文句を言う人たちは、自分も混雑を生み出している一人だと自覚していないんですよね。自分だけは正当な理由でそこにいる、しょうもない理由で外に出てきた他の奴らとは違う、みたいな。けっきょく、“悪”は正義感と正反対の場所にあるのではなく、自分たちが正しいと信じて突っ走った先にあるものなのだと思います。だからこそ、なぜあの人が、と思えるような人ほど“そちら側”に転びうるのだということを、この作品では書きたかったような気がします。とはいえ、そういう小説を書いていると、僕自身も高みに立って俯瞰しているみたいじゃないですか。だから巻頭に〈本作品の刊行が遅れたのは担当氏の怠慢によるものである〉みたいな一文を入れようかと思ったんです。「お前も人のせいにしてるやん!」っていう(笑)。けっきょくやらなかったですけど。

 

──おもしろいですけど、真に受ける人も出そうですよね(笑)。

 

浅倉:自分だけは正しい、と僕自身も思わないように、ひきつづき戒めていこうと思います。

 

──今作は『六人の嘘つきな大学生』に続く最新作ということで、注目している方も多いと思うのですが……。

 

浅倉:そうなんですよね。「やっぱりあれは奇跡だったんだな」と言われるんじゃないかと、今はただ、びくびくしています。『教室が、ひとりになるまで』は本格ミステリ大賞や日本推理作家協会賞の候補になったり、それなりに評価していただけていたものの、それほど多くの読者の手にとられたわけじゃなかった。ずっと「次こそ、振り向かせてやる!」「頼むから振り向いてくれ!」という下克上精神は胸に抱いて走り続けてきたんです。

 そんな僕が、たとえば編集者の方から「作家の○○さんが今いちばん気になる作家は浅倉さんだって言ってましたよ」なんて言われると、嬉しい反面、おそろしくもなる。ずっと最後尾から追いかけていたつもりだったのに、この人の書くものはそれなりのものなんじゃないかと思われるプレッシャーを感じるようになるなんて……と。少し前までは、売れたらもうちょっとゆったり小説を書けるようになるんじゃないかと思っていたけどその逆で、永遠にラクにはなれないんだろうなと突きつけられてしまったというか。でもそのプレッシャーが「やってやる!」という発奮材料になるのも確かなので、これまで以上に気を引き締めていかないとなと思っているところです。

 

──このあとの作品のご予定は?

 

浅倉:まだ一行も書けていないですけど、家族をテーマに書きたいなと思っています。家族って、おもしろいんですよね。これまたみんな、自分の家だけはまともだと思っている。でもどこの家庭にも必ず、独特のルールがあるんですよ。たとえば僕の知人の家では、外食に行くと、長男は小学生くらいのときからいちばん高いものを食べると決まっている。食べたいもの、ではないんです。あくまで、いちばん高いもの。変だな、と思うけど、その家の人たちはそれがふつうだと思って育っていく。そうして、よその家の、自分の家とは違うルールを見つけて「変なの」と言ったりするんです。言葉は悪いですが、一種の洗脳みたいなものだなと思います。

 

──親の価値観も、知らず知らずのうちにインストールされていたりしますしね。

 

浅倉:自分の親が嫌いな芸能人は、理由もないのに、なんとなく嫌いになっていたりね。なんかそういう……原因を親に帰結する感じは『俺ではない炎上』で描いたことに近いものがあると思っていて。「なんで自分がこうなってしまったのか」を考えたときに「私は悪くない、親のせいだ」と思うことはとても気持ちのいいことで、共感も得られやすい。もちろん世の中には問題のある親もたくさんいて、虐待されたり、苦しくて悲しい思いをしたりしている子どもたちは守らなきゃいけない。親が悪い側面というのは、絶対にある。

 だけど……「それは親だけの責任じゃないんじゃない?」「あなたの在り方も、今一度見つめ直しては?」ということも、やっぱりある。そういう隙間を、意地悪な視点をまじえながら、つつけたらいいなと思います。集団を描きながら、個人に目を向けて、その個人がなんらかの形で解き放たれていくような物語になるように。ハッピーエンドにはならないかもしれないけど、広い意味でポジティブになれるようなものを。……って、まだ一行も書けていないから、どうなるかわかりませんけどね(笑)。なにかしら、今言ったものが滲むものを生み出せたらなと思います。

 

浅倉秋成氏

 

【試し読み】はこちらから
https://colorful.futabanet.jp/articles/-/1359

『俺ではない炎上』の魅力をギュギュっとご紹介!
https://colorful.futabanet.jp/articles/-/1358

 

●プロフィール
浅倉秋成(あさくら・あきなり)
1989年生まれ。2012年に『ノワール・レヴナント』で第13回講談社BOX新人賞Powersを受賞し、デビュー。19年に刊行した『教室が、ひとりになるまで』が第20回本格ミステリ大賞〈小説部門〉候補、第73回日本推理作家協会賞〈長編および連作短編部門〉候補となる。さらに、21年に刊行した『六人の嘘つきな大学生』も第12回山田風太郎賞候補、「2022年本屋大賞」ノミネート、第43回吉川英治文学新人賞候補となる。その他の著書に『フラッガーの方程式』『失恋の準備をお願いします』『九度目の十八歳を迎えた君と』がある。現在、「ジャンプSQ.」にて連載中の『ショーハショーテン!』(漫画:小畑健)の原作も担当。