新堂冬樹による2018年刊行の『極限の婚約者たち』が、装いも新たに『漂流恋愛』として文庫になった。文庫化にあたっての帯はこちら。

 文庫化にあたり、単行本刊行時に「小説推理」2019年9月号に掲載された、書評家・大矢博子さんのレビューをご紹介する。
 


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奔流のような、記憶と愛の物語である。

 ──だが序盤は少々戸惑った。ベタと素っ頓狂が入り混じっていたからだ。それがこんなところに決着するとは!

 無人島で暮らす少女の様子が、プロローグで綴られる。そして本編の始まりは東京。結婚を控えた悠太と雪美のカップルが海外挙式の相談をしている場面だ。ふたりの出会いや、周囲から祝福されている様子などが綴られる。

 そんなある日、旅行会社に勤める悠太はツアーの企画で無人島の下調査に出かけることになった。ところが急な荒天に遭い海に投げ出されてしまう。気がついたとき、悠太は当初の予定とは別の島に流れ着き、奇妙な少女に介抱されていた。しかも自分の名前すら思い出せない。記憶喪失になってしまったのだ。

 悠太を助けた少女は、ひまわり、と名乗った。ジイジと呼ぶ老人とともに暮らしているらしい。島にいるのはふたりだけで、ひまわりは島から出たことがないという。悠太は記憶をなくしたまま、彼らと暮らすことになる。

 一方、雪美は力を尽くして悠太を捜していた。ようやく見つけ出すが、悠太は彼女を覚えていなかった……。

 事故で記憶をなくし、恋人を忘れてるとか、記憶を失っている間に出会った別の女性に恋をしてしまうとかは、決して目新しい設定ではない。少女の名前から映画「ひまわり」を連想した人もいるだろう。ところがその相手が無人島で育った文明を知らない少女なのである。ベタと素っ頓狂で戸惑ったという理由がおわかりいただけると思う。

 だが、だからこそ本書は、ありがちな恋愛ドラマと一線を画したのだ。雪美とひまわりの違いは、育ちやタイプが異なるといったレベルではない。根本的に別種の人間なのである。同じ土俵にあがっての〈戦い〉ができないのだ。そのとき、ふたりが何を考えたか。何を第一に大切にしたか。そこを味わってほしい。

 もちろん悠太の揺らぎも読ませる。まるっきり記憶がないときは恋人も親も実感がなく、何の斟酌もない。だが次第に……いや、ここは読んでいただこう。いつしかベタも素っ頓狂も吹き飛んで、三人と周囲の人々の思いの渦に巻き込まれるはずだから。読みながら私はみんなが幸せになる方法を懸命に探した。正解はないとわかっていても。

 そこに新堂冬樹が用意した決着の衝撃たるや! 切なさと悲しみと、そして力強さに溢れた結末だ。もう一度言おう。奔流のような、記憶と愛の物語である。

(『極限の婚約者たち』より改題)