蚤取り屋お玉脇ばたらき
その一~女蚤取り屋お玉、参上
猫の蚤、取りますよ~ 蚤取り屋でござい~ 鼠除けもござい~ 春は売らない~
秋の匂いをさせる日射しの下、赤とんぼも気持ちよさそうに泳いでいる。
お玉の透き通った呼び声は、とんぼよりも真っ直ぐに空に飛んでいく。
その声を耳にすると、すれ違う人は皆振り返る。「おんなかよ?」と。
短く後ろに束ねた髪を吉原かぶりの手拭いで隠し、茶縞の着物にうこんの三尺帯。尻っ端折で職人の黒い股引に草鞋。背中にしょっているのは、富山の薬売りが担ぐような小さな桐箱。
一見すると男の薬売りだが、奇妙なのは右肩に掛けてある毛皮だ。夏の暑さもぶり返す陽気に暑苦しいったらない。でもこれが蚤取り屋の看板なのだ。
もうひとつ、振り返った人は蚤取り屋の証を見てギョッとする。背中の箱一杯に猫の金色に光る両眼が描いてあって睨んでいる。
「なんだ、ねえちゃんかい? 今どき、蚤取り屋なんぞ、めずらしいね」
ポタポタと草鞋の音をさせて、職人風の男が覗き込んだ。
「へえ、おあにいさん、蚤の御用で?」
「おいらには蚤はいねえな、シラミならせんべい蒲団に暮らしてやがるが」
「シラミも退治しまよ」
「おっ、いいねえ、一緒においらのせんべい蒲団に入るかい?」
「えっ~、猫の蚤、取りますよ~春は売らない~」
お玉は真ん中を端折った呼び声で応える。
「おうよ、そいつを聞きたかったんだ。なんでえ、その春は売らねえってのは?」
「蚤は取っても、春は売りません~ってことです。ご用がなければ」
口をぽかんと空けたままのおあにいさんに背を向けると、お玉はまた呼び声を上げながら、道を歩き始めた。
ここは内神田白壁町の通りで、おあにいさんのような左官や大工が多い。
お玉が奇妙な蚤取り屋の、それも女だと分かると、提げ重を掲げて身体を売る女の類だと、男の半分くらいは勝手に思い込む。この商売を始めて、お玉はそんな扱いを散々受けて、呼び声の尻にくっつけるようになった。
それでも勘違い男は数知れず、そんな男どもは、駆除される蚤並みにボコボコにされるのだけど。
「ねえ、あんた、蚤取り屋さん」
『こめ ふじや』と描かれた暖簾を、三十半ば、大福みたいな顔のおかみさんが呼んでいた。背中からとんとんという米を搗く音が聞こえる。
「へえ、まいど」
とお玉は愛想満開の顔を向けた。
「うちのタマの蚤をとってくれよ」
「タマちゃんの蚤を玉がとる」
「あんた、玉っていうのかい? 名前まで猫だねぇ」
お玉を上から下まで眺めて、おかみさんはケラケラと全身を揺らした。
「もっとも、あたしは米屋のお米っていうんだけどね」
ハハハと蚤取り屋のお玉と、米屋のお米が顔を合わせて笑った。
ふじやの店先には米俵が積まれ、大きな米櫃が並んでいる。壁で仕切られた作業場で、眠そうな顔の職人が、まさにバッタみたいに米を搗いている。米屋の天敵は鼠だ。猫が欠かせない。
「この子なんだけどね」
縁側で待っていると、お米以上に大福顔のキジ猫がお玉の前に置かれた。
にゃあごとひと鳴きして、タマは後ろ足で首をカッカッカッと掻く。
推定、四から五歳、雄、股間を見る限りにおいて。タマタマがついてなくても、タマは雌猫の名前とされているけど、お米は猫はタマと決めているようだ。
「タマは働きもんでね、うちに来てから鼠が、すっかりいなくなったんだよ」
性格もいいようで、お玉が持ち上げても嫌がらない。
「タマちゃん、いい子だねえ~」
と身体を揺すって、素早くお腹あたりの毛を分ける。いたいた、動く黒ごま野郎。
逃がすもんかとつまんで、プチリと潰す。
「どっから貰ってきたのかねぇ。夏前にはいなかったんだよ」
「タマちゃんは、お風呂に入れたことはありますか?」
「風呂? 猫を風呂に?」
お米は眼を丸くする。
「中にはね、いるんですよ。湯浴みが大好きって猫も」
お玉はタマの顔を覗き込む。さて、このキジ猫はどっちだ?
湯を入れた小さなたらいと、木綿の晒しを用意してもらって準備完了。お米の見守る中、お玉はタマの首筋とお腹をがっちり固めると、じゃぶりと湯につけた。
何が起きたのか? 理解のできないタマは、ぬるま湯の中から空を見ていたが、ウギャアアア、と鳴いて渾身の力で逃れようとする。
やっぱり風呂嫌いだったか。いくら暴れても逃しはしない。湯の中でじゃぶじゃぶさせてから、引き上げて、水気を絞る。
ここまで来ると大抵の猫は観念する。足先と尻尾からしずくが落ちなくなると、晒しでくるりと包んで水気を吸わせる。半乾きになったのを見極めて、軽業師みたいな手付きで、素早く晒しを毛皮と取り換える。
いや軽業師より手妻使いよりも早いかもしれない。なんせお玉は……。
びっくりまなこのお米に笑いかけると、タマを毛皮で包んだまま、あぐらを掻いて動かない。猫も大人しく抱かれている。
「何してんの?」
お米がタマとお玉の顔を覗き込んだ。
「蚤も水が嫌いなんですよ。こいつは狼の毛皮なんですが、蚤のやつらはこっちにぞろぞろと移動してるところです」
「それで毛皮なんだ。よくできてるね。そいつで四文は安いねえ」
「蚤取りだけだと四文ですが、縁起物の猫絵もありますよ」
右手を抜いて伸ばすと、猫目の薬箱から畳んだ浮世絵を拡げた。国芳の猫の絵で、貼っておくと、鼠除けになるといわれている。
「うちは本物がいるからね」
「石見銀山猫いらずもいらないと」
「タマが一番の猫いらず」
「ですね。他にもどんなご用も相談に乗りますよ。春は売らないけど」
「ふーん、さながら、猫を被った女蚤取りってことか……」
「でも、こいつが本職」
「これで蚤がいなくなるのかい?」
「ひとまずはタマちゃんの蚤は退治できますが、間を置いて、あと二、三回はやったほうがいいですね。蚤がタマゴをあっちこっちに生み付けていますから」
お玉がぐるりと部屋を見まわす。
頃合いだと、タマの全身を毛皮で一回、二回と廻して、解放してやる。
まったくにひでえ目に会わせやがって、とタマは鼻を鳴らすと、縁側の端に移動して、濡れた身体を嘗め始める。
お玉は庭に降りると、小さな池の上でバタバタと毛皮を振る。蚤どもは毛皮では血が吸えないと分かるのか、簡単に落ちていく。あわれやつらは鯉のエサになった。
「あんたなら、頼めるかな……」
振り向くと、お米が微笑みながらお玉を凝視していた。眼は笑っていない。
「えっ?」
「蚤もだけどさ、タマはもっとやっかいなもんを連れてくるんだよ。そいつをね……」
米屋のおかみさんは、籾殻を潰したみたいな顔をした。
猫の蚤取りとは別の用件があるようだ。
四日後。
お玉がタマを追いかけていた。
大方のタマの行動範囲は知れた。白壁町の米屋を中心に、紺屋町と鍛冶町あたりまで。
夕方になると、米屋を出て朝方までに戻ってくる。昼間はあまり出歩かずに寝ていることが多い。
お米が心配するように、別宅を持っているわけでもなく、律儀に米屋の飼い猫を勤めているようだ。四日の間に三匹の鼠を退治した。
出歩く折には、途中の長屋のおかみさんに媚びを売って、喉を撫でてもらったり、目刺しの頭を貰ったりするが。
夜更けに路地裏の空き地でご近所猫たち十数匹の集会が催されていて、これもタマは律儀に参加している。
今夜も全身藍染め、まるで忍者みたいな(っていうか、そもそもお玉はくの一、忍者なんだけど、それはまたいずれ)お玉が空き地に現れたもんで、猫どもはいっせいに怪訝そうな眼を向けてきた。
夕べも来たのだけど、猫たちはそんな昔のことは覚えちゃいない(んじゃないかと思われる)。
集会を仕切っているのは、額に傷のある凄みのあるまだらのノラで、思い切りガンをつけられた。お玉が「お近づきのしるしに」と配って廻った鰹の削り節で、なんとか隅っこにいることを許された(夕べと同じ)。
タマときたら、ずっと知らん顔。ここんところお玉につけられていると知っているはずだが、我関せずは猫の流儀だ。
米屋のおかみさんからの用件というのは、タマがどこで蚤を貰ってきたか? というのは表向き、「こいつだよ」とお玉に示したのが赤い縮緬の紐だった。
五寸(約十五センチ)ほどの端切れで、女の子が髪を縛る手絡のようでもある。お米のいうようにかすかに甘い匂いがした。
二月ほど前にタマが戻ってきた時に、首に巻かれていたという。
猫のことだ、あちこち散歩しているうちに、子どもだか長屋のかみさんだかが、戯れにつけてくれたんじゃないか?
お玉と同じことをお米も思わなくもなかったようだが、そう認めつつも、
「何か違うんだよ、そんな気がするのさ」
蚤が出たのはその後で、きっと同じこの縮緬の端切れと同じ所から貰ってきたんだと。何の根拠もないけど、胸のもやもやを晴らすためにも、調べてほしいとお米は言う。
お足もそれなりで、引き受けることにした。
タマの行動を見張るここまでは、これぞという手がかりはない。
こうなると、最初のお米が抱いた“直感”というのが当たりかもしれない。女のその手の直感ってやつは、ご亭主に関すること、それも女がらみと相場は決まっている。
お玉はお米のご亭主と会った時を思い出す。米屋ふじやの主は、勘三郎といって歳は四十でこぼこ。お米とは違って浅黒く、米屋というより船の櫓を握らせたほうが似合いそうな苦み走ったいい男。
タマが毛繕いを続けて、ナマ乾きに戻りかけた頃に、当の勘三郎がニョキっと顔を出した。ちょうどお米から、家族構成や、ご主人様の素行などなどを聞こうとしていたところだったので、それ以上は聞き出せていない。お玉はお米から預かった縮緬の切れ端を素早く、懐に入れた。
「あんた、お帰り。こちらは……」
という女房を無視、苦み走ったいい男がお玉の前を横切って真っ先に近寄ったのは、縁側にいたタマ。
「おひ、おひ、ヒマひゃんやぁ~どうひちゃったんへすかい?」
思いっきりのいわゆる猫撫で声で、しかも滑舌がふにゃふにゃだ。
猫のほうは、人様から猫撫で声で近寄られても皆、喜ぶとは限らない。タマは迷惑そうな顔ながら、主の寵愛を我慢している。
「蚤でかゆそうにしてたじゃないの。こちらにとって貰ったのよ」
女房の説明で、ようやくお玉の顔を見る。
「へ、にょみとり屋? はんた、ほんな?」
「うちの人、口の中にできものができてね。ちゃんとしゃべられないんだよ」
うんと米屋の主が右頬を指す。苦み走って見えたのは、口の端を歪めていたせいだった。
「あんた、できもの治す薬は持ってない?」
「石見の猫いらずだけで、できものの持ち主もくたばるかと」
ケラケラと笑う女房を無視して、勘三郎はタマを抱き上げる。
「……にゃんたい、ひないのはい、にょみ? へっかく、ほれがほっへやっへたのに……」
米屋の主は、タマの内股あたりの毛を分けて成果を調べている。猫の蚤を探して、退治するのを道楽にしていたようだ。
その気持ちは分からなくもない。暇潰しの番付を作ったら、「猫の蚤取り」は関脇くらいに入りそうだ。
それにしてもだ、お玉とてこんな稼業だし猫は嫌いではないけど、人様の前であからさまに猫っかわいがりはしない。一瞬、いい男、と勘三郎を思ったことを後悔した。