『俺達の日常にはバッセンが足りない』。このタイトルを見たとき、まず“バッセン”とは何だろうと思った。しかし作品を読み始めて、すぐに判明。バッティングセンターのことだったのだ。

 犬塚シンジは、家族経営の土建屋『犬塚土建』の専務である。といっても実際は、事務所の電話番だ。長引く不況により経営は下降線。二代目社長の父は、土建屋以外の仕事に活路を見出そうとしているが、上手くいっていない。

 そんな『犬塚土建』の居候が、シンジの中学生時代の同級生だった兼石エージだ。高校を中退してから、思い付くままという感じで、さまざまな商売に手を出しては「飽きた」と放り出し、フラフラと生きている。そのエージが、昔、よく行っていたバッセンがなくなっていることを知った。「俺達の日常にはバッセンが足りない」と言い出し、新たなバッセンを作ろうとする。やがてシンジだけでなく、メンキャバの店長の葛城ダイキや、信用金庫の窓口担当をしている阿久津ミナといった、元同級生を巻き込み、バッセン建設の話が動き出すのだった。

 常に騒々しく、いろいろな常識が欠けている。シンジの視点で語られるエージは、読者の共感を呼ばない人物だ。しかしシンジの祖父の「足掻いている」というエージ評や、商才があるらしいことが分かり、人物のイメージが変化していく。このあたりの描き方の巧さは、さすが三羽省吾というしかない。

 さらに途中で視点人物が変わり、ミナとダイキ、さらにエージたちとは微妙な接点しかない狩屋コウヘイのエピソードが綴られる。既婚者と不倫しているミナの物語は、意外な展開で驚いた。だが、それに続くダイキの話は、もっと驚く。何者かに嫌がらせを受け、ついにはメンキャバの店にまで放火されたダイキは、予想外の犯人を指摘するのだ。優れたミステリー作品として読める内容になっているのである。また、グレーな営業で家族を養っているコウヘイの、ささやかな再生の物語もよかった。

 ここから再びシンジに視点が戻り、バッセン建設が本格的に進む。ストーリーは、もう一波乱あるのだが、それは読んでのお楽しみ。エージの過去が浮き彫りになり、バッセンにこだわる理由が分かると、彼の行動を応援せずにはいられなくなる。そして、厳しい現実を一時でも忘れられる、老若男女の“溜まり場”としてのバッセンに、魅了されてしまうのだ。