子どもの頃は誰もが自由に夢を描く。好きなことで生きていきたいと言っても笑われない。でもそれが、三十六歳の無名プロボクサーだったら? 三十七歳という年齢制限での引退を避けるため、誕生日まで残り九ヶ月でチャンピオンを目指すと言い出したら?

 私はボクサーに年齢制限があることも、チャンピオンになればそれを除外されることも知らなかった門外漢だ。それでもこのボクサーの目標設定が無茶なことはわかるし、そんな挑戦を追った本書を楽しめるかとページを開くまで怪しんでいた。著者自身もテレビ番組の「雇われディレクター」としてその男を知るまで、ボクシングに興味がなかったと明かす。それでも男と出会った人間は、その無謀すぎる挑戦に引き込まれていく。なぜか。

 主人公であるボクサー、米澤重隆に眠れる才能があったから、という線は早々に消える。三十代になってボクシングを始めた米澤は、巧みな技術もスピードも優れた反射神経もなく、劣勢を一発でひっくり返すパンチ力もない。おまけにこんなことを口にする。「殴らないで勝つ方法、ありますかね?」この道で生きるには優しすぎる男は、体も激戦を重ねてボロボロだ。

 米澤と同い年の著者はそんな姿に悲哀を感じるが、生活のためにテレビドキュメンタリーの仕事をしている自分と対比し、やがて仕事の枠を超えて米澤を追うようになる。

 中盤、米澤は落とせない試合で息を呑む一撃を見せながら、致命的なミスをする。しかし万事休すと思われた矢先に、鳥肌の立つような展開が待っていた。

 努力は嘘をつかない、なんて嘘だとは言わないまでも、才能の前では真でもないと思うのが凡百の大人だろう。「それなりに何かを諦めて生きてきた」という著者のように。だが米澤は、貧乏だろうが才能がなかろうが、努力だけで夢にしがみつく。その生き様はがむしゃらというより、もはや狂気の沙汰だ。

 狂気は伝播するものらしい。トレーナー、ジムの会長、パートナー、著者。対戦相手や観客にも。そしてリング内外でそれが集合体となった時、熱狂となる。「地鳴りのような熱狂」の渦に、読む者も時空を超えて呑み込まれる。

 やがて挑戦は終わる。結果だけなら、ネット検索でもわかる。しかし、最後の試合の「残り一〇秒」を彼がどう生きたか。不気味ささえ覚える余韻は、米澤たちの無謀な九ヶ月を本書で追った者だけが浸れる特権だ。