若き蘭方医・宇津木新吾が、さまざまな事件に遭遇しながら、理想の医師を目指す。小杉健治の好評シリーズの、第十二弾が刊行された。かつて松江藩のお抱え医師だったが、御家騒動に巻き込まれて辞めた新吾。だが近習番の高見左近の執拗な要請により、復帰することになった。しかも以前が平医師だったのに対して、今回はワンランク上の番医師である。とはいえ新吾のやることは同じだ。病人の命を救うために、全力を尽くすだけである。

 そんな新吾が、着任早々、下屋敷で暮らす側室の綾の施療を命じられる。三ヶ月前に胃に出来た潰瘍が潰れ出血。潰瘍は治療できたものの、以後も具合がよくない。食事もせず衰弱しているが、近習医の花村潤斎にも原因が分からないという。綾を診察し、心の病ではないかと思った新吾は、彼女の関係者を当たり、原因を突き止めようとする。そして清次という、綾の昔の恋人が浮かび上がってきた。だがここから事態は、予想外の方向に転がっていく。

 着任早々、難題を押しつけられた新吾だが、その裏には旧知の高野長英の推挙があった。そのときの言葉が、「長英はそなたの医者としての未熟さだと言った」「未熟ゆえ、患者に向き合う姿勢は半端ではない。その姿勢で、あの患者を治すことが出来るかもしれないと言った」である。これは主人公のキャラクターを、的確に表現している。

 長崎で蘭学を学び、貧富に関係なく治療をする村松幻宗を師とする新吾。自分も貧富や身分に関係なく、人々を救いたいという理想を抱いている。幾つもの事件や騒動を通じて、何度も現実に叩きのめされても、それは変わらない。本書でも、医師として領分を越えて奔走するのだ。人の命を割り切ることのできない新吾は、たしかに医師としては未熟者なのだろう。だが、それだからこそ彼は、ヒーローとしての立場を獲得しているのである。

 さらに、ミステリーとしての面白さも見逃せない。松江藩に忍び込んだという盗賊の件や、ふたつの殺人事件が、綾の秘密と結びつき、意外な真相が明らかになる。複雑なストーリーを捌いてサプライズに導く、作者の手腕が鮮やかなのだ。

 ところで、事件の決着のつけかたに納得したことや、ラストの描写を見ると、新吾も清濁併せ呑む器量を持つようになったようだ。理想はそのままに、人間としても成長した主人公が、これからどのように生きていくのか。シリーズの続きが、待たれてならない。