第一話 前編

 2019年 秋

 駅構内のドリンクスタンドに、若者たちの長い行列ができている。数秒間を空けて、「あの黒いムチムチしたやつが入った飲み物、昔も少し流行ってなかったっけ」と、うすぼんやりと桜井凛子は思った。ここ数年、自宅から自転車で通える勤務先以外、出かけることがほとんどない。だから、世の中の流れに全くついていけない。思えば、十代や二十代前半の若者の姿を直に見ることさえ、ほとんどなくなってしまった。案外、みんな地味な格好をしているな、と思う。男の子はおおむね黒髪で、服装も全体的に黒っぽい。女の子も肌の露出は少な目で、どことなく、あどけないというか、子供っぽいようなファッションが多いように見える。

 自分があのぐらいの頃は――と、駅を出て目的地に向かいながら、凛子は考えた。高校時代、いわゆるコギャルブームの最盛期だった。スクールカーストの上位層はみんな肌を小麦色に焼き、眉毛をボールペンの芯ぐらいに細くして、下着すれすれの恰好で街を歩いていた。神奈川の進学校に通うごく普通の生徒だった凛子にそこまでやる勇気はなく、ルーズソックスをはき、制服のスカートを短くする程度で精いっぱいだったが、それでも、あの時代に女子高生でいることは、純粋にとても楽しいことだった。眉毛は同じ部活の先輩が細く整えてくれたっけ、いつかの土曜の放課後、めいっぱいメイクを頑張って原宿で遊んだ日、夢みたいに楽しかったな、と懐かしく思い出す。

 男子も女子も、野生のサルのように強気で、そして妙に、刹那的だった。この素晴らしい時間が通り過ぎたあと、一体何が待っているのか、誰もがつとめて考えないようにしていた、ような気がする。

 待っていたのは、氷河期だった。

 ドブネズミ色のリクルートスーツを身に着け、職を求めて街をさまよい歩く亡霊。それが我々の真の正体。「本年度新卒採用見送り」の連続。あれだけ世の中からちやほやされていたはずが、まるで存在しないもののような扱い。知らなかったわけじゃない。みんな薄々気づいていた。上の世代を直撃していた就職難という嵐はやむ気配は全くなく、それどころか自分たちに向かって勢いを増しているらしい、ということは、大人たちからいろいろな形でほのめかされていた。

 まさに氷河期、氷の上を歩いているように、凛子も採用試験につるつるすべった。新卒採用のチャンスが一度しかないのは、世代を問わず誰でも同じ。その一度の機会で、自分はしくじったのだ、と思う。再チャレンジの機会を獲りにはいかなかった。そんなものがあったのかどうかすら、わからない。自分だけが悪いのか、どこか責任を擦り付けられるところがあるのか、それもよくわからない。

 そして、あれから二十年近くを経て、たどり着いたのが、この場所。

「再就職支援セミナー説明会参加の方はこちら」

 ビル一階の入り口にあった張り紙の前で、凛子はしばし立ち尽くした。あの頃の自分が今の自分を見たら、どう思うのか。

 出版社に就職して編集者になりたい、といつから思っていたのか、記憶にない。それは凛子にとって、しらないうちにできていたほくろのような、体に染み着いたような夢だった。作家志望だった父親の影響で、小学生の頃から読書に親しんでいた。漫画や児童文学から、父親が好んでいた海外ミステリーや事件ノンフィクションまで、ありとあらゆるジャンルの本を読んだ。一旦本を開いたら、その中の世界に一人で入り込んでしまって、現実に戻れなくなりそうになる。そんな感覚が好きだった。

 中学に入る頃までは、編集者か作家で迷っていた。が、ある出会いがきっかけで、作家の道は捨てた。その相手こそ、高校一年のとき、焼海苔のように黒々と太く濃かった凛子の眉毛を、流行りの細眉に整えてくれた、文芸部の一年先輩、美恵子さんだった。

 凛子の学校は進学校だったが、自由な校風だったので、校内にコギャルはたくさん生息しており、ブームにのって日に日にその数を増やしていた。その中で美恵子さんは、コギャルはコギャルでも、かっこいいコギャルだった。

 髪は染めず黒髪のまま、大人っぽいボブスタイル。下着が見えそうなほど短くしたスカートからのびる、はちみつ色の細く長い脚。当時ルーズソックスはボリュームがあればあるほどよいとされ、一時は全長200センチのものまで出回っていたが、美恵子さんは120センチか130センチぐらいの短めのものを愛用していて、それが妙に洗練されて見えた。トレードマークは、ラメ入りの紫のリップ。 

 文芸部の活動は週に一回、それぞれが文芸コンクール向けに創作したものを批評し合ったり、読書会をやったりしていた。

 美恵子さんは海外小説が好きで、読書会では部員の誰もしらない作家の作品をよく推薦しては、毎度、多数決で負けていた。さらに彼女の書くものは全くもって高校生らしくない、何歳も年上の大人(男女問わず)との性愛をテーマにしたものばかりで、みんなからの評判は最悪だった。けれど凛子は、彼女の作品を毎回とても楽しみにしていた。

 粗削りで、面倒になるとあからさまに手を抜き、ストーリーはすぐに破綻する。けれど、人の心の揺れ動きを言葉で表現する、ということがどういうことか、生まれつき理解している人が書くものだと思った。自分は誰かの言葉を借りて、それらしいものは作れる。でも何もないところから、湧き上がってくるものがない。凜子はよくショートショートを創作し、部員たちからの評価も悪くなかったが、自分ではあまり面白くないといつも思っていた。そのうち、何かを表現したいという欲求があるのかどうかすら、わからなくなった。

 ある日の批評会のあと、美恵子さんから声をかけられた。「どうしたら最後まで書き上げられるのか、教えてほしい」と。彼女の期待にこたえたくて、思いついたことを精いっぱい話してみた。すると、彼女は珍しくにっこり笑い、こう言ったのだった。

「桜井はやっぱり編集者に向いているよ。出版社に入るのを目指したほうがいい」

 それから美恵子さんは、たびたび創作について凛子に相談を持ち掛けるようになった。高校生として許されるギリギリの性表現について、二人で何度も議論を重ねた。その甲斐あってか、彼女は三年生のとき、全国コンクールの詩部門で優秀賞を獲得した。凛子にとって、忘れられないできごとになった。

 自分には、輝くような、神様からの贈り物のような才能は多分、ない。でも、そういった人たちのサポートをすることで、大好きな本づくりに携われるのなら、編集者という仕事はまさに自分の“天職”というやつかもしれない。

 進路について考えるとき、常に美恵子さんとのことが脳裏に浮かび、背中を押された。「編集者に向いてるよ」の言葉。誰に何を言われるより、励みになった。

 そのためには、レベルの高い大学に入らなければならない。二年生の後半から、コギャルごっこはやめた。

 ポケベルも解約したし、髪を染めたい、と親に許しを請うのもやめた。美恵子さんのマネをして買ったPJラピスのラメ入りリップも、引き出しの奥に封印した。受験勉強に集中し、その努力が実って、都内有名私大文学部の指定校推薦を獲得した。

 大学に入学してわりとはやい段階から、就職活動のことは強く意識していた。インカレの就活サークルにも入り、同じマスコミ志望の仲間たちと、企業研究や就活対策を熱心に行った。

 一年生の頃までは、有名私大というブランドが自分を助けてくれるだろう、と楽観視しているところもあったように思う。出版業界には同じ大学のOB・OGがたくさんいる。人気上位の大手は無理でも、準大手や中堅どころなら、どこか拾ってくれるんじゃないか。しかし二年生になると、上級生たちの惨状ぶりをいやでも耳にするようになった。

「何十社もエントリーして、面接の声がかかったのは、たったの二、三社」だの、「書類審査に通ったのはいいが、面接が七次、八次と続いて結局不採用だった」だの。「『女子の文学部』っていうのが、今一番まずい、どこからも相手にされない」という言葉もよく聞かれた。彼ら彼女らがリクルートスーツを着たまま、キャンパスを茫然とした顔でうろついている姿をしょっちゅう目にした。まるで幽霊のような顔で。あんなふうにはなりたくない、なるべくはやく内定をとりたい、と強く思っていたのに、しかし一年後、全く同じ幽霊となってオフィス街やキャンパスをほっつき歩いていた。

 凛子が大学四年生だったのは、2000年。その年、大学の求人倍率がついに「1」を割った。

 多くの出版社が、そもそも採用自体を見送っていた。募集しているところでも、相当数を絞っている。サークルの仲間たちは、他業種に乗り換える者、大学に残ると決めた者、早々に「フリーターになる」と宣言して、就活自体を放棄した者など様々だった。大手企業の一般職に的を変えた女子も多かった。が、事務系などの一般職は、短大卒と比べると、どうにも分が悪かった。現に短大や専門へ進んだ高校の同級生たちは、凛子より一、二年はやく就活していたが、比較的苦労せず内定を得ている印象だった。医療系はとくに強く、あの美恵子さんも「食いっぱぐれないから」と看護大学に進んだ。凛子より三歳上の姉の祥子は、いわゆる“お嬢様”短大に進み、学校推薦であっさりと大手メーカー一般職の内定を得た。

「だって四大卒だと卒業する頃、二十二歳でしょ? 歳取りすぎ。女なんてすぐ結婚してやめちゃうんだから、短大卒とったほうが二年多く働かせられる。会社はそう思っているんだよ」

 姉からそんな言葉を、百億回は聞いた。母親と一緒になって、元気なオウムのように繰り返しべちゃべちゃと。理解も納得もしたくなかった。

 しかし現状は、まさに姉の言葉通りなのだった。女が二十二歳で社会に出るのは遅すぎる、という考えが、まだ当たり前に残っている時代だった。

 姉と母親を見返したい、という気持ちもあったのだと思う。三年の秋、就活が本格化する頃、対象を出版社だけでなくマスコミ全体に広げて、可能な限り資料請求し、指がとれそうなほどエントリーシートを書きまくり、一次試験に進めたのは三社。面接までいったのは二社。手ごたえを感じられた瞬間は皆無。二次、三次と進んでいくのは、体育会系の男子か、テレビ局を本命にしている美人の女子だった。芸能人や政治家などの子息もたまにいた。

 季節が春から夏にかわっても、何の成果も出せなかった。焦りが体中の毛穴からじわじわ染み出して、油膜のように全身をぬるぬると覆いつくす。 

「編集者に向いているよ」の言葉。あの美恵子さんがそう言ってくれたんだから大丈夫、といつもすがるように思い出した。例えば、ストッキングが破れて駅のトイレで汗だくになって履きなおしているとき。例えば何の手ごたえもなかった面接のあと、地下鉄の黒い窓にうつる自分の亡霊のような顔と向き合っているとき。脳内で何度も何度も再生した。それも、次第にただむなしくなるだけになった。

 マスコミ以外の業種を検討するか、あるいは大学に残るかといった選択肢は、常に頭の片隅にあった。

 でも、なかなか決意できなかった。「やりたいことをあきらめる」という道へ進むのが、怖かったから。

 その道の先に、少しでも希望はあるのか。やりたいことをあきらめた、という荷物を背負って生きる人生。

 二十二歳の自分にとって、それが何を意味するのかわからず怖かった。イヤだ、でも、悔しい、でもなく、怖かった。

 あっという間に、大手マスコミの採用期間が終わった。中小の出版社や編集プロダクション、地方マスコミにもできる限り手を広げようとしたが、うまくいかないことも多かった。大学の就職課は、あまり役に立たなかった。当時はネット環境も今ほど整っておらず、情報がなかなか拾えない。資料請求をしても半分は返事がこないのが当たり前だった。

 七月、名古屋のある出版社の入社説明会に参加した。そこは地元の情報誌やフリーペーパーなどを刊行している会社で、凛子のやりたいこととはずいぶんかけ離れていたが、その頃には、本を作りたい、という気持ちはどこかにおしやられ、どこでもいいからマスコミに就職する、ということだけが目的化していた。

 説明会の前の晩に夜行バスに乗り、早朝に名古屋に着いた。朝六時の時点で、下着までびっしょりになるほどの蒸し暑さだった。ファーストフード店をはしごして時間をつぶした。汗でストッキングが張り付き、トイレにいくたびに破ってしまい、ついに手持ちのものがなくなってパニックで半泣きになったのを覚えている。仕方なく素足のまま外に出て、コンビニで何足分か買い足した。そのときのみじめな気持ちは、きっと死ぬまでわすれられないんだろうと思う。

 その出版社は、規模はさほど大きくはなかったが、街の中心地にある会議場を貸し切って行われた説明会には、三百人ほどの学生が詰めかけていた。

 会場の隅から隅まで椅子が並べられ、学生たちは崎陽軒のシウマイ弁当みたいにぎゅうぎゅうに押し込まれていた。前方の壇上には、代議士でなければ暴力団幹部にしか見えない雰囲気の取締役社長を真ん中に、役員や各部署の管理職の面々が十五名ほど、威圧感をこれでもかと醸し出しながら、横一列にずらっと並んでいた。横にいた男の子が「ヤクザ映画の製作記者会見かよ」とつぶやいていたが、全くその通りだと凛子も思った。

 しかし、異様なのはそれだけではなかった。説明会が開始されて間もなく、取締役社長がハンドマイクを乱暴につかむと、こちらから会社説明は一切しないこと、質疑応答のみを行い、そこで質問があった項目だけ回答する、と堂々宣言した。全ての学生が、ぎょっとして息をのんだのがはっきりとわかった。

 何人かの勇気のある学生が、業務内容や今後の採用計画などについて質問した。誰かが、勤務時間について質問したときのこと。一番端に座っていた後藤という名の営業部部長がマイクを手に取って、「おい! 山田!」と会場で雑用をしていた若い男性社員を呼んだ。そして、「お前、先週、毎日何時に帰ったのか言えよ」と高圧的に命じた。別の誰かが走って行って、その山田にマイクを渡す。山田はかぼそく自信のなさそうな声で、「月曜日は接待があったので帰ったのは夜十一時ぐらいで、火曜日も接待で……」と、先週の月曜から土曜まで、ほぼ毎日深夜近くまで働いていたことを、三百人の学生の前で告白した。それはとても気の毒な姿で、自分がかわりに山田のマイクを奪って後藤をぶん殴れたら、どんなにいいだろうと凛子は思った。

 二十分ほどで、手を挙げる学生も途絶えた。すると、社長がにやにやと笑みを浮かべながら、「誰も給料のことを聞かねえんだな、金いらねえのかと思っちゃうね」と発言した。クソジジイ、と凛子の心の中で反射的に罵声が飛んだ。こんなクソジジイの下で働くぐらいなら、無職のほうがマシ。けれど、と思う。このクソジジイはきっと正しい。自分を含め、こんな蒸し暑い夏の日に、こんな地獄のような場所まで職を求めてやってこざるをえなかった時点で、二束三文で買いたたかれても文句は言えないのだ。お金なんていりませんから働かせてくださいと、頭を下げる。そこまでやってはじめて、採用のスタートラインにたてる。それが嫌なら、他の仕事を探すしかない。こんな時代に、本を作りたい、出版社に入りたい、メディアの仕事がしたいなんて思い描くのは、贅沢で甘ったるいお菓子みたいな夢を見ているだけに過ぎない。

 の、かな。

 その日をきっかけに、凛子はマスコミ以外の業種をやっと視野にいれはじめた。やりたいことをあきらめるために、「マスコミはろくな人間のいくところじゃない」という言い訳もできた。

 が、結果は変わらない。鞍替えをするには遅すぎた。リクナビなどで調べても、採用日程が終了した募集広告ばかりが出てくる。二次、三次の採用を行っている企業もなくはなかったが、人数がかなり絞られていた。そして、そこにも学生が殺到する。

 九月に入ったあたりから、苦戦していた同級生も少しずつ決まっていく。その頃、就職課の担当者に、「ここなら絶対に大丈夫。内定をとれる」と言われて受けたのが、とある大手消費者金融会社だった。

 九月最後の木曜日。長かった夏のトンネルをようやく抜けたような、昨日よりほんの少し涼しい午前だった。一次試験は筆記と集団面接で、会場には全国から百人近くの学生が集っていた。

 試験は昼過ぎに終わった。どこにいく当てもなく、近くの公園の、噴水の前のベンチに腰を下ろし、ここ数日、わざわざ実家から様子を見に来ている母親が持たせてくれた弁当を、膝の上に広げた。

 シーチキンの炊き込みご飯のおにぎりと、塩味の卵焼き、鮭の醤油漬け、しめじのから揚げ。どれも凛子の好物だった。

 とても口にする気になれなかった。出がけに母親から言われた言葉が脳裏をよぎる。「女の子なのに高い学費を払っていい大学に行かせたのにねえ。どこでもいいから決まらないの? 普通の事務職じゃダメなの?」

 その普通の事務職すら採ってもらえないのだ、とは言わなかった。言ったって無駄だから。

 噴水のそばを、幼児がよたよた歩いている。空になったドリンクの容器が、その小さな足下をコロコロ舞っている。なんともなしに、その容器の文字に目を凝らす。「タピオカミルクティー」と書いてある。最近、ちょっと人気でコンビニによくおいてある商品だ。いつだったか、大学で友達が飲んでいた。おいしいのかな? でも、飲み物と食べ物が一緒に口の中に入ってくるって、何かイヤだな。

 そんなどうでもいいことを考えて気を紛らわそうとしてもすぐ、うっとうしい羽虫が飛びまわるように、目の前に現実が戻ってくる。

 後戻りのできないところまで、来てしまった。消費者金融会社に就職して、人に金を貸したり、その貸した金を回収したりしながら、ご飯を食べて生きていくのだろうか、自分は。願っていたところから、あまりに遠すぎて、もうなにもかもわけがわからない。どうしてダメだったんだろう。何がいけなかったんだろう。やり直したい。どうしたらいいのかわからない。 

「あれ? どうもー」

 男の声で呼びかけられ、顔を上げる。とっさに「あっ」と声が漏れた。さっき一緒に集団面接を受けた男の子だった。

「俺も外で弁当食べるの好きなんだよねー、一緒にいい?」

 人懐っこい笑顔を浮かべて、彼は凛子の隣に座った。ビニール袋からガサゴソと取り出したものを見て、凛子は思わず噴き出した。

「なんだよー」と彼は口をとがらせる。しぐさも表情も、ちょっと高い声も、小学生の男の子みたいだ。「俺、これ好きなんだ」

「のり弁、わたしも好き」

「そうなの? じゃあ、交換する?」

 そう言うと、こちらの弁当箱をさっと取り上げてしまった。代わりに受けとったのり弁は、まだあたたかかった。

「おいしそう。本当にいいの?」

 凛子がそう尋ねるがはやいか、彼は炊き込みごはんのおにぎりにかぶりついていた。おいしい、とも、うまい、とも言わず、動物のようにむしゃむしゃと。

 膝の上ののり弁に目を落とす。白い発砲スチロールの弁当箱の中に、どこの国からやってきたのかもわからない謎の魚のフライ、ちくわの磯辺揚げ、きんぴらごぼう、ピンク色の漬物。そしてかつおぶしと大きな海苔がのっかったご飯。添えられたタルタルソースを、フライの上にたっぷりかけ、一口頬張った。

 続けてすぐに、白飯をかつおぶしと海苔と一緒にかっこむ。魚のフライとタルタルとかつおぶしと海苔とご飯。この、合っているのか合ってないのか、どっちかというと合っていないような気がするのに食べてみると妙に合っている組み合わせ。思わず「そうそう、これこれ」と心の中で独り言を言った。

「君、うまそうに食うね」

「え……そうかな」

「うん。さっきの面接のとき、ずっと怖い顔してたから、怖い子なんだと思ってた。そんな顔もするんだね」

 ニコニコと無邪気な笑顔でそう言われて、恥ずかしいと同時に、少しショックだった。やっぱりさっきの面接で、自分は無愛想だったのか……。

「でも、うまいよな、のり弁。たまーに食べたくなるんだよな。から揚げ弁当とか鮭弁当じゃなくさ」

「わかる。どれもとるにたらないおかずだけど、一つとして他のものと取り換えできないんだよね。小さな箱の中の完璧な世界って感じ」

 ハハハッと甲高い声で彼が笑った。「君、面白い言い方するね」

 ますます恥ずかしい気持ちになり、凛子は「子供の頃、土曜日の昼に父親と一緒によくのり弁食べたんだ」と無理やり話の流れを変えた。

「へえ、そうなの」とどうでもよさそうな声が返ってくる。「お父さん、何の仕事してるの」

「生きてた頃は、普通のサラリーマン」

 父親が生きていたら、今の自分にどう声をかけただろうか。「やりたいことがあるのは素晴らしいことだよな」と、子供のときと同じように、励ましてくれただろうか。

 それから、まるで同じ大学の友達同士みたいに、あれこれと近況を語りながら、二人で弁当を食べた。こんなリラックスした気持ちで他人と食事を共にするのは三百年ぶりぐらいだ、と凛子は思った。

 彼――名前は鶴丸俊彦というそうだ――は都内の私大生で、第一志望は銀行だったという。金融業界を中心に百社以上エントリーしたものの、一つも決まらないまま今に至っているそうだ。

 明るく、話し上手で、見た目も悪くない。女の子にもモテそうだ。他人の懐に入り込むのがうまい、最近よくいう、コミュニケーション能力の高いタイプ。現に彼のそんな性質のおかげか、出会ったばかりなのに、昔から知っている者同士かのような気持ちにさせられている。

 うらやましい、と素直に凛子は思った。凛子自身は真逆のタイプで、人見知りしがちだし、もちろん面接も苦手だった。彼みたいな男子学生と一緒に集団面接を受けると、人事担当者の注目をあっけなく奪われ、自分はずっと蚊帳の外、ということがよくあった。

 こんな人でも、ダメなのか……。

「別にさ、どうしても銀行に入りたかったわけじゃないんだ」彼は言った。「ただ、なんとなくっていうか、仲のいい従兄弟が銀行マンでさ、かっこいいなと思ってただけなんだよ」

 曇っていた空に少しずつ晴れ間が見えてきた。さっきまでいた親子連れはいつのまにかいなくなり、タピオカミルクティーの空容器だけがコロコロ転がっている。

「だけどさ、就活はじまってから気づいたわけ。金融って、今どこもヤバいんだってさ。だって日銀採用ゼロだぜ? もっといろいろ調べておけば違ったのかなあ……あ、違わねえか。俺みたいな中途半端な大学の、なんのとりえもねえ奴を採用してくれる会社なんて、今どきないんだよな」

 確かに彼の大学は凛子の大学より学力は下だが、中途半端というほどではない。さっき群馬の公立高校出身だと話していたので、内部進学ではないわけだから、高校時代、それなりにがんばってきたはずなのだ、自分と同様。

「あの会社、内定出たら入る?」凛子は消費者金融会社のある方角をちらっと見て聞いた。

 彼はそばにある自販機で買った三ツ矢サイダーを喉を鳴らして飲んでから、答える。「どうかなあ。あそこで働くって、なんか想像できない。君は?」

 凛子は少し間をおいて、最近、胸のうちに芽生えていたある考えを打ち明けた。

 それは、就職をせず今のアルバイト先にフリーターとして残る、というものだった。大学一年から、全国展開しているチェーン系のインテリアショップでアルバイトをしている。店長から、新卒向けの採用試験を受けてみてはどうかとずっと勧められていたが、就活前は小売業への就職など全く考えていなかったので断った。が、ここへきて、後悔しはじめていた。もちろん、採用期間はすでに終了している。しかし、このままフリーターとして店に残って、正社員登用を目指すという道が、あるにはあった。

「志望してた業種とは全く違うけど、でも、自分に向いているかどうかでいえば、こっちのほうが向いているかもって、最近思えてきたの。もともとインテリア商品に興味があったわけでもないし、接客もそれほど得意じゃないんだけど、なんていうか、みんなと協力してお店を作っていくのが楽しい」

 それに、と凛子は心の中だけで続ける。都内の別の店舗で働いている八歳年上の山根さんのことも、気にかかっていた。最近、二人でよく遊びにでかけるようになった。もしかしたら、付き合うことになるのかもしれない。彼も学生からフリーターになり、去年、正社員になった。優しくて面倒見がよく、オシャレで、ずっと憧れの人だった。彼の背中を追えるのなら、フリーターになるのもそれほど怖くない。むしろ、いきなり正社員として知らない社会に飛び出すより、そっちのほうがずっと楽なのはわかっている。

「本を作ることより、それはやりたいことなの?」

 彼はそう聞くと、スーツのポケットから何かを取り出して、凛子に渡した。いちごみるくの飴だった。「なんか、出てきた」と子供みたいにふにゃっと言う。

 飴の包みを開けながら、「やりたいかって言われたら、わからない」と凛子はモゴモゴ答えた。「結局さ、ショップの店員なんて大学生にでもできるんだよ。誰にでもできる仕事っていえば、そうなんだよね。ちゃんとしたキャリアを積んでいける仕事がしたいっていう気持ちはあるの。でも、出版社で働くなんて、もう実質無理だし。出版社どころか、ほかの業種も……」

「大学に残って、来年もう一回チャレンジって手もあるんじゃない?」

「うーん。それは親を説得しないと……」

「特にやりたいことがない俺が言うのもなんだけどさ。AがダメならB、っていう人生って、どうなんだろうか」

 ピンク色の小さな飴をじっと見つめたまま、凛子は何も言えなくなった。AがダメならB。そういう人生。

「単なる買い物とかさ、そういうのなら妥協してもいいけど、仕事ってイコール人生だろ? 後悔しないかな」

 後悔。後悔しないようにしよう。いつもそう思ってきた。後悔しなくて済むように勉強を頑張ったし、就活の準備もした。もっと努力が必要なのだろうか。編集者になれなかったら、わたしは一生その後悔をひきずって生きていくのだろうか。それは一体、どういう人生なのか。

「俺からしたら、うらやましいよ。子供のときからずっとやりたいことって、宝物みたいなものだよ」

 彼はそう言うと、ふいに立ち上がった。見上げると、雲間から見える太陽の光が目をさした。

「ま、俺たちまだ二十二歳だしさ。いくらでもやり直しはできるんじゃない? 最後までAを試して、納得いくまでやって、もうダメだってなったとき、Bか、あるいはCを考えようよ。人生はずっと長いよ」

 じゃーねーと言って、彼は大きく手を振っていなくなった。いちごみるくの飴を口に入れ、子供のときいつもそうしていたみたいに、すぐにかみ砕いた。

(第2回へつづく)