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 午後、夫が東京での仕事から帰ってきたのと、「まみりん」の帰っていくタイミングが重なりました。

 まみりんから「お世話になりました」とにこやかに挨拶をされて、呆気にとられていたような夫も「いえ、どういたしまして」と返します。

「じゃあね、あーちゃん。今度は東京でね」

 そう言って、まみりんは車で去っていきました。

「お疲れさまでした。お昼は食べたのよね?」

 荷物を受け取ろうとわたしが手を伸ばすと、夫は押しとどめてきました。

「どういうこと? 今の人、雑貨店に勤めてたときの友達だよね。なんとか麻実まみさん。来てたのか? うちに泊まった?」

「うん。昨日、突然、近くまで来てるって連絡があって、駅前あたりで遊んで、買い物して。夜はおしゃべりして」

「どうして急に来たの。いや、どうして私に、友人を泊まらせてもいいかという連絡がないんだ」

 夫が興奮して、わたしの肩をつかんできます。

「ハルくんに連絡しなかったのは、ごめんなさい。でもハルくんはいなかったんだし、まみりんは車で来たから、ハルくんに駅まで送っていってほしいといった頼みごとや迷惑をかけることもないし」

「他人を家に入れるのに、連絡しないのはおかしいと思わないのか?」

「えー? でもハルくんだって、わたしが留守のときに部下の人を家に招いてたことがあったじゃない。わたしが実家に行って帰ってきたら、何人かと家で呑んでて、宅配ピザを注文してって頼んできたよね。あらかじめ知らせてくれたら、デパ地下にでも寄っておつまみになりそうなものを買ってきたのにって、わたしは文句を言って。覚えてるよね。あれは二年くらいまえだった?」

「あれは急に来ることになったんだ。商談が成功して」

「お祝いなのに宅配ピザじゃあんまりじゃない、って話になって、慌てて良さげなものをデリバリーアプリで探したんだよ。忘れたの?」

「泊まりとは違うだろ。あの商談はわりと近くでやってたから、みんなそのまま寄ったんだ。そうだよ、東京からここまで車で何キロもあるのに、急に近くに来たなんておかしいだろ」

「まみりんは思い立ったら行動の子だよ。いつか別荘に遊びにきたいって、彼女が言ってたって話、したよね」

「だからって家の主人に断りなく泊まりにくるなんて、非常識だ」

 夫の言葉に驚きました。たしかにこの別荘は義父が手に入れたもので、名義も義父のままです。でも日々の掃除をしたりごはんを作ったり、ここでの生活を整えているのはわたしなのです。東京の家もそうです。だったら家族みんなの住まいと言ってよいのでは。来訪していいかどうかは、わたしの許可で済むはずです。

 わたしの表情は険しくなっていたのでしょう。夫がバツの悪そうな顔になりました。

「……ともかく、これからは私にも知らせてくれ」

 それだけ言って、夫は自分で荷物を持って、先に家へと入っていきました。

 

 しばらく、納戸にしている屋根裏で片づけをしていました。本当は昨日のうちにするつもりだったけれど、まみりんが来ることになり、そのままになっていたのです。

 階段を上ってくる音がしました。夫です。

「あのさ……」

 ためらいがちな声がします。

「なあに? 頼まれていた鉄道模型なら見つけたよ。そこにある段ボール。奥に埋もれてた」

 わたしは階段そばの段ボールを指さします。片づけようと思ったきっかけは、響斗が来たときの遊び道具にするため、夫が子供のころに好きだった玩具を探してほしいとお願いされたことです。屋根裏の埃はさほどひどくなかったけれど、衣類、玩具、各種の季節もの、といった区分けができていませんでした。賞味期限がとっくに切れた古い缶詰まである始末です。今までずっと、使わないものはそのまま放り込んでいたのでしょう。わたしも、例年は数日ずつしか滞在しないので、冬のクリスマスツリーと夏の水遊び用の品物しか見ていませんでした。

「見つけてくれてありがとう。……あの、下に降りてこないか」

「別に拗ねているわけじゃないの。せっかく時間があるから片づけをね。キリがついたら戻るから」

「じゃあ手伝うよ。なにをどう片づけてるの。だいたいのものは箱に入ってるだろ」

 夫が腰をかがめながら言います。屋根裏だけあって天井が低いのです。

「区分けがないの。なにが入っているかは箱の蓋に書いてあるけど、重ねると読めないし、いろんな段ボールを流用しているから印刷されてるものと中身が違うのも多いし。だからまず、そこにある紙に内容物を書いて、箱のサイドに貼ります。そして用途ごとにまとめて置きます。本当は棚がほしいけれど、まずはそこから」

「なるほど。そういうのは、私も父もからきしだな。母が得意だったかどうかは、もうわからないが」

 夫が淋しそうに笑います。義母は、夫が小学生のときに家を出ていったそうです。別の家庭を持っているらしく、以来、まったく会っていないのだとか。義父はそのまま再婚せず、夫はおばあさま――義祖母のほうに育ててもらったそうです。義父の両親もまた離婚なさったとか。そちらは熟年になってからの円満離婚だったそうで、夫は祖父母のどちらともひんぱんに行き来があったとのことですが、旅行三昧で余生を楽しむつもりが今さら孫を育てるとは、なんて言われたこともあるとか。冗談にしても子供は傷つきますよね。おふたりともわたしとの結婚以前に、義祖父、義祖母の順に亡くなっています。

 夫がわたしの行動に制限をかけたがるのは、そういった家庭の事情、とりわけ義母のことがあるからなのです。別の男性と一緒になるために捨てられたのだ、と以前、酔って口を滑らせたことがあります。わたしに対し、経歴や風貌が母親と似ているとも言っていました。いまだに母親が恋しいのでしょう。母親の代わりを求めているのかもしれません。理解はできますが、息苦しさも感じます。

 夫が手伝ってくれたこともあり、片づけ作業は早く進んでいきました。賞味期限切れの缶詰以外にも、加水分解された靴や鞄がありました。処分品がいくつも出ます。

「これ、どうしようか。残してあるとは思わなかった」

 夫が手に取ったのは子供の衣類です。かつて夫が着ていたもののようで、夏服は黄ばんでいて、ダウンジャケットは少し大きいようす。ですが有名なアウトドアメーカーのものでした。

「そのダウンは使えそうだから残しましょう。着るかどうかは、響斗に決めさせればいいでしょ」

「母のものもあるようだ。この白いワンピースは覚えている。胸元に刺繍がされていて……」

 夫は懐かしそうに広げたものの、すぐに眉をひそめます。

「襟元にくすんだ色がついちゃってるな」

「白は仕方がないよ。でもね、リバティプリントのワンピースがあったの。それをもらっていいかしら」

「リバティプリント?」

「リバティはイギリスの老舗の百貨店で、そこが作ったオリジナル生地のこと。上品な柄が人気なの。これ」

 昨日見つけていた小花模様のワンピースを夫に見せます。素材は綿ですが、シルクのような手触りをした、タナローンと呼ばれる定番の生地です。ワンピースは使用感が少なく、黄ばみや傷みもないようでした。

「やっぱりそのタイプ、きみの好きな柄なんだ。以前も、似たようなブラウスを着てただろ」

「やっぱりって? ……そうね、好きだけど」

「じゃあ、きみのものにすればいい。だけど、ふふ、あとのお楽しみだ」

 夫は含みのある表情をしています。

 

 片づけが終わったころには、夕食の時刻となっていました。昨日、まみりんと買い物に行ったので、そのときのものを整えて出します。

 ワインを用意していると、夫がデパートの袋を食卓に置きました。

「帰ってきたときに渡そうと思ってたんだけど、なんだか渡せないままになってしまって。お土産。開けてみて」

 なかから出てきたのは、リバティプリントのワンピースでした。屋根裏で見つけたものとは色が違いますが、よく似たテイストの柄です。

「これって……。だからさっき、あとのお楽しみって言ったのね」

「我ながらぴったりのセンスに驚くよ。きみの好みを熟知しているだろ?」

 夫は自慢げに胸を張ります。

「ありがとう、嬉しい。……お義母さんの好みとわたしの好みもぴったりだったのね」

「古い記憶しかないけど、おそらくね。派手な色柄より、クラシックで上品な服が多かったかもしれない」

 そう聞かされると、胸の奥にじんわりしたものが溢れます。会ったことのない人でも、絆を感じるというか。置いていかれた夫としては、複雑なものもあるのでしょうけれど。

「タイミングを逃したせいで二番手になってしまったけど、私のプレゼントもぜひ着てほしいな」

 夫が申し訳なさそうに肩をすくめています。

「もちろんよ。あの……、まみりんのことは、わたしもごめんなさい。ハルくんを無視するつもりはなかったけど、責められてる気がして、ついむきになってしまって」

 わたしは頭を下げました。

「責める気持ちはないよ。私は心配したんだ。麻実さんは、あの雑貨店での友達だから」

「どういうこと?」

「きみがここにいることが麻実さんを通して雑貨店に伝わって、そこから例の男に伝わるかもしれないじゃない」

「まみりんはわたしよりもまえに店を辞めているから、それはないと思う」

「口は軽くないの? 信用できる?」

「もちろんよ」

 わかった、と夫はうなずき、食事をはじめました。

 

 お風呂のあと、先に休ませてもらうことにしました。昨夜はまみりんと話をしていて、あまり眠れていなかったのです。

 すっかり眠りの世界に入っていたところで、夫に起こされました。

「これ! これを見て!」

 眩しい照明を背にして、夫がスマホを突き出してきます。わたしの目の焦点がゆっくりと液晶画面をとらえました。

 まみりんのInstagramが更新されていました。昨日、一緒に行ったお店が映っています。

「……え、待って。自分ので見る」

 ベッドサイドに置いた自分のスマホを手に取りました。写真をスライドしていくと、そのお店で買った品物や、わたしとのツーショットが載っていました。

「これはまずいだろ。ハッシュタグを見ろよ。ここの地名だ。きみがいることがバレるじゃないか。このベーカリーショップだって、ここの駅前にしかないだろ」

 夫はかなり興奮しています。

「そうだけど、どうしてハルくんがまみりんのインスタを知ってるの」

「麻実さんの名前と地名のハッシュタグで検索した。今すぐ彼女に連絡して、この写真を例の男に気づかれるまえに消してもらってくれ。早く」

「わかりました。連絡します。でもここは大きな別荘地だから、そのなかのどこにいるのかなんて、この写真だけではわからないよ」

「相手は上司だったんだ。無理にでも訊きだすかもしれないじゃないか。だから無断で人を泊めるなって言うんだよ」

「答えないように念を押すから。そんなに心配しなくてもだいじょうぶだよ」

 そう言ってなだめましたが、夫はなんども、きみは甘い、もっと危機感を持つように、と諭してきます。

 こんな遅い時間に申し訳ないと思いながら、わたしはまみりんへのLINEをはじめました。

 

(つづく)