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 それから一週間が経過した頃、私はふいに未来の妻に会いたくなりました。会う以上のこともしたくなってしまいました。

 そこでショセの娘に使いを送り、宿を取ったのでそこで待っていること、深夜に訪れるつもりだから、しっかり身を清めておくようにと命令したのです。

 そして日付が変わる直前、私は少年のように胸を高鳴らせながら、宿を訪れました。

 手狭ながら、趣味のいい調度品が揃っている宿でした。宿主に案内された部屋は奥行きがあり、中央に東洋風のついたてがあるため、突き当りまで見通すことはできません。ただし、ついたてには透かし彫りが施されているため、うっすらと、その先がわかります。ついたてから漏れる光は温かみのある橙色で、寝台の上に、女の白い背中がなまめかしく輝いています。

「青き時代の情欲を、今!」

 辛抱たまらずついたてを払いのけ、寝台の上に覆い被さった私の目に、橙に染まった白刃の閃きが飛び込んできたのです。

「ぎいああっ」

 私は腰を抜かし、仰向けに倒れてしまいましたが、それが幸いしたようです。

 喉の下を横薙ぎに払われたナイフは、私の首に若干の出血をもたらしましたが、命に別状はありませんでした。

 外に待たせてあった護衛が、私の悲鳴を聞いてかけつけ、女を取り押さえました。そこにいたのはショセでした。

 床に押さえつけられながら、ショセは震えもせず、私を見上げてきました。血走りながらもまっすぐな視線に、私は激高しました。

「わからないのか、この私の偉大さが!」

 私はショセの右頬を平手で打ち据えました。

「革命だぞ。貴族の、王族の首を飛ばし、それまで皆が崇めていた神さえ、無用の長物としてうち捨てる試みに手を貸しているのだぞ。生半可な処罰で収まると思うか?」

 私の論説をショセは鼻で笑い、

「あなたはその処罰自体を作り上げているじゃないの」

「それがどうした? 長い間、何千年もの間、大衆は神や王家を恐れてきたのだぞ。彼らが神を捨て、王族に唾を吐くようしつけ直さなければならないのだ。そのためには、かつて神官や国王が為した以上の威力を、恐怖を見せつけ、大衆が神罰や暴君を恐れていた以上に、革命という理念を尊重し、崇めさせなければ始まらないのだ。鼻歌を歌うような優しい統治に、革命を成し遂げられるわけがない!」

「それは後付けの理屈でしょう。あなたは人を殺した後で、殺さなければならなかった原因を探しているだけよ」

 ショセの言葉は、私が深く埋め込んだ後ろめたさを一瞬で掘り起こして射貫きました。

 私は護衛にショセから手を離すように命じました。

「人殺しには三種類いる。一つ目は、何も考えずに殺す人間。これは、どの街の酒場にもいるごろつきね。二つ目は、信念を持って殺す人間。これは、革命の火付け役になった本物の英雄や、今のパリで、政争を繰り広げている人たちかしら。この二種類は、どちらが優れているとか劣っているとか決めることは難しい。殺される側にとっては、信念があろうがなかろうが迷惑な話なんだから」

 ショセは背後にある寝台に唾を吐きました。それから私の方に向き直り、

「どこまでも救いがなくて、しょうもなくて、無様で汚らしいのは三番目だわ。あんたみたいな、人を殺してから理由を作る人間。我が身かわいさに他人を犠牲にしておきながら、自分の卑劣さを認められず、自分を正当化するために罪を重ねる人間よ。この街の皆が知っているわ! あんたは苛烈な公訴官なんて立派なものじゃない。自分のためだけに人を殺し続けている、最低の臆病者だって!」

 ショセの罵詈雑言も、そこまででした。私が、唇も動かせなくなるくらいに拳と平手打ちを食らわせたからです。

 かつて憧れた女の顔は無惨に腫れ上がり、それでもその瞳は私を侮蔑しています。

 ちがう、ちがう、ちがう。私は叫び続けました。

 

 裁判の様子を、ここで順番を追ってご説明する必要はないでしょう。外国人にパンを渡した人間が処刑されるのです。公訴官を斬りつけた愚かな女が、無罪判決を得る余地はありませんでした。

 有罪、つまりギロチンによる斬首刑が言い渡されたショセの牢獄へ出向き、死の運命に怯える姿を笑ってやろうかと思っていた私は、ショセの決然とした態度に気圧されました。

「あんたが死刑執行令状に署名しようがしまいが関係ない。私は決して、ギロチンなんかに殺されたりはしない」

 私に殴打された青痣があちこちに残る顔は、だからこそ凄みがあり、私は威圧されました。書類一枚で誰でも首を落としてしまえる街一番の権力者が、無位無冠の女に近寄り難さを感じているのです。

 ――怯えるな。これは、あれだ。死を覚悟した者の矜持というやつだ。

 私はそのように結論付けました。処刑台に首を落としていく連中は、この街でこそ取るに足らない雑魚ばかりですが、パリの処刑台では幾人もの大物政治家や貴族が最期を迎えています。彼らの死に様は立派なもので、堂々と処刑台へ上がり、風刺や名言の二、三個を口にして首を差し出したと伝わっています。ショセの落ち着きぶりも、そうした誇り高さの類似品だろうと私は決めつけました。かつて私が愛した女なのですから、それくらいの度量を持っていてもおかしくないだろうと。

「ご立派な態度だが、運命は変えられない」

 私はショセの急所を突く言葉を探し当てました。

「お前は尊厳を保ったまま処刑台へ向かうかも知れないがな、お前の娘は、どうだろう?きっと、お前の最期を見にやってくるだろうが、泣き叫ぶ娘の顔を見て、お前は最期まで平静を保っていられるかな」

「どうでしょうね。私も泣きわめくかもしれないわね」

 しかしショセは動揺しませんでした。

「だとしても、予言してあげるわ。私はギロチンで命を落とすことはない。ギロチンで死ぬのは、あなたの方よ」

 何を言い出すんだ、この女は?

 その場でこそ、笑い飛ばした私でしたが、次第に心穏やかでいられなくなりました。勉強熱心で頭が切れる女であることは間違いないのです。何か策を巡らせ、私を窮地に陥れる方法を準備済みだとも考えられます。

 配下に細心の注意を払うよう命じた上で、私はショセが何か仕掛けているならそれはどんなことかと想像を巡らせました。これに違いない、という答えは思いつきませんでしたが、しかしいずれにしても本人が牢獄に囚われているのです。実行するのはショセ自身ではなく、協力者なはずです。

 そこで私は適当な理由を付けて、ショセの親類・友人・家族を全員逮捕させました。全員を処刑できたなら話は早いでしょうが、さすがに強引に話を進めるわけにはいきません。

 実はショセの処刑予定日の翌日に、パリから派遣議員が訪れる予定になっておりました。革命政府の命令で地方に送り込まれてくる派遣議員は、絶大な権限を与えられておりますから、私としても失点を見せるような事態は避けたかったのです。

 私としては細心の注意をしたつもりでしたが、それでも、完璧な警戒態勢など存在しないのだと思い知らされました。

 処刑当日の朝のことです。処刑台と、ギロチンが炎に包まれました。

 

「私が公訴官になってから、このような不始末は一度として発生しなかった」

 焼け落ちたギロチンを、私は憤然と眺め回しました。

「これは、火付けか」

 警備担当者は恐縮した面持ちで、謝罪を繰り返すばかりでした。

 私が逮捕させた連中以外にも、ショセに同情する人間がいたのでしょう。

 どうやって、焼いたのか?

 基本的に、処刑の日時や場所は事前に告示しません。そのため首斬りを特等席で見物したい場合、処刑台に適した広場に当たりを付けて張り込んでおくやり方が常道ですが、中には裁判所の関係者に賄賂を渡して情報を得る不届き者もいるようです。同じ方法で場所を知り、処刑台の設営地点に火薬か油の類いを仕掛けたのでしょう。ギロチンや処刑台は、厳重に管理されており、事前に細工を施すことは難しいはずです。設営が始まってからは、警備も人目も増えますからさらに手出しが困難になるでしょう。

 しかし、あらかじめどの広場にギロチンが立つのか予想がつくのなら、その限りではありません。草地や地面の中に火薬を埋め込み、導火線を敷き詰めておいたら、処刑台やギロチン本体に近づかずとも、それらを焼き払うことも不可能とは言えないでしょう。

 忌々しい放火犯によって、私はにわかに発生した二つの問題への対処を強いられました。

 一つ目は、新しいギロチンの調達です。政令では、ギロチンの配備は一つの行政区分に一台と定められていたため、私の管轄にもギロチンの予備は存在しませんでした。

 刃こぼれや部品の破損に関しては、逐一、地元の鍛冶屋か大工に修理させており、その運用で問題はなかったのです。今回の放火のように、修理ではなく一台まるごと取り替えが必要になるような事態は想定外でした。

 そしてもう一つの問題は、翌日、この地に到着するという派遣議員の存在でした。

 派遣議員は地方で発生した重大事に対し、公安委員会から全権を委託されて送り込まれてくる強大な権力者です。この人物がギロチンの焼失を知り、原因が私を憎むショセにあると知った場合、私を公訴官として不適格と見なし、罷免するくらいはやりかねません。

 そうか、これがショセの狙いなのか。

 私はようやく理解しました。

 現在の私がこの地方で好き放題できる理由は、当たり前の話ではありますが、この地の革命裁判所で公訴官を務めているからであり、その地位を奪われたが最後、奈落へ転がり落ちることでしょう。

 とはいえ、私の配下や地元の有力者が私の追い落としを企んだとしても、私に察知された時点で「革命の敵」と烙印を押されてしまうため、正々堂々と糾弾するやり方は難しい。

 するとより現実的なのは、革命政府の権力構造の中で、私より上位の人間を動かし、私を罷免、もしくは断罪させるという方法です。

 学者の娘らしく小利口な作戦ですが、私にとって幸運だったのは、派遣議員の本来の目的がこの街ではなく、ライン地方の前線を指揮する軍人達に発破をかけるためだという事情でした。この街に立ち寄るのは、あくまでついでの視察にすぎず、一、二日で出発するそうです。

 ならば、その間のみ、失態をさらさなければ問題はない。ショセの処刑を延期するのはかしこい対応ではありません。ギロチンの焼失という不測の事態に対し、てきぱきと手を打つことができたなら、派遣議員の覚えもめでたくなるでしょう。

 では、どうやって代わりのギロチンを調達するべきか。他の行政区分から借りてくるのはどうでしょうか。たしかに急場はしのげますが、もし借り受けた直後に、貸主の行政区分でギロチンが必要になった場合、「自前のギロチンが焼失したせいで他所に迷惑をかけた」と評価されかねません。

 それでは、職人に命じてギロチンを新造させるべきでしょうか。こちらも、危うい賭けです。単純な仕組みとはいえ、木を切り出し、鉄を叩いて刃を作り、それらを組み立てる作業が一日で終わるとは思えません。

「……ギロチン以外の方法でショセを処刑するしかないのか」

 焦げた処刑台の前で、私は歯がみしました。例外的な措置として派遣議員に伺いを立てておけば問題にはされないでしょうが、ショセがうそぶいた、「私はギロチンで命を落とすことはない」という言葉が癪に障ります。ギロチンで死ぬのはこの私の方だという戯言は捨て置くとして、ショセの思い通りにことが運ぶのは大変に忌々しい。あの女のことです。処刑の直前に、「私の言うとおりね」などと笑うに違いありません。

 どうにかしてやりこめる方策はないものか?

 どうせギロチンが使えないなら、うんと残酷な代案であの世に送ってやろうか?

 反革命勢力の活動が激しい地域では死刑囚の数が多すぎてギロチンでさえ追いつかず、死刑囚を穴の開いた船に乗せ、川に沈めるという荒技を発案した派遣議員がいたと聞いています。

 同じ方法でショセを沈めてやろうか?

 しかし、ただ残酷に殺すだけでは、こちらの気が晴れません。あの女の矜持もへし折り、首もへし折ってやりたい。

 広場を歩き回りながら考えるうちに、そもそも私は、ショセに最も屈辱的な死を与えることができる舞台を、親から相続していたと気づきました。

 書庫です。私の父親の書庫で、あの女は知識を蓄え、死んだ亭主との愛も育みました。私にとっては劣等感の源泉のような存在である書庫ですが、ショセにとっては青春の思い出が詰まった場所であるはず。ショセをあの中に閉じ込め、外から火をかけてやればいいのです。

 喜び勇んで私は自宅へと向かいました。冷静に考えると自分の家を燃やす準備を始めているわけですが、書庫は離れとして独立しておりますし、本棚にある稀覯書の類いはもちろん、持ち出します。ショセが味わう精神的な痛みは、おそらく、本棚が空になっていたとしても大差はないでしょう。

 相続はしたものの、滅多に足を向けなかった書庫です。少し歩くだけで埃が舞い上がり、かび臭い匂いにも辟易しましたが、使用人に手伝わせて、本棚の中身を外へ運ばせます。

 私は書庫の奥にある扉に目を向けました。そこは父親が生前に準備していた展示室で、書庫の書物の中でも、とくに思い入れのある本に関わる文物を並べる予定になっておりましたが、父の急逝により頓挫したのです。とくに深い考えもなく扉を開けた私は、その中にあった器具を見て、うめき声を漏らしました。

 

 同日の夕刻、朝にギロチンが焼けた広場とは別の広場に、ゆるゆると数台の馬車が停まりました。その内の一台から死刑執行人とその助手が、別の一台からショセが現れます。俯いたまま歩く彼女を、私は広場の手前で待ち受けていました。

「どうなることかとはらはらしていたが、なんとか君を処刑してあげられそうだ」

 私は両手を広げ、死出の旅へと向かう者への寛大さを示します。ようやく顔を上げたショセは、広場に立つ処刑器具を見て、目を瞬きました。

「お気に召したかな? こいつが君の首筋をぶった切る死神――ギロチンの源流とされる、『スコットランドの乙女』だよ」

 

(つづく)