ああ、神よ。罪深い私に慈悲を施してくださるのでしたら、私の愚行についてお聞きとどけください。
ギロチンに関する懺悔でございます。
私はギロチンに、あの単純で美しい処刑器具に心を奪われておりました。
かつては故郷の街で平凡な法律家としてすごしておりました私が、神を信じ、清く慎ましい暮らしを送っていたこの私が、こともあろうに単なる鉄と木材の寄せ集めに対し膝を折り、殺戮を恣にしたあげく、破滅を迎えたのでございます。
すべて、革命が悪かったのです。
王や貴族の特権を廃し、自由と平等を目指して一七八九年に勃発したフランス革命は、私の人生を一変させました。
その当時、ドイツ国境沿いの寒村で細々と法律家の仕事を続けていた私は、すでに三十代半ばにさしかかっていたこともあり、これ以上自分の人生に大きな変化が訪れることはないだろうなと諦めに似た境地に至っておりました。そんな状況で身分社会がひっくり返るかもしれないと聞いたわけですから、期待に胸を膨らませるのも当然でした。
大規模な「世直し」が実行される場合、不遇を託っていた法律家に出番が回ってくることは間違いないと思われたからです。誰かが世の中を変えようとする際、抵抗が起こり、争いが生まれ、争いは法律家のメシのタネになります。
――王制が倒れ、新政府が立ち上がるなら法律も変わるはずで、法案を練り上げるためにも、施行するためにも人手が不可欠となる。ならば、片田舎の法律業者も、大きな仕事にありつけるかもしれない。
そのように期待した私は、故郷と革命政府の間で役人や議員の行き来が盛んになり始めた時期を見計らい、彼らに対して売り込みを開始したのです。
この運動は、数年を経て実を結びました。私の助けになってくれたのは、亡き父親が遺してくれた書庫でした。
博物学者であり、財産の半分を費やすほどの愛書家だった父は、辺鄙な田舎の住人としては破格の蔵書量を誇る書庫を自宅の脇にこしらえました。近隣の住民からの求めに応じて、様々な本を貸し与えてやっていたのです。住民たちにとって「知識」とは父親の書庫でした。
こうした話が、革命政府のお偉方の耳に入った結果、我が家は故郷の知識人層の代表であるかのように扱われることとなり、一七九三年六月には、この地方の革命裁判所で公訴官(検事)を拝命するに至ったのでした。
私は、人生の目的を果たしたような気分でした。それなりのやりがい、それなりの権限を持つ仕事に就くことができたなら、大半の人間は満足して、それ以上の栄達は願わないでしょう。私の手に入れた公訴官という職分が、一般的な裁判所の検事と大差ないものであったならば、私は平凡な法官として人生を終えていたのかもしれません。
しかしながら革命裁判所という機構は、平時の裁判所とは全く役割の異なるものでした。簡単に申し上げると、それは「革命の敵」を断罪するために用意された裁判所であり、上訴も抗告も許されておらず、判決は基本的に、無罪かギロチンの二択という恐ろしい組織でした。そして誰を「敵」と見なすかは、公訴官の裁量に委ねられていたのです。
設立当時の革命裁判所における有罪率は四割から五割といったところでしたが、およそ一年後には、八割を超えました。
つまり私は、その気になれば、管轄内に住んでいる人間の誰でも、処刑台送りにできる権限を与えられていたのです。
もちろんそのような仕組みは、任命される前から把握済みでしたが、就任当時の私は自分自身を節度を保つことができる人間と見なしており、本当に危険な人物のみ告発すればいい、できるだろうとたかをくくっておりました。
しかし、とある会合で、隣接する地域の公訴官と酒を酌み交わした折、忠告されたのです。
「君は『革命の敵』の摘発に熱心ではない様子だね。そのような仕事ぶりでは、あらぬ疑いをかけられかねないから、用心したまえ」
その言葉は皮肉ではなく、純粋に私の前途を心配する親切なものでしたから、余計に寒気を招きました。
公訴官の立場も、決して盤石ではなく、一つ間違えたら、私の首も、両断の憂き目を見るという忠告でした。生き延びるためには点数稼ぎが必要なのです。点数とはそのまま、生首の数でした。
ここであの悪魔のような処刑器具が関わって参ります。「効率的に、人道的に処刑を遂行する」という触れ込みで製作された処刑器具が、私が公訴官に就任する一年と少し前に、はじめて人の血を吸いました。
その器具は、発案者の一人だったギヨティーヌ博士の名を取って、ギロチンと呼ばれるようになりました。
はじめてこの装置を目の当たりにしたとき、私は、何とも面白みのない形だな、と思いました。処刑器具に対して面白みを要求するのは不謹慎でありますが、民衆にとって、罪人の処刑を見物することは娯楽の一つでした。それまでの処刑は、剣や斧で執り行われており、死刑囚は必ずしも一息に死んでいけるとは限りませんでした。
例えばパリではムッシュ・ド・パリと呼ばれる処刑人、サンソン一族の処刑技術は見事なものでしたが、フランス全土に、同様の達人が待機していたわけではありません。よって、首の斬り損ないがたびたび発生して、処刑台周辺は罪人の絶叫に包まれておりました。
そのような失敗は、ギロチンに関してはほぼあり得ません。
ギロチンは、子供にも理解できるくらい単純な構造で組み立てられています。
高さ、四メートル半の支柱を二本、三十七センチの間隔を開けて横に並べ、支柱の内側に溝を掘る。この溝に沿うようにして、重さ七グラヴ(著者注:当時革命政府が提唱していた重量の単位で、一グラヴ=一キログラム)の刃を挟みます。
刃の角度は地面に対して平行ではなく斜めになっており、これは単なる落下に「引き切る」ような効果を加え、切断を助ける効果があるそうです。
刃の上に、落下速度を速めるための「杭打ち機」と呼ばれる鉄の錘を取り付けると、総重量は四十グラヴとなり、この一式を、支柱の上端で固定します。後は死刑囚を引っ張ってきて、第四頸椎の上部が刃に当たる位置に首筋を置かせ、刃の固定を解除するだけです。
つまるところ、ギロチンとは、「重い刃をまっすぐに落とす装置」にすぎません。あまりに単純なのです。
もちろん細部においては様々な工夫がされており、例えば死刑囚の頭部を固定するために用意された、半月状の穴が穿たれたリュネットと呼ばれる二つの木枠などは大変便利なものですが――本質はそこではありません。組み立ても、修理もたやすいというところが、この処刑具の最大の利点であり、恐ろしさなのです。流石に、素人が一朝一夕で組み立てられるほど甘いものではありませんが、熟練の家具職人に任せれば、不具合や破損が生じても、難なく補修が終わります。
便利であることが、なぜ恐ろしいのか。
水車を思い浮かべていただきたい。それらの回転は麦粉などを挽くために活用されておりますが、水の勢いをとらえる機能が改良された場合、麦粉を挽く速度も、量も増大するはずです。
仮に一日の生産量が五十から百に増えたとして、水車の持ち主は、「うちでは五十しか必要ないから、水車を休ませる時間を作ろうか」と考えるでしょうか? あり得ません。性能が上がった分、より多くの麦粉を求めるに違いありません。
そしてギロチンにとっての、私にとっての麦粉こそ、反革命分子の生首でした。
とにかく便利なのです。剣や斧を使うのであれば、処刑人も人間ですから、処刑を繰り返していたら心が磨り減ってしまうでしょう。
ですが、ギロチンは違います。簡単に斬首できるのです。ギロチンの刃を落とすのも処刑人の役割ですが、彼らの精神的・肉体的負担を最小限に留めることができるのです。ギロチンの悪魔とは、効率性の悪魔でした。
ギロチンのおかげで枷が外れた、とも言えましょうか。革命政府から反革命分子の摘発に力を注げと言われても、処刑に多大な手間がかかるようであれば、難しいと突っぱねることもできたでしょう。しかし、ギロチンの前で弁解は成り立ちません。ほら、あんなに便利な道具があるではないか、もっともっと、斬り落としてしまえるではないか。そんな声が、たまに私の管轄を訪れるパリのお役人や、同輩の公訴官から流れ込んでくるような心地でした。
では、反革命分子だの、他国の手先だのをどこで見つけ出せばいいのか?
これは、実際のところ簡単でした。一例を挙げましょう。
私の管轄区域で、ある男が、飢えに苦しむ流れ者を憐れんで、パンを一切れ与えました。後日、この男は反革命分子として処刑されました。どうしてか。流れ者がドイツとの国境を越えてやってきたからです。流れ者は行方知れずになりましたが、こいつは我がフランスと干戈を交える敵国から送り込まれた間諜である可能性が高く、これを援助した行為は、国家への重大な反逆行為と見なされました。
これくらいの拡大解釈が許される時代だったのです。その気になれば、いくらでも罪人は「発見」できました。私は実績を積み上げていきましたが、周辺の同輩に並び、万事めでたしかというと、そうとは言えませんでした。どの同輩達も、反革命分子の検挙件数が最低に落ち込むことを恐れていたからです。革命政府のお偉方に目を付けられたくなかった皆は、じりじりと検挙件数を増やし、私も負けじと追いすがりました。当然、流れる血の量が増えました。
勘違いしていただきたくないのですが、私は自分の安全を確保するために罪もない人間を生贄にするという非道を、平気で繰り返すことができるような鬼畜ではありません。ずっと苦しんでいたのです。そして自分の心を守るために、理屈を組み立てました。
――たしかに私は、革命以前なら見落とされていたような些細な過失を反革命の大罪呼ばわりして、大勢の民をギロチンに送り込んでいる。
――しかしこれらは、不必要な行為というわけではない。王族や貴族を地に堕とし、市民が国家を動かすという大変革を成し遂げようというのだから、荒療治は不可欠なのだ。
――私が革命の敵と見なした死刑囚の中には、無実の人間も含まれてはいただろう。それでもなお、「革命に仇なす人間は、第四頸椎より上を永遠に失う運命なのだ」という厳然たる事実を、フランス全土の、ひいては全欧州の民衆に染みこませなければならないのだ。虐殺も殺戮も、将来のより凄惨な出来事を回避するためなら、許容されるべきなのだ。
――よって、私は間違っていない。
そのように思い込み始めると、それまでの苦悩や後ろめたさが消えて、頭がすうーっと軽くなり、心も晴れました。