【 第一章 】組織犯罪
◉世田谷一家殺害事件
◉広島一家失踪事件
◉八王子スーパー強盗殺人事件
◉伊勢女性記者行方不明事件
未解決事件の背景には、大きな影の組織が潜んでいたケースがある。
それらは巨大な力によって警察も踏み込むことのできない壁を作るのだ。
組織とは、どのようなものなのか。典型的な組織のパターン4つの例から、
事件に潜む闇を紐解いていきたい。
世田谷一家殺害事件
2000年 東京都世田谷区
事件概要
2000年12月30日に東京都世田谷区上祖師谷の戸建住宅で、その家に住む会社員の宮澤みきおさん(44=当時、以下同)と、妻(41)、長女(8)、長男(6)の一家4人全員が殺害された事件。
翌朝11時頃に、みきおさんの妻の姉夫婦が住む隣家に同居していた母親が、宮澤さん宅を訪れた際に4人の遺体を発見、後に駆けつけた姉夫婦が警察に通報した。1階階段付近では、みきおさんが顔や首、腕、脚など全身十数か所をメッタ刺しにされた状態で、中2階では妻と長女が原形をとどめないほどに切り刻まれた状態で、2階の子ども部屋では長男が扼殺された状態で、それぞれ倒れていたという。
犯行推定時刻は30日23時頃。犯人は、4人を殺害した後に、納戸の引き出しから冷蔵庫まで、家中を物色し、約20万円の現金などを奪って逃走。なお、現場にあったパソコンを操作した形跡があることも判明しており、その通信記録から、犯人は31日の朝10時頃まで現場にいた可能性が高いといわれている。
現場には、犯人が着用していたトレーナー、帽子、マフラー、ジャンパー、ヒップバッグ、手袋、ハンカチのほか、凶器の柳刃包丁が残されていた。また現場からは、犯人の足跡や、指紋、掌紋、血痕など、多くの物証が残されており、当初は早期解決が見込まれたが、いまだに犯人の足取りは掴めていない。現在、この事件には上限2000万円の懸賞金がかけられている。
2000年12月31日──〝20世紀最後の日〟に発覚した「世田谷一家殺害事件」。「未解決事件」と聞いて、真っ先にこの事件のことを思い浮かべる人も多いのではないだろうか。それは、新しい世紀を迎えるにはあまりにも惨たらしく、あまりにも由々しき事件だった。平和に暮らしていた宮澤みきおさん、妻、長女、長男の一家4人が惨殺されたこともそうだが、多くの証拠を残しながら一向に犯人が捕まらないことも不可解だ。なぜ、事件は解決できなかったのか──。その謎を、現場を訪れながら紐解いてみたい。
新聞やテレビで知る殺人事件は、どれほどに陰惨で残虐であっても、ニュースを通して見る限りはフィクションと大差ない、自分とは無関係の世界のものだ。しかし、実際に現場を目にすると、そこにいた人の息づかいが伝わってくる。そして理不尽にも、その生活が奪われたのだと感じずにはいられない。たとえ、どんなに世間の記憶から薄れてしまった事件であっても、現場には少なからず、そういう雰囲気が残っているものなのだ。この事件は記憶が薄れるようなものではないが、現場に独特な雰囲気が残っているという意味ではまさに、その典型だと言えるだろう。
シートで囲われた事件現場
──世田谷区の西部は、東京都内でも有数の高級住宅地である。そんな一等地にある広大な緑地が都立祖師谷公園だ。敷地の中央に仙川が南北に流れるこの緑地は、かつて東京教育大学(現・筑波大学)の農場だったという。その公園の真ん中の一角に、住宅用として区画された空き地がある。そこが、世田谷一家殺害事件の現場だ。
惨劇の起きた住宅が、今でも、その中にひっそりと佇んでいる。この空き地、当時は住宅が並んでいたが、公園の拡張計画の話があり、家屋の立ち退きが進んでいる場所だった。実は、事件の被害に遭った宮澤さん一家も立ち退きが決まっており、転居先を探している最中だったのだという。
事件発生時に、家屋の南側にあった家も現在はなく、建っているのはこの家屋だけだ。西側には仙川が流れ、北側には子ども用の遊具が設置された公園、東側にはスケートボードの練習用のバンクなどが設置された広場があり、絶えず人の動きのある場所だが、この一角だけ、時間が止まっていた。
家屋は左右と後ろの三方が青いシートで囲われており、正面には警察の詰め所として、小さな小屋が設置されている。そこで警察官が1名、警備に当たっていた。捜査関係者の話によれば、24時間態勢で番をしているのだそうだ。事件が特異なものだったことから、現場保存を徹底しているのだろう。
実は我々取材班が現場を訪れたのは2017年が2回目だ。1回目は、月刊誌『増刊大衆』で当事件の特集を組んだ2012年のことだった。そのときには、青いシートはなかった。だが、建物の老朽化によって外壁が剥がれ落ちるようになったため、2014年~2015年頃に、危険防止用のシートで覆うようにしたのだそうだ。捜査関係者からその話を聞き、事件から相当な時間が経ったことを痛感する。
正面の私道の入り口にはカラーコーンが立てられ、現場の敷地付近まで立ち入りできないようになっている。カラーコーンだけは2012年当時から置かれていたが、2度目の取材時では、そこに「KEEP OUT」と書かれた黄色い規制線が張り巡らされていた。
家屋の裏の公園側に回ると、妻が営んでいた学習塾「公文式」の看板がシート越しに透けて見える。また、屋根にある明かり取りの天窓からは、屋根裏部屋に吊るされたジャケットが確認できた。これらの様子は何も変わっていない。むしろ、事件当時から何も変わっていないのだろう。そんなところを細かく見ると、事件の生々しさが伝わってくるのだが、このシートで覆われたことによって、以前訪れたときに感じた異様な雰囲気は若干、薄れたような気がした。
この続きは、書籍にてお楽しみください