第1話 納骨堂の女
三日後、園田美優はメールで約束した時刻に五十分遅れてやってきた。尚樹は山野さんを伴って話をすることにした。
美優は、夫が亡くなったというのに、黒い服を着るでもない。チュニックが脛まで伸びたような華やかなワンピースをまとっている。鮮やかな紫に、黄緑の縦のライン。ブランド物のショルダーバッグに、有名デパートの赤いチューリップが描かれた紙袋を手にしていた。
今日は夫の納骨の日だ。尚樹は呆れた。
談話室に入った美優は、椅子を引いて腰掛けるなり、足を組んだ。
「ここは、煙草、駄目なのぉ?」
「……はい。ご遠慮ください」
「まったくどこも、禁煙とやらねぇ」
美優は出しかけた煙草の箱を紙袋に投げ込んだ。
尚樹は美優の顔をまじまじと見た。
「あの人が死んだんで、病室の持ち物を片付けさせたら、葬儀屋のチラシが出てきたらしくてねぇ。それがこの会社だったのよぉ。何も病室に葬儀屋の宣伝チラシ、大事に取っておかなくてもねぇ」
美優が吐き捨てるようにいった。
「確か三十五万円で、野原に放ってくれるのよねぇ」
「……草木葬をお考えですか。はい、価格はその通りです。あの、でも草木葬についてまずご説明致します。その後で草木葬の場へお連れします」尚樹はポケットに送迎車のキーがあることを確かめた。「三十分ほどで着きま……」
「だったら、面倒だから、あとは任せるわねぇ。そこの木の根元にでも適当に撒いておいてくださいな」
美優は談話室に貼られている草木葬が広告されているポスターを、顎で示してそういった。
尚樹は絶句した。
それを見て、場を和ませようと考えたのだろう、傍らから山野さんが言葉を挿んだ。
「テレビで拝見する園田美優さんでいらっしゃいますね? ご主人のことは、さぞ哀しいことでありましょう。心を込めて、供養させて頂きます」
美優が山野さんを横目で睨んだ。
「ま、テレビは仕事。シナリオよ。さ、早く、骨、撒いちゃってくださいなぁ」
尚樹と山野さんは顔を見合わせた。尚樹は口角を引いて、改めて美優を見た。
「草木葬は、いわゆる散骨をするわけではありません。あくまでもお骨を埋める、埋葬をすることをいいます。お骨を入れる場所は小さくて、亡くなられた方お一人お一人の墓石はありません。地表から下に場所をつくりまして、そこにお骨を入れるというのが草木葬です。その点で間違いがあってはいけませんので、確認します。この写真にありますが……」
身振りをまじえて尚樹は説明するが、美優が強引に制した。
「撒いて捨てるんじゃないの。まあ、どうでもいいのよぉ。撒けないんだったら、何でもいいから、やっといて」
園田美優が望むのは、とにかく夫の骨をさっさと手放したいということだ。そしてそこには、できるだけ費用がかからないようにすべてを終えたいという意思が明白だ。尚樹は、彼女が草木葬の場を訪れることは本当にないのかもしれないと、不安を覚えた。
尚樹は言葉に慎重になった。すると、山野さんがボールペンを手に、美優の前に置かれたまま、彼女が何も記入しようとしない契約希望の書式を引き寄せ、質問を始めた。
「故人様のお名前は何とおっしゃいますか?」
「ああ、いってなかったわねぇ。功よ。園田い・さ・お。まぁ、死んだら名前なんかどうでもいいでしょうけど」
「あえて申し上げますが、これは故人様とのお別れの時になりましょうから、どうぞ、草木葬では、この日を、亡くなられた功様とゆっくり過ごされることをお勧めします。そのことが、その『主人くん』とお呼びになる功様に想いを届ける機会として……」
美優が今度は山野さんを強い口調で遮った。
「ここは、宗教も流儀も慣習も、何もいわないんでしょう? そう聞いているけど。ということは、何かするもしないもこっちの勝手よねぇ」
尚樹は慌てて応じた。
「……ええ、その通りです。ですが……」
「だったら、そちらのやりたいように、どこでもいいから埋めといて頂戴。こっちには盆も四十九日も、とくに希望なんてないから」
「草木葬の埋葬は、ご主人との思い出を祈りに込める時間であろうかと思います。ですので……」
「何いってんのぉ。あの人はね、勝手によ、勝手に死・ん・だ・の。それだけ。こっちはまだ四十年は生きようって思ってんだから、余計な支出をしたくないのぉ。三十五万だって、高いくらい。でも調べさせたら、どこもここより高いんだから」
これでは、故人との穏やかな別れをどのように勧めようとも、埒が明かない。
「いいのよ、骨とはさっさと離れたいから。後は頼むわねぇ。さっきカード決済しておいたから」
そして、美優は席を立った。
尚樹はやるせない気持ちで訊いた。
「あの、お骨は?」
「それよ」
美優が指差す床に、赤いチューリップが描かれた紙袋が、ぽんと投げ出されている。尚樹としても、美優がエターナルに来たときから、骨壺はあの紙袋に入っていると思わざるを得なかったが、床に投げ出して黙って帰るとは。これほどまでに故人を思わない依頼者はいない。
俺の流儀で喰えないのなら帰れ、という寿司職人が本当にいるのか、尚樹は知らない。だが、故人を大切にできないのならほかの墓地へ行ってくれという言葉が、美優には当てはまる。
園田美優が出ていった。
尚樹は談話室で座ったままだった。
気づくと、山野さんが隣で目を真っ赤にしていた。
「ごめんなさい、あたし、テレビの様子とあまりに違うので……。こっちが泣きたくなってきた」
「そういう人もいるんだよ、世の中には」
尚樹は明らかな嘘で、山野さんを慰めた。
「あのワンピース。今年の冬コーデでしょう。私より若い人が着るものだと思います。芸能界に関わる人ですから、衣装と年齢は関係ないのでしょうけれど、でも、ご主人の納骨なのに……」
尚樹はプロ意識すら放り出していた。帰っていく美優を見送らなかったのだ。納骨に訪れた相手を玄関の外まで送らないのは、これが初めてだった。
紙袋には小さい骨壺を認めたが、くしゃくしゃに折りたたんだ埋葬許可証が突っ込んであり、さらに、美優が捨てたと思しき煙草の箱もあった。
尚樹はお骨を大切に抱えると、車に向かった。
「あたしも行きましょうか?」という山野さんを談話室にとどめ、いった。
「いいんだ、俺が草木葬、終えておくよ」
お金を払った契約者とはいえ、こんなに寂しいお別れはない。運転席に潜り込んだ尚樹は、しばらく動けなかった。
*
エターナルの経営は厳しい。人件費が経営に重くのしかかっている。訪れる参拝者の数は、季節や曜日によって大きく変動する。エターナルは尚樹を含む合計十三人の正社員が運営するとともに、彼岸や盆や連休などにアルバイトをお願いしていた。
尚樹は、経費に占める人件費の割合を、毎年辛うじて三十パーセント台に収めていた。だが、人件費比率がこれ以上増えると、経営全体を圧迫するようになる。機械を導入せずに、職員が心を込めて来訪者と対話するという譲れないこだわり。尚樹のこの考え方は、ぎりぎりのやりくりで成り立っているのだ。
尚樹は、人を雇うことは単なる経費ではないと考えてきた。人と人が集って仕事をすることには、特別の意味がある。尚樹は、社員やアルバイトとの間柄を、上司と部下、雇い主と労働者というよりは、友人同士に近い関係として築いてきた。責任者なのにけっして偉そうにしない尚樹の気さくなところは、社員に好かれた。尚樹も、人の死に対する厳かな姿勢とは別に、社員に対しては明るく砕けた姿を見せるのだった。
尚樹はよく、社員やアルバイトと一緒に、事務室奥の会議室で昼食を食べる。会議室は殺風景な部屋だが、社員やアルバイトが食事や休憩に使う便利なスペースだ。休憩時間まで上司の顔を見るのは鬱陶しいだろうと最初は気を遣った尚樹だが、いまでは普通に従業員と昼休みをとっている。そこにはいつもみなの笑顔があった。
その日も、昼食を会議室の机上に広げた。いつもの、自作の大盛りチャーハンだ。例によってその量に呆れ顔を見せた山野さんが、テレビを点け、よく見るというワイドショーにチャンネルを合わせた。
尚樹は画面に目を奪われた。山野さんも口を開けている。
現れたのは、ちょっと前にここに来た、あの園田美優だった。生放送のスタジオで美優は、鼻にハンカチを当て、涙にむせびながら喋っている。
「夫は少し前から闘病生活に入っていました。二十年以上連れ添った『主人くん』ですので、……いまはまだ何も……考えることができません。先日、樹木葬を行ってまいりました。立派なお墓を建てて弔うのが夫に先立たれた妻の役割かとも思ったのですが、普段から『死ぬときは自然の中に還りたい』……と話しておりましたので、そのようにさせて頂きました……。『主人くん』はいま、森の中で安らかに眠っていると思います」
悲嘆に包まれているであろうスタジオの空気の中で、最愛の夫との死別について、司会者が美優から巧みに言葉を引き出している。雛壇に座る中年の女優がもらい泣きした。政治や経済のニュースで辛口のコメントを投げつける野党の元党首までもが、沈痛な面持ちで美優の話に聞き入っている。
だが、茶番にしか見えなかった。談話室で、木の根元にでも適当に撒いておいてと吐き捨てたのは、この女だ。
スタジオは、ディレクターが困っているのではないかと思われるほど、沈んでいた。司会者がCMに振り、「次はお昼の天気予報です」と当たり障りなくまとめるのが精一杯だ。
尚樹が口を開こうとすると、山野さんが顔を真っ赤にしている。
「ちょっと私、悔しくて」
「放送を見ている日本中の人が、こんなものにもらい泣きしているんだ」
「……信じられないです。テレビって無茶苦茶です。面白く映ることを狙って、手段を選ばない」
「ああ、だが本当にひどいのは、園田美優だ」
尚樹は声を絞り出していった。
もはや、「主人くん」の死が芸能ネタになったと知った山野さんがいう。
「これは、園田美優の好感度上昇ビジネスでしょう。有名人の連れ合いの終わらせ方としては、樹木葬はどこか優しさがあって世間の共感を呼ぶから。ああやって泣けば、簡単に世の中の関心と同情を買えてしまう。これは、あの女の悪徳商法です」
「草木葬を、こんな使われ方されたくないな」
尚樹は怒りに震えた。
夫を喪い、骨を土に還した美優の涙を誘う演出は、テレビに続いて、美優自身が発信するSNSの動画でも人々を関心の渦に巻き込んだ。病名が公表されないことを面白がって、白血病とか、謎の感染症とか、はたまた実は自殺なのだとか、心ない投稿者が「主人くん」の死因を次々とでっち上げた。それが炎上した結果、山野さんのいう通り、盛り上がりを計算の内に含めてあるかのように、園田美優は話題を集め、彼女の商品価値は高まる一方だった。
*
「園田美優は、『主人くん』が死んでから、人気絶頂です」
日が少し経って冷静に美優の出演番組を見るようになった山野さんが、呆れ顔を見せた。その日も、毎日参拝に来ていた岡本京子が来ていないことなどを話しながら、事務室でテレビを見ていた。ワイドショーは、美優の話題で芸能コーナーが埋まっている。流れているのは、以前スタジオから生放送された、「主人くん」との思い出を涙に詰まりながら語る美優の映像だった。
「私はもう、人気の有名人が信じられません」
スタジオのテーマは、夫婦とは何か、家庭とは何か、そしてとうとう愛情とは何かにまで広がって、まるで他人の死を燃料とするかのように熱い議論で盛り上がっている。美優はときに真顔で、ときに涙を拭いながら、画面の四角い枠の中で悲劇の主役を演じ続けた。VTRが終わり、カメラがスタジオの生放送に切り替わった。
次の瞬間、うずたかく盛り上がったチャーハンをタッパーウエアからスプーンですくっていた尚樹は、画面を見たまま喉を詰まらせそうになった。
生番組の仕切りにおいては安定感抜群の男性司会者の声が、裏返ってしまっている。
「いま入ってきたニュースです。さきほど、園田美優さん、この番組でもお馴染みのコメンテーターの園田美優さんが、路上で心肺停止で発見されたとのことです。起業家でコメンテーターの園田美優さんが路上、道路の上で、心肺停止、心肺停止の状態になっているのが確認された、とのことです。詳しいことはまだ何も伝わってきていません」
何人かの出演者の驚きの叫びが、マイクを通じて流れた。カメラマンも驚いたのか、引きの映像になったかと思ったら急に出演者をアップで映したりと混乱していた。
尚樹はスプーンをくわえたまま、動けなかった。二人とも、画面を前に一言も発することができなかった。
その日のうちに、「園田美優自殺 『主人くん』の死に絶望か?」というニュースが広まった。遺書は見つかっていないそうだが、発作的に車が行き交う車道に飛び出し、トラックにはねられての自殺だと伝えられた。夫を失ってから沈みきった様子で画面に収まる美優を見ていた視聴者からは、「見ていられないほど憔悴してたからなあ」や「さもありなん」といった声が広まった。レギュラー番組も、出演者たちが揃って哀悼の気持ちを述べ、「なんとかして頑張る術はなかったのだろうか」と、自死を防げなかったことをみなで悔いた。
SNSは、程なく大人気の女性コメンテーターの自殺を面白おかしく脚色し始めた。本当は遺書があるとか、睡眠薬を購入していたとか、仕事のマンネリに悩んでいたとか、根拠のない話を増殖させて広めていった。
*
岡本京子は参拝を続けていた。尚樹は、京子が夫の参拝に来ると、社員に任せずに自分で対応した。故人とは納骨堂の生前予約の際に会っている。あのときから夫の残り少ない生を受け止めていく夫婦の温かい姿に、心動かされていた。この仕事は参拝者をみな同じ気持ちで迎えなければいけないと、尚樹は銘記している。だが、武彦の死を予期してやり取りが始まり、いま京子が一人で参拝するという夫妻に尚樹は寄り添おうとした。
尚樹はいつも無宗教の参拝室にお箱を運ぶと、エターナル社の青い布を祭壇に敷いた。京子はガラス玉を自分で丁寧に取り出す。そして転がらないように台座を置いて、その上に玉を載せるのだった。
準備が済むと、尚樹は退出した。彼女が参拝室にいる時間は、十五分のときもあれば、一時間のときもあった。ガラス玉に手を合わせ、夫に話しかけているのだろうと、尚樹は想像した。
そうして二か月が過ぎたときのことだ。参拝室を出ようとした尚樹の背に、京子が言葉をかけた。
「よろしければ、一緒に拝んで頂けませんでしょうか?」
珍しいことだった。ずいぶん前に、親を喪った高校生に請われて傍らにいたことがある。それ以来だ。
「お邪魔ではないですか?」
「いいえ、独りで拝むのも寂しいので」
尚樹は京子の斜め後ろに立った。彼女は、ガラス玉のすぐ近くで、手を合わせて祈った。
「ちょっと座りたいので、桑原さんもどうぞ腰掛けてください」
尚樹は頷いた。
京子は、尚樹が敷いた青い布で包むようにしてガラス玉を祭壇から持ち上げると、座って膝に置いた。そして、見つめた。
彼女の頬から涙があふれ、玉の上に落ちた。弾けた涙が青い布の上に散る。
――美しい。
尚樹は胸の裡で呟いた。哀しい涙であるのに、ガラスを伝うそれはキラキラと光って、きれいだった。亡き武彦の「心」となるガラス玉が、京子の涙に命を与えているように、尚樹には見えた。それは青い布に沁み込んで、この世から消えていく。
心優しい祈りは美しいのだと、尚樹は知った。
尚樹は自分まで涙を流していることに気がついた。悟られないように、俯いて涙を拭いた。顔を上げても、彼女はまだ拝み続けていた。
*
エターナルに決まった休業日はない。そのことについては、納骨堂は寺や墓地と似ている。実際には、参拝者は土日に多い。
忙しい土曜日も夕刻を迎えて、尚樹がホッと息をついたときだった。玄関窓口に二人組の男女が現れた。
会釈した尚樹に、「週末の夕方に大変恐縮です」といいながら、二人は名刺を出した。名刺には、よく聞く写真週刊誌名の赤い飾り文字が映えている。編集部の記者とあり、肩書で男性の方が上司だ。女性はまだ二十代にも見える。
尚樹は二人を会議室に通した。
「こちらは納骨堂ですが、週刊誌の方が……ご用件は何でしょう?」
男性記者が尚樹の問いに答えた。
「コメンテーターの園田美優さんをご存知でしょうか?」
「ええ」
「私たちは園田美優さんのことを取材しています。こちらの契約者さんに園田美優さんがおられるかと思いまして、訪問させて頂いた次第です」
美優の名前を耳にして、尚樹は身構えた。過去に取材というものを一度だけ受けたことがあった。エターナルの納骨堂には、数年前から、人気のあった若手の声優が納まっている。彼が亡くなったとき、どこで聞きつけたのか、アニメ情報を扱うウェブメディアの編集者からの取材があった。尚樹はそのときのことを思い出して返答した。
「マスコミの取材に応じることはいたしません。恐縮ですが、お役に立てないと思います」
「存じています」
写真週刊誌といえば、やくざまがいの連中だと尚樹は見なしている。何せ、多数の芸能人のプライベートを社会に晒し、休業や引退に追い込んでいる。昨今では中央政界のスキャンダルの火種となる例すらある。だが、目の前の二人はその印象とは違って、少なくとも言動は礼儀正しい。
「これをご覧ください」
男性記者は女性からタブレットを受け取ると、尚樹に見せた。
驚いて声が出なかった。そこには、赤いチューリップの紙袋を手にエターナルの玄関からビルの中へ入っていく、華やかなワンピース姿の園田美優が捉えられていた。
あの日の写真だった。美優はマスクとサングラスで顔を覆っているので、表情は細かく見えない。尚樹は、写真の女が園田美優であることを認める必要はないと思いついた。
だが、記者二人ははるかに手練れで、容赦なかった。
「ここしばらく私たちは彼女から離れずに、ずっと追っていました。ですから、この人物が園田美優さんであることは疑いありません。御社の契約者さんであることにも確信をもっています」
尚樹は、あきらめて応じた。
「園田美優さんをそちらがどのように見張っているのか、当方とは関係のないことです。とにかく、取材を受けることはできません」
記者は礼儀正しく振る舞ってはいるが、園田美優の跡をつけ、私生活を暴くという意思をもっている。善人と思ってはいけなかった。
尚樹は勘繰った。この二人はもしかしたら、エターナルで露呈したように美優に道徳の破綻した振る舞いがあることを、どこかで嗅ぎつけているのかもしれない。短い滞在時間でこの社屋を出たことは確認しているはずだから、草木葬の場に美優本人が行っていないことまで、つかんでいることだろう。だとすれば、彼らには、美優と「主人くん」の愛情あふれた二人三脚が、美優のつくった嘘のシナリオであることを暴く狙いがあるのかもしれない。
尚樹は腹を括った。
「お引き取りください。こちらは納骨堂を責任をもって運営しています。亡くなられた方や参拝される方のご様子を他者に明かすことはできません。その意味はお分かりでしょう」
そういうと、それまで黙って頷くばかりだった女性記者が口を開いた。
「『主人くん』の本名は園田功です。美優さんは公表していませんが。私たちは、園田美優さんと『主人くん』こと園田功さんの素敵なご夫婦の生き方を、ぜひ多くの人に知って頂きたいと思っているのです。そのためには、こちらにご主人のお骨を持ってこられた美優さんの様子を、一言伺えればと思いました」
男性記者がバッグから手のひらサイズの動画カメラを取り出すのが、目に入った。
女性記者が執拗に問いかけた。
「私たちがこの納骨堂さんの前で確認できた園田美優さんは、顔を覆ってビルに入っていく先ほどの場面しかなく、それは御社が樹木葬を執り行った日だと確信しています。でも、それ以前に、園田美優さんと連れ添って、功さんもこちらに来たのではありませんか? お元気だったときに、ご夫婦で契約をされたのではありませんか?」
女性記者はタブレットの画面に別の写真を開きながら、いった。
「この写真の人物が『主人くん』、つまり園田美優さんの亡くなられたご主人、園田功さんです。多くの方はご存知ありませんが、私たちはこういう仕事ですから、功さんの写真を所持しています。お元気な頃に、ご夫婦でこちらの納骨堂を訪れたのではないかと想像しています。そのときの心温まるお二人の様子を、一言でも、話して頂けないものでしょうか?」
訴える女性記者は、涙目になっていた。
尚樹は考えた。この二人は、仕草や言葉遣いは丁寧でも、人の私生活を覗いて金儲けをしているのだ。尚樹は、心を鬼にしてこの懇願には応えられないと意を決した。この記者の涙は、嘘つきのプロの、迫真の演技かもしれないのだ。
実際に「主人くん」がここに来ることがなかった以上、週刊誌記者が期待する、夫婦での納骨堂への来訪という光景は実在しない。実際は見たものを嘘をついて隠さなければならないというのとは、状況が違う。そのことが尚樹の心に余裕を生んだ。
「他人の家の玄関を覗くような真似をして、信用が得られると思っているのですか? あなたがたにお話しすることは何ひとつありません。お帰り下さい」
尚樹は記者の問いを拒絶した。
だがそのとき、女性記者が無理矢理差し出したタブレットの画面が、目の端をかすめた。
尚樹のすべてが止まった。尚樹は画面の写真を見ないわけにはいかなかった。
「そこをなんとか。ご協力ください。これが『主人くん』です。この、園田功さんは来ませんでしたか? 美優さんと一緒に……」
二人の記者の取材を求める声が耳を通り過ぎる。
「功さんは五十二歳の男性で、背が少し高い人です」
「なぜこちらの納骨堂を選ばれたか、お話はありませんでしたか?」
「御社を訪ねた二人は仲睦まじい様子だったと思います。美優さんと功さんはここで何か会話をしませんでしたか?」
「樹木葬に来た美優さんは、涙を流していましたか?」
最後に男性記者が付け加えた。
「取材ですので、しっかりギャランティはお支払いします。ご希望なら、エターナル社さんのお名前を明示するかどうかも、ご要望に沿いましょう」
だが、尚樹は何も応じることができなかった。
記者のタブレットの画面には、どこかの横断歩道で信号待ちをする一人の男が写っていた。男は、特徴ある太い褐色縁の眼鏡をかけていた。男は、忘れもしない、岡本武彦さん、その人だったのだ。
*
記者に引き取ってもらってからも、尚樹は会議室の椅子から立ち上がれなかった。
記者は強引に写真のプリントアウトを尚樹に残していった。
「どんな内容でもよろしいので、お話頂けるときにはご連絡ください」と、帰り際に男性記者がいい残していった。
――この写真は、その道のプロが手に入れたものだ。園田美優の夫。みなが「主人くん」として思い描く園田功は……、岡本武彦なのだ。
写真を持つ尚樹の指が震えた。
――間違いない。
尚樹は他者の顔の記憶には自信があった。
――園田功、イコール、岡本武彦。
尚樹は黙考した。
園田功は、園田美優の夫。しかも現実の長い連れ合いだ。園田功が、実在しない人物だとは思われなかった。
――だとすれば……。岡本武彦こそ、園田功が演じた架空の人物……。
そこから引き出される推論がひとつ、尚樹の胸の裡に想起された。
――園田美優と功の夫婦関係は、以前から崩壊していたのだ。「主人くん」と美優の支え合う仲は、マスコミと芸能界に露出するときの、完全な作り話。
尚樹はあり得る事実をたどった。
――園田功が本当に愛した女性は、岡本京子。ごく限られた相手にだけ名乗る偽名が、岡本武彦。この納骨堂は、その限られた相手……。そして、写真週刊誌記者でさえ、美優と「主人くん」の夫婦仲が壊れていることに気づいていない。
尚樹は自分の推論を何度もたどった。そして、おぼろげな物語に、尚樹の指先は届こうとしていた。
武彦と京子は、尚樹にだけは、生前予約のとき以来、いくつもの隠し事をし、真実と異なる姿を見せてきたに違いなかった。それは、愛する二人が、二人だけの弔いの場を納骨堂に求めるためだ。義きょうだいにお骨を奪われたという京子の話は、園田美優によって思うようにならなかった経緯を隠すための工夫だ。結婚して二十年になるという武彦が語ったあの身の上は、本当は京子とそう生きたかったという二人の夢だったのかもしれない。
尚樹は瞼を閉じて、沈思した。
園田功、つまり岡本武彦は癌で亡くなった。彼には、二人の伴侶がいた。一人は園田美優。園田功が人前に現れることは一切なかった。だが、人々に広く、「主人くん」と美優のおしどり夫婦は知られていた。その夫婦の姿のすべてが、美優が自分を売るために偽装した作り話だったに違いない。二人の関係は、すでに冷たくなっていたのだろう、まるで氷のように。
そしてもう一人は岡本京子。園田功には、岡本武彦を名乗る別の時間があった。そこには京子が心から寄り添っていた。二人の仲は温かい愛で結ばれていた。
だが、それは園田功の不倫だ。二人がいかに愛し合おうとも、妻は美優だ。園田功の側に、「明日」を手にする主導権はなかった。いい夫婦の創作シナリオに沿って自分を売り、儲け続けるのが美優の唯一の目的だから、婚姻の解消が法的に生じないように策を巡らせていたはずだ。
そして、当の園田美優は自殺した、交通量の多い道路に飛び出して。
――発作的に……。
尚樹はかぶりを振った。
美優は、このビルに来て、まるでごみの処理を頼むかのように草木葬を依頼し、二度と訪れないという手段を取ったのだ。渡りに舟で予定通りに夫の病死を迎えた美優が、夫の死を悔やんで自死することは……。
――……ない。
*
納骨堂に岡本京子がやってきた。
京子はいつものように、箱から取り出した輝くガラス体を祭壇に置く。それを見て参拝室を出ようとする尚樹の背後から、京子が声をかけた。
「日が経つにつれて哀しみが深まります。時間を経ても哀しみは薄れないのです。よろしければ、また一緒に拝んで頂けたら助かります」
尚樹は小さく会釈して、京子の斜め後ろに立った。
京子は持ってきた白い花を手向けると、手を合わせた。そして、椅子に座って膝に青い布を敷くと、その上にガラス玉を置いた。夫を愛するかのように球体を抱きしめた。それから、涙した。
しばらくして、京子が尚樹を振り返った。尚樹も彼女を見た。
「お箱を仕舞いましょう」
「ありがとうございます」
尚樹はガラス玉を受け取ると、お箱の中に置いた。
いつも京子は、尚樹がガラス玉をお箱に入れるのを見てから、帰っていく。
尚樹はガラス玉の下に敷いた青い布に指を沿わせた。そして京子を振り返って、いった。
「ご主人の岡本武彦さん。彼は、園田功さんと同一人物ですね。そして彼は、園田美優の法的な夫。世間には、彼の顔を知る者はなく、ただ、『主人くん』というニックネームだけがたくさんの人に愛されてきた」
京子は俯いていた顔を上げ、尚樹の目を見た。
「あなたには葛藤や苦悩があったと思います。いえ、私のような他人が、葛藤だの苦悩だのというのはおかしい。でも、そう想像できました」
尚樹は祭壇から少し離れた所から、京子とガラス玉を交互に見た。
「あなたは武彦さんを心から愛していた。そして武彦さんもあなたを愛した。けれど、病魔は容赦してはくれなかった。おそらく妻の美優さんと顔を合わせる機会は、ほとんどなかったのではないでしょうか。彼はいつもあなたの傍にいたはずです」
京子が言葉を探すようにして口を開いた。
「私と生きていくために、あの人には名前が必要でした。武彦という名前は、二人で相談してつくった名前です。桑原さん、あなたの前では、その名前を使うしかありませんでした。想像された通り、武彦さんは私とずっと一緒でした。最後は止むなく終末医療の病院に入りましたが。武彦さんは、美優さんには病院の連絡先だけは伝えたそうです。でも、美優さんが会いに来ることはありませんでした。きっと面倒に思ったのでしょう。武彦さんが亡くなった後で、マネージャーという方が来ただけです」
そこで、ふっと息を吐いた。哀しみに沈んでいた顔に、穏やかな表情が加わった。
「いずれ、誰かが気づくかもしれないとは思っていました。でも桑原さんからいわれるとは考えていませんでした」
「余計なことを申しました。実は、園田美優さんが夫の『主人くん』を埋葬してほしいと依頼してきたのは、このエターナルなのです。私が会いました」
京子が目を見開いた。
尚樹は、園田美優が自分に対してどう振舞ったかを語った。そして、週刊誌の記者が持ってきた「主人くん」の写真が岡本武彦だと気づいたことを話した。
見送る知り合いがいない中で岡本武彦の草木葬を執り行ったことを語ると、また彼女の目に涙があふれた。
愛する人を喪った上に、葬儀と納骨の機会までも美優に奪われたのだ。
尚樹は、お骨はもう合葬を終えているけれど、草木葬のクスノキまでご案内しますと京子にいった。
京子は尚樹に感謝を伝えた。だが、「私には、これがあります」といって祭壇に近づくと、球体を両手のひらで包んだ。
「武彦さんが本当に私に遺したものは、このガラス玉です」
京子は部屋を見渡した。
「それに、このような立派な参拝室があります。納骨堂で、桑原さんやみなさんが大切にお箱を守ってくれています。これでいいのです。これでいつまでも、武彦さんの心と一緒に生きることができます」
涙にくぐもっていたが、力強い言葉だった。
「この納骨堂に決めようといったのは武彦さんでした。『あの納骨堂は心がこもっている。あそこなら、死んでからも二人だけの時間が待っている』と。武彦さんが亡くなった後、彼女の依頼を受けたマネージャーという人が、病院から武彦さんのご遺体を搬出していきました。配偶者は美優さんですから、その意を受けて火葬場へ走り去る霊柩車を見ながら、その場で私は何もすることができませんでした。私たち二人の関係は、美優さんには知られていたと思います。でも、武彦さんは、お骨を、まさか美優さんが自分のイメージ作りのためだけに一方的に奪っていくとは考えなかったでしょう。私の手元には、このガラス玉だけが遺りました。お骨を頂けないことになったとき、最初私は自宅にお仏壇を用意して、そこに置こうかと思いました。でも、武彦さんはこの納骨堂をとても気に入っていました。納骨室もお箱も参拝室も、みな気に入っていました。ですので、これを、ここに納めさせてもらいました」
京子はガラス玉に目を落とすと、頬を緩めた。
「『安物で悪いけど、おまじないのようなものだ』といって、武彦さんは私に贈ってくれました」
「優しいお心遣いですね」
京子が深く頭を下げた。
「私も武彦さんも、桑原さんにいくつもの嘘をつきました。申し訳なく思っています」
尚樹はかぶりを振った。そして思った。
――これで、話すことはすべてなのかもしれない。
尚樹は、続く話を躊躇した。尚樹が何も話さなくても、京子には京子の明日がある。尚樹が話を続けなくても、今日と何も変わらないまま、光るガラス玉に祈る明日が彼女には待っている。
尚樹はガラス玉に目をやった。
参拝室から音が消えた。尚樹は、静寂の中でひっそりと優しい光を放つガラス玉に、背中を押された。
尚樹は口を開いた。
「あなたが、園田美優さんを殺しましたね」
*
京子が微かに息を呑むのが聞こえた。そして、また部屋は静寂に戻った。
何もいわず、動くこともなく、ただ尚樹を見つめた。
尚樹はいった。
「ご主人が亡くなって、二か月半。あなたが参拝を欠かしたのは、たったの一日だけです。その日は、園田美優さんの亡くなられた日です。美優さんは、自宅の近くの道路に発作的に飛び出したとされています。それが、自殺を結論づけた警察の判断であり、多くの人の想像と一致しています。でも、私には分かります。自殺はあり得ません」
京子が唇を噛みしめた。
「私は、警察の人間ではありません。捜査をしたり、犯人を捕まえたりする能力も役割もありません。私の役目は、納骨堂に来て下さる人たちの幸せを祈ることです。美優さんは、ここに功さんの埋葬をお願いしに来ました。その時の様子は、世間が伝えるおしどり夫婦とは、まったく異なるものでした。まるでごみを廃棄するかのように、功さんのご遺骨を一刻も早く、そしてもっともお金をかけずに消し去ることだけを、美優さんは望みました。その時の言動は、夫を送る妻の姿とはかけ離れていました。岡本京子さん。真の伴侶として心を込めて弔いを続けているのは、あなたなのです」
京子が尋ねた。
「どうして、気づいたのですか?」
「たった一日だけ参拝に来なかったあなたは、翌日から、またそれまでと同じように、この部屋でこのガラス玉を祭壇に上げ、膝の上に抱いて、祈りました。私は、ご主人と対話されているのだと想像しました。そしてあなたは、それを毎日欠かすことがありませんでした」
ガラス玉が返す光が、京子を優しく照らしている。
「でも、たった一度、あなたの参拝には、それまでと違うことが起きていました」
京子が尚樹の目を見た。
尚樹は祭壇に敷かれた青い布に手を添えた。
「ガラス玉を祭壇に置く前に、必ずこの布を敷くようにしていました。毎日のことなので、あなたにもこの布はいつも目に入っていたと思います。そして……」尚樹はガラスの玉に触れた。「岡本さんが参拝した後は、布がいつも涙で濡れていました。拝みながら、祈りながら、涙を流していた。ガラスの玉の上に落ちた涙が、この布を濡らしていたのです。今日もそうでした」
尚樹は両手を胸の前に合わせて目を閉じた。
「でも、たった一日、あなたがここに来なかった日の前日のことです。お箱を仕舞うとき、私は、この青い布にあなたの涙の痕を見ることはありませんでした。そしてあの日だけは、ティッシュも一枚も使われていませんでした。それが、あなたがあの日、園田美優さんの命を奪ったと私が思う、たったひとつの理由です」
京子が、堰を切ったように嗚咽を漏らした。
「あなたは決意したのでしょう。あの日、園田美優さんを殺すことを。殺すという強い決意が、あの日、あなたから優しい涙を奪った。そう確信しています」
静かな参拝室に、京子の涙声が響いた。
「憎かった、園田美優が。武彦さんへの彼女の冷酷さが、許せなかった。だから、あの日、跡をつけて……」
京子は祭壇の正面に立つと、ガラス玉を両手で包み、胸の前に抱いた。そして、声を絞り出して話し始めた。ガラス玉に涙がこぼれ落ち、白色の光が小さく揺れた。