第1話 納骨堂の女
飾り気のない雑居ビル風の建物を見上げて、桑原尚樹は呟いた。
――19202……か。
この建物の中に、尚樹がいま納めている人の骨の数だ。墓マンションとか骨ロッカーとか揶揄されるビル型の納骨堂。それが尚樹の仕事場、街の納骨堂・エターナル社だ。
腕時計を見る。約束の時間まであと十五分ある。だが、遠くの歩道を夫婦らしき二人が近づいてくるのが目に入った。人の流れの乏しい昼下がりの池袋。草臥れた、鉛筆のようなビルの群れに囲まれた街路を男女が歩いてくるとなれば、彼らは納骨堂への来訪者に違いなかった。
尚樹は、現れた二人に声をかけて、納骨堂二階の談話室に案内した。商いでいえば商談をする部屋だが、エターナルの従業員はそこを談話室と呼ぶ。二人が来た目的は「生前予約」だ。
「岡本です」
そう名乗る男性は、グレーの髪が重ねた年齢を上品に見せている。褐色の太い眼鏡フレームから、会社で部下に信頼される上司の雰囲気を尚樹は感じ取った。充実した人生を形にして示すように、高級感のあるダークスーツをしっくりと着こなしている。女性は落ち着いた褐色のスーツだ。納骨堂に契約に来る人は、死や死者に向けて敬意と誠実を表すためか、わざわざフォーマルな服を着てくるものだ。
生前予約とは、まだ誰かが死んだわけではないのに、予め納骨スペースの契約をすることだ。生前予約の多くは中高年によって進められる。目の前の二人は、どちらかが、年老いた親の死に向けて心づもりを始めたに違いないと、尚樹は確信した。
二人の顔を記憶に刻み込む。尚樹は一度見た人の顔を忘れない。それは、社員に尚樹が求める大切な技量でもあった。一万人を超す契約者それぞれが納骨堂を訪れる機会は、多くの場合、年に一、二度。初対面で顔と名前をしっかり覚えるのが、この仕事の第一歩だ。
二人に笑みはなかった。書いてもらった書類に目を走らせる。男性は武彦さん、五十二歳。女性は十歳年下の京子さん。四十六歳の尚樹は、二人のほぼ中間の年齢だ。
住まいは納骨堂から遠くない。電車で二十分の距離だ。男性の職業欄には、肩書に「関東ブロック第二営業部長」とある。そこに書かれている会社名は、日本人なら誰もが知る有名家電メーカーのものだった。
「まずはお話を伺いましょう」と尚樹がいった。
武彦が答えた。
「ええ、三か月以内に、私は死にます。このビルのどこかに私を入れてほしいのです」
「……」
初対面でのあまりの言葉に、尚樹は戸惑った。生死の境目の相談事には慣れている尚樹だ。だが、この動機は明瞭過ぎる。それに、ご主人の命の残り時間があまりにも少ない。
隣りに座る京子は沈んだ目で武彦の横顔を見ると、そのまま俯いた。
「ご事情を伺えればと思います」
尚樹は平静を装い、改めて背筋を伸ばすと、武彦を見た。けっして顔色はよくはない。だが、重い病人に見えるかといえば、そうでもなかった。
「癌の宣告を受けました。昨年、胃を取ったのですが、肺に転移したそうです。制癌剤は辛いのでやめました。このまま、穏やかに逝ければと思っています」
半年生存する可能性はないと断言する。他人に有無をいわせない言葉だった。
「こちらへ来られることは、奥様とお二人で考えられたのですか?」
精一杯の尚樹の問いに、夫婦が顔を見合わせた。
初めて京子が口を開いた。
「ええ、二人で話しました。お寺や宗教は苦手なので、ここは、武彦……、主人のために、形だけでも用意して、二人で静かにそのときを迎えたいと思います」
小柄で美しい女性だ。きりりとした目と均整の取れた頬。短い髪を濃い栗色に染めている。襟に、銀のリーフの形の小さなブローチが光っていた。痩せた体は力を失っているように見える。夫の病がその妻に染み入っているかのように、尚樹には思われた。
毅然と言葉にした京子だったが、手にはもうハンカチを握っている。
武彦が話した。
「この通り、妻が一人いるだけでしてね。遺す妻に面倒をかけたくなくて。骨壺を入れる場所くらい、先に予約させてもらえればと思いまして」
「失礼ですが、お子様やごきょうだいはいらっしゃらないのですか?」
武彦は静かに首を振った。
「子供はいません。きょうだいはいないわけではないですが、二人とも、頼れる肉親は一人もいません」
尚樹とのやり取りの中で、武彦が身の上話を始めた。
結婚して二十年になるという。会社員どうし、共通の知り合いを通じて紹介され、結婚に至ったという。どこにでもいる夫婦の普通の人生。そしてそれを突然断ち切る病魔。尚樹にも、的確な返答を見つけるのが難しかった。
京子は小さなハンカチを、左右の目に当てている。
武彦が夫婦の思い出を、口元に小さな笑みすら浮かべて話す。訪れる死を受け入れると、どんな悲しみでも前を向いて受け止めることができるのだろうか。尚樹は情をまじえずに淡々と説明することにした。
エターナル社の納骨プランを記載しているパンフレットを二部取り出し、二人の前に置いた。武彦が早速手に取ってページをぱらぱらとめくった。京子は時折夫に目線を移したが、目の前のパンフレットに手を触れることはなかった。
尚樹は、開いたページを指差して語った。
「これが納骨室になります」
「納骨室?」
「はい。この建物全体を納骨堂と呼んでいまして、建物内にある、お骨を納める各お部屋を納骨室と名付けています」
尚樹はパンフレットの後半に載っている、収納棚が並んだ写真を見せた。
収納棚の大半は、ハンドルを回して棚ごと動かすことで棚間の通路の面積を節約できる優れた什器だった。図書館にある集密棚と呼ばれるものに似ている。すべての納骨室を集密棚で満たしたかったが、納骨堂開館時の尚樹の予算では無理だった。
「この建物の各階に、このような、その、納骨……室があるのですね?」
「三階から十一階まで、お骨を保管するこうしたお部屋が、合計二十七室あります」
「二十七も……」
武彦が目を丸くした。
「これは、偉い立派な引っ越し先を見つけてしまったかな」
武彦の声は、弾んでいるようにさえ聞こえた。
納骨室一室には、最大で六百八十の契約者スペースが入る。部屋が二十七あるので、納骨堂全体ではおよそ一万八千件の契約を結ぶことができる。納骨堂としては大きい部類だったが、ここ数年はより大規模なものが増えてきた。
エターナルの現在の実際の契約件数は16922だ。納骨室のスペースに対して、契約率は九十四%。業界では、納骨堂の契約率は、九十五%以上といわれる賃貸専門マンションの入居率と比較されるが、エターナルの数字は悪い方ではなかった。ただし、住居の家賃よりも納骨堂の管理費は、納付率が低い。つまりは、踏み倒す契約者が一定数いるのだ。納骨堂を批判する人間は、一万件の契約を取れる納骨堂は、一件あたり一年間一万円の管理費だけで毎年一億円の「上がり」があると揶揄するが、実際の金の出入りはそんなに単純なものではない。
パンフレットには、参拝室の写真が載っている。夫婦と子供二人が畏まった服装でお参りに来た様子を写したもので、モデルの四人はすべて赤の他人。モデル界に知人をもつ仏具店の営業が探してきて、参拝室で撮った。いかにも普通の親子四人家族が、祭壇に上げられている祖父母のお骨に手を合わせる場面を演出してある。
「三階から十一階までの各階に、大きさの異なるこのような参拝室が六から十室ほどあります。後ほどご案内しましょう。参拝される方が来られますと、私どもが先程の納骨室から参拝室までお骨を運んで参ります」
武彦が頷いた。尚樹はつづける。
「この納骨堂では、宗教も宗派も問いません。一方で、仏教やキリスト教など、ご遺族が希望する調度に、参拝室を整えることができます」
パンフレットには、仏教、キリスト教、無宗教の三通りの参拝室の写真が載っている。各宗教の設えや道具がセットになって整頓されていて、十分もあれば、参拝室の調度品をスタッフが入れ替えることができる仕組みだった。
武彦が「無宗教がいいですね。信じる神や仏はないので」といった。京子も小さく頷いた。
タイミングを見計らって尚樹は、夫妻をエレベーターで五階に案内した。
「先ほど写真でご覧いただいた、お骨をお納めする納骨室です」
「はああ。要は収納スペースなんだろうけれど、うまく出来たもんだなあ」
無駄な空間のない巧みなつくりに感心したのか、武彦が声を上げた。死ぬことよりも興味の方が先に立つ表情だ。
尚樹が見せた棚には、契約を検討する人への説明用に、見本の「お箱」が入っている。お骨は骨壺だけで収納するのではなく、尚樹がお箱と名付けた直方体の箱に入れて保管するのだ。お箱は、元々のデザインは、厨子という耳慣れない名前の、仏像や仏具を入れるための容器から発想されている。
尚樹は、棚の一面に百五十以上のお箱を隙間なく収納する仕組みを説明した。棚の高い段のお骨を出し入れするために、床面がモーターで昇降する電動リフターという台車が置かれていた。職員が脚立を昇ってリフターの床面を上げ、そこにお箱を引き出す。そしてリフターを下げれば、苦労なくお箱を下まで降ろすことができる。
尚樹は、「〇〇〇〇様」と妻面に書かれた見本のお箱の蓋を開けてみせた。エターナルのお箱には、骨壺以外に、故人にまつわる品を納めることができた。内部に着脱可能な仕切りがあって、骨壺や品物の大きさに応じて区分けを変えることができる。
「お骨が入った骨壺は、一件のご契約につき、お箱に四個まで入れるのを基本にしています」
尚樹は、パンフレットにある、お箱の内法のサイズ表を示した。長辺が六十センチほど。短辺はその半分ほど、高さは二十五センチだ。それ以上の骨壺や物は入らないという、契約内容のもっとも基本的な部分でもあった。
ひとつの契約で骨壺は四個までというのは、多くの納骨堂より少ない数だった。事前に検討した尚樹は、「家」の概念が消え、檀家制度がなくなりつつあるいま、多くの納骨堂契約者は、一世代上のお骨を納めることまでに限られるのを確かめていた。四個と決めたことがよかったかどうか、いまでも尚樹に結論はない。契約をふたつ結び、五個以上の骨壺を納めている契約者の実例は、少数だがあった。
武彦がお箱を興味深そうに覗いて、尋ねた。
「この箱に、みなさんは、お骨以外にどんな品物を入れるのですか?」
「伝統的なお寺さんでは、お骨と一緒に、故人様のお仕事の道具を入れることがあると聞いています。当納骨堂では、入れる物の中身についてお尋ねすることはありません。それは、ご家族のプライバシーだと考えます。ですが、ご遺族はよく、故人様が愛用されていたネクタイや眼鏡や筆記用具、女性ですとアクセサリーなどを入れたいとお話になります」
「入れ歯とかもありそうだね」
武彦が自分の前歯を指差して、いった。武彦はずっと笑みを浮かべている。きっと元々明るい人なのだと、尚樹は思った。
「はい。義歯を提案される方もおられます」
夫婦の様子を見ながら、尚樹は付け加えた。
「故人様がお持ちになっていたもののほかに、故人様との思い出のお品を納めたいというお話を、しばしばお聞きします」
「それはどんな物ですか?」
「たとえば、記念写真とか手紙など、です」
「なぁるほど。骨以外にも何か入れられるのはいいなあ」
京子は黙っていた。これから亡くなるという武彦の方が上機嫌だった。
「これがお骨を運ぶときに使う車です」
尚樹は、予め棚の脇に用意しておいた黒褐色のカートを見せた。腰の高さにお箱をピタリと載せることのできる木製の枠を備えている。カートの床面にリフターの上下する床面の高さを揃えれば、力のない職員でも水平にお箱を移すことができる設計だ。尚樹がホテルの給仕に使う高級なティーカートを作っている工場を回り、アイデアを提示して実現した労作だった。
一しきり説明を終え、同じ階の参拝室へ向かった。数名の家族がお参りすることのできる祭壇が設置されていた。尚樹は三か所の参拝室を、無宗教と仏教とキリスト教の仕様になっている状態で見せることができた。
「明るい」と、京子が手をかざしていった。武彦が応じた。
「たくさん祭壇があるようだから、休みの日に来ても混雑しないよ」
尚樹には、武彦がまるで新居を自慢しているように見えた。
「参拝室は三階から十一階の九つのフロアに、計七十二か所設けられています」
尚樹は参拝室について、二人に詳しい説明を加えた。
エターナルでは、参拝者が行き違わずに落ち着いて祈り拝むことができるように、狭くても多数の参拝室を設けてあった。参拝室は、入口の扉を閉めればプライバシーが保たれる一方、開け放つと広く心地よいブース状にもなる。故人が亡くなって間もない遺族は静かな個室で祈りたいと考えるが、時間が経つにつれ、外へ開放されている方がいいという人が増える。扉ひとつを取っても、尚樹はそうした参拝者の気持ちに沿えるように設計した。
尚樹は、参拝の流れについても説明をした。
エターナルに来た参拝者は、まず玄関脇の事務室の窓口に向かい、名前と契約者番号を記す。その都度、社員が参拝室の場所を指定し、そこへ納骨室から契約者番号と同じ番号のお箱をカートで運ぶのである。アナログ感の強いこの仕組みは人手を要する。尚樹は、スタッフが心を込めてお骨と参拝者一人一人の心を結ぶという考え方を伝えた。
それを聞いて、武彦が話した。
「この納骨堂は、インターネットの広告で見つけたんです。納骨堂というと、機械で骨を管理する自動倉庫みたいなものが多くて、二の足を踏みました。でもこちらは、何より心を込めてお骨を扱ってくださることが伝わってきました」
自分の考え方を理解してくれる契約者の存在は、何よりありがたい。尚樹は心からのお礼を述べた。
参拝室にちょうど山野さんがいた。山野さんは勤続八年。まだ歴史の浅いエターナルでは古参の部類だ。エターナルの黒いスーツと白いブラウスの、飾り気のまったくないユニホームが、顎のきりっとした顔によく似合っている。白髪が増えてしょうがないと嘆く髪をボブに切り揃えて、この職種に必須の清潔感を、見本として示せるような女性だった。
山野さんは、経験豊富で何でも任せられる職員だ。塗り物の木箱に入れるティッシュペーパーを準備している。細かい気遣いだが、参拝者が涙する祭壇の傍らに、ティッシュと屑入れは必須だ。
「ご苦労様です」
山野さんが二人に深く頭を下げた。
尚樹は二階の談話室に戻ると、パンフレットの終わりの方に綴じられている草木葬の内容にもふれた。草木葬は、エターナル社が所有する東京近郊の敷地で行われる、屋外の埋葬だ。各故人は特定の区画や墓石をもたない、いわゆる合葬式である。世間には樹木葬と呼ばれるものがあるが、樹木葬の多くが大きなコンクリートの箱や樹脂のタンクに焼骨を納めるのに対し、エターナルの草木葬は、直接土に触れる状態で火葬後の骨を土中に埋める。そのことが、箱やタンクで隔離された空間に入れられるよりも、温かみを感じさせるという遺族は多い。金銭負担が少ないこともあり、需要は大きかった。草木葬と名付けたのは、尚樹だ。
草木葬の敷地には、モニュメントのクスノキの大樹が植えられている。納骨堂から車で三十五分ほどかかる場所にあり、草木葬契約者は納骨堂ではなく、大樹を訪れて参拝する仕組みだった。
「草木葬にお一人お一人の墓石や墓標はありませんが、草木が故人様とご家族、ご親戚、ご友人のお心を繋ぎます」
尚樹はパンフレットの写真を指差した。そして、余命が見えているという武彦には真に心苦しい話題だと思ったが、価格表のページを開いた。
「最初の契約時に七十万円のご負担となります。その後に毎年一万円の管理費を頂いています。そして、納骨堂をもう必要としないとご遺族が思われた段階で、契約は年単位で終了することができます」
この世界にも相場があった。エターナルの価格設定は、よくある機械式納骨堂と比べると安価に感じられるだろうと、尚樹は思っている。
さらに尚樹は、合同の追悼式の様子が掲載されているページを開いた。
「納骨堂の広告に永代供養という言葉がありまして、永遠に納骨堂が使えるのかと、よく誤解されます。弊社ではその言葉を使わないようにしています。施設の利用は、あくまでも毎年の管理費をお支払い頂いている間のご契約によって可能となります。つまり期間が決まっています」
武彦が頷く。尚樹は客観的に説明することを意識した。
「一方で、この写真にあるのは、毎年開いているセレモニーで、この納骨堂で出会いましたすべての故人様に感謝し、追悼するお式です。私はみなさんとの間柄を、契約を理由にしたお付き合いのみだとは考えてはいません。ご遺族が契約を終了されてからも、このように追悼式をつねに執り行っていきます。ご契約頂き、管理費をお支払い頂くことが施設をお使い頂けるという意味になりますが、そのこととは別に、納骨堂としまして、こうして故人様への心からの追悼と感謝の気持ちをいつまでも大切にしています。これは仏教の僧侶が写っている場面ですが、無宗教で追悼申し上げるセレモニーも毎年開いています」
夫婦は黙って写真を見ていたが、武彦が笑いながら口を開いた。
「まあ、死んで何十年も家内に拝まれるのもくすぐったいので、適当に終了するべきことだとは思うが」
京子は俯いていた。
「ほう、これは、三回忌の法要もやってくれるのですか?」
武彦がパンフレットを指差しながら訊いた。
「はい、年忌法要もご相談をお受けしています」
尚樹は続いて、想定される送金方法など、細かいことを夫妻に伝えた。そして、細かい文字で書かれた契約条項の紙を手渡した。
しばらく読んでいた武彦が尋ねた。
「この契約には、住民票とか本人確認とかは要らないのですか? といっても、納骨室に入る私は契約者ではなくて、家内が契約する形だと思うけれど」
死期を告げられている男が、よくそこまで気がつくものだと尚樹は思った。
「契約者様の身分証明書は拝見しています。それととても細かいこととして、法令上は埋葬許可証をお渡し頂くことになりますが」
京子が小さく頷くのが目に入った。
「ちなみに、さっきの樹木葬は、その、おいくらで?」
武彦がそう尋ねたとき、京子の手が武彦の膝に置かれるのが見えた。京子が草木葬は望んでいないのだと、尚樹は受け止めた。
「草木葬の場合、すべて三十年契約になります。費用は、最初に三十五万円をお支払い頂くのみです。行政の樹木葬では年間三千円の管理費を徴収したりしますが、弊社の場合は、最初に三十五万円を頂いて、それで費用はすべてになります」
三十年分の管理を含めての契約料なのだと、ありのままを話した。武彦が京子に目配せをした。
「ありがとう。草木葬はやめておくよ。自分とこの家内だけの箱を頂きましょう。いまのうちに初期費用とプラス十年分の管理代金を払うから、その後は、あの収納棚を終わりにするなり、気が向いたら契約を延長するなり、家内が決められるようになっていたら、いいと思う」
「すべてお考えの通りに進めることができます」と尚樹は答えた。
「ありがとうございました」と京子が深々と頭を下げた。心持ちが落ち着いたように見えた。
――なんていい夫婦だろう。
死病の切迫はあまりにも残酷だ。だが、それに対する夫婦二人の互いを思う気持ちが、尚樹の胸に沁み入った。
尚樹は契約書類一式を封筒に入れて手渡し、二人を玄関の外まで見送った。
武彦から契約書が郵送され、送金を確認したのは、十日後のことだった。
*
尚樹が納骨堂を始めたのは三十六歳のときだから、もう十年になる。永遠を意味する「エターナル」という言葉を社名に冠した。右も左も分からないまま、強い信念にかられて飛び込んだ納骨堂の切り盛り。自分がこの仕事に見合う人間に成熟しているとは思えない。だが、そんな尚樹の個人的な思いを待つことなく、納骨堂の建物は建ち、骨は納められ、参拝者はやってくる。
エターナル社の納骨堂は十一階建てだ。外見は古ぼけたオフィスビルと変わらない。窓も並んでいるが、各階とも窓に沿って内壁を巡らせてあり、室内は、納骨堂としての機能的な間取りが設けられていた。
こうした構造になったのは、尚樹がエターナルを起業してから、建物の内装を全面的に改装して、納骨堂として使える建物に作り替えたからだ。
オフィスビルがそのまま納骨堂に化けたような設計は、まず同業の葬儀社から、そして僧侶や宗教関係者から、あまりよくはいわれなかった。SNSでは、「副都心に新たな心霊スポット登場」、「オフィスビルの怪しい正体」などという心無い見出しがつけられたこともある。
建物そのものはありきたりのものだったが、尚樹は、日々の弔いに自分の思いを込めた。都市型の納骨堂の多くは、俗に機械式と呼ばれ、自動でお骨が管理され、無人サービスが行われる。機械式納骨堂は、参拝者が仏壇の前でIDカードをかざすと、目当てのお骨がコンベヤーで倉庫から目の前に運ばれてくる。車を地上階の出入り口まで機械が運んでくる、あの立体パーキングに近い。機械式納骨堂は、お骨の出し入れに関しては完全自動で、職員を不要とするまでに省力化されているのだ。
だが、機械式は、故人を前に拝む、祈る、追悼する、感謝するといった、伝統的な心の持ち様から見ると、違和感を生じやすい。亡き家族や知人のお骨が機械で運ばれることに、優しさや愛情や敬意を欠くと感じる参拝者は少なくなかった。尚樹はそこを真剣に考えた。
そして、尚樹は、エターナルの納骨堂では、お骨の出し入れを必ず社員が心を込めて行うことに決めた。早番遅番といったシフトを作り、少なくとも四名の職員が参拝者対応に当たることができる勤務体制を敷いた。社長の尚樹もシフトに入った。社員には寺の住職同様に、参拝者の名前と顔と、故人にまつわる経緯を頭に入れておくことを求めた。
こうした考えは、亡き人と参拝者を大切にする、尚樹の心からの気持ちの表れだった。たとえ多くの人件費が必要であっても、尚樹が無人全自動の機械の導入に進むことはけっしてない。
エターナルの納骨堂が機械を導入しなかったことは、静かな共感を呼んだ。「機械はどうも……」という人が、エターナルの納骨堂を選ぶようになった。尚樹の考え方が信頼されて、故人を思う人の心に響いたともいえる。
尚樹がこうして丹念に参拝者の気持ちに応えようとするのには、訳があった。尚樹は若い頃、父親を孤独死に追いやり、悼み弔うことさえしなかったのだ。
*
武彦の妻、京子は、約束した時間の少し前に現れた。包みを大切に抱いている。
「この度は、哀しみの中に居られると思います。故人様、岡本武彦様のために、できるだけのことをさせて頂きたいと思います」
尚樹が声をかけると、京子は小さく頷いた。
一か月ほど前に、尚樹は京子から武彦が亡くなったという連絡を受けていた。喪服の京子は、前回会ったときよりもさらにやつれたように見えた。体からすべてが抜け落ちてしまったように小さい。ほとんど化粧っけのない顔は、真っ白だった。
尚樹が談話室でお箱のことを話し始めようとすると、先に京子が口を開いた。
「実は、お骨はありません。それでもこのお話を続けさせて頂けますか?」
納骨堂と契約している遺族が、故人の骨を持ってこられないというケースは、実は皆無ではない。尚樹も何度か経験していた。だが、お骨がないのに、納骨の日に契約だけはそのまま続けたいというのは、初めてだ。
尚樹は驚いて京子を見た。
「どうなさいましたか?」
「いえ、お骨は、主人のきょうだいが先祖の墓に入れるといって、私に渡されることはありませんでした。私たち二人が考えていたようにはならなかったということです」
契約者には様々な事情がある。尚樹は岡本夫妻の生前予約のときの記憶をたどった。いないわけではないといっていたきょうだいとの揉め事が避けられなかったのだろうか。未亡人と義理のきょうだいの間に軋轢が生じているに違いないと察した。
尚樹は、その場で考えられる答えを口にした。
「ご事情がおありと思います。お話を継続されなくても構いません。奥様のこれからのお考えをお伝え頂ければ、こちらはそれに沿いたいと思います」
あの細かい字の契約条項には、結んだ契約を途中で破棄すればキャンセル料を取ると書いてある。債務を履行しないのは客に責任があるという理屈で、世間的にはそれが当たり前のように実行されている。だが、伴侶を喪って間もない奥さんに対して、そんな文言を振りかざす気持ちは、尚樹にはまったくなかった。
だが、京子は頑なだった。
「お骨はありませんが、お願いしました通りにお箱を使わせて頂きたく思います。これを入れて、主人を供養したいと思います」
そういうと、京子が包みから大事そうに箱を取り出した。貴金属を入れるようなビロード地の布を張った、手のひらより一回り大きいくらいの箱だ。蓋を開けると、中から直径十五センチくらいの、白い丸い玉が出てきた。
尚樹はそれが何かを把握しようとした。大切なものを受け取って守らなければならない尚樹の、職業意識だった。
京子がその玉を尚樹の前に近づけて、よく見せるようにして話した。
「これが、主人と私の心の繋がりです」
透明感のあるガラスでできた球体だ。脚付きの目立たない台座が付随している。透き通って輝く部分に、柔らかい白色のガラスが波のように入り、キラキラ光る小さな欠片のような模様が玉の内部に散っている。
美しさに尚樹は目を奪われた。
「あの、もしも、お話し頂けるのでしたら、これが何か、お聞きしてもよろしいですか?」
遠慮がちに訊くと、京子はガラス玉を手前に近づけ、口を開いた。
「主人が選んで、私に贈ってくれたものです。『骨壺と一緒にあの箱に入れてくれ』と、いい残しました。『寺の墓石と違って、あの箱ならこんな物も入れられる』と。私も主人も、お骨をこの納骨堂に納めることになるとばかり考えていたので、こんなことをお願いして、桑原さんには申し訳ないのですが」
気丈に話している京子が、ハンカチを頬に当てる。
「お骨はありませんし、私にとって主人はこのガラスの玉です。どうか、できますことでしたら、納骨室の私たちのお箱にこれだけを入れさせて頂けたらと思います」
尚樹は深く頭を下げた。お箱にはそれぞれの遺族の気持ちが宿る。京子にとっては、お骨はなくとも、このガラス玉こそが亡きご主人であるに違いない。
尚樹はポケットから青い布を取り出して無宗教式の祭壇に広げ、ガラス玉をビロードの箱から出して供えた。
参拝者の大切な物を祭壇やテーブルに広げるとき、直に置くことに尚樹は寂しさを感じた。そこで考えついたのが、予め布を広げる所作だった。エターナルの職員には、小さな青い布を配り、必要な場面で役立てるように教えている。
「よろしかったら、お使いください」
尚樹は、ゆっくりと拝めるように椅子を用意した。
京子が祭壇に向かって手を合わせた。
尚樹は静かに部屋の外に出て、扉を閉めた。
――ご主人が亡くなっても、……素敵な夫婦だ。
遺されたのは、ガラス玉ひとつ。何の欲も恨みももたずに、旅立ったご主人。独りになった奥さんは寂しいだろう。だが、この夫婦は、哀しみの和らぐ時間とともに、きっと幸せになっていくと尚樹には信じられた。
尚樹は、真新しいお箱を用意した。底面に4539という番号がついている。岡本京子の契約者番号だ。
京子は、しばらく参拝室に籠った後、涙を拭きながら部屋の扉から顔を見せた。
「また参りますから、どうぞ仕舞ってください」
「はい」
祭壇のガラス玉は濡れていた。京子の涙に違いなかった。
尚樹はティッシュペーパーでそっと拭いた。それから、お箱の内部にある仕切りの板を取り外した。骨壺がないのに、仕切る必要はないからだ。ビロードの箱に入ったガラス玉ひとつだけが、お箱に収まった。
「思ったより、広いのですね」
「ええ……」
骨壺がないのでお箱の空間が少し広く感じられて、寂しく見えた。尚樹は返答に戸惑った。
京子はお箱の中に向けて、もう一度手を合わせた。新しいお箱から木の香りが漂う。
京子が帰ってから、尚樹はお箱4539を納骨室に運び、参拝室を元の状態に整えた。ガラス玉の下に敷いた布も濡れていた。
それから、京子は一日も欠かさず納骨堂に参拝に来た。事務室で作成する来訪者の記録リストに、岡本京子の名前と契約者番号が毎日記された。
*
尚樹は納骨堂の玄関を朝八時半に開ける。九時開館と表示してあるが、三十分早く来ても参拝できるようにしていた。高齢者を中心に、朝来る参拝者は少なくない。
その日、出勤した尚樹は、玄関で塩沢さんのお婆ちゃんと鉢合わせした。毎朝最初にやってくる参拝者だ。耳の遠い塩沢さんは、事務室で首から提げたエターナルの契約者証を見せると、「5186番塩沢」ととても大きな声でいう。
毎朝の繰り返しだ。職員たちは、塩沢さんの契約者番号が5186であることも、お箱が五階の第一納骨室の九番の棚にあることも、しっかり覚えている。
「この歳だど、朝早ぐがら目が覚めでぇ」と、集団就職で東京に来たという塩沢さんは、六十五年経っても変わらずに故郷の言葉を喋る。いつも手には切り花か和菓子の袋。拝むのは、七年前に亡くしたご主人だ。
「お婆ちゃん、今日も髪、きれいですね」と、尚樹は大きな声で話した。
「孫のさ、お陰よ」
孫が近くで美容師をしているので、無料でおしゃれができると笑う。結った髪を褒められると、少し恥ずかしそうにするのがかわいかった。
塩沢さんは参拝室の調度の仕様にまったく無頓着だ。「うちゃあキリストさんでも何さんでもえぇ」と笑う。
尚樹が仏具を配した部屋に塩沢さんを案内すると、いつものように焼香し、合掌した。
塩沢さんは、乗車代金が無料になる都の敬老パスを使って毎朝欠かさずエターナルへやってくる。「極楽へ行ぐのにも、ただの切符が欲しいもんだぁ」と笑いながら帰っていった。
早番の山野さんにおはようと一言かけ、事務室のコンピューターで来訪者のリストを見る。この時期、参拝者は少なかった。
メールソフトを開くと、一通のメールが目に留まった。園田美優という差出人からだ。
「納骨堂希望」と件名にある。尚樹はメールを開いた。
「チラシでエターナル社を見つけたので、メール。すぐ夫の埋葬を終えたい。日時を決めたい」
真っ先に妙な文面だと尚樹は思った。契約希望者は「埋葬」という言葉は使わない。みな「納骨」というものだ。
末尾に、「FROM 株式会社ナチュラルフーズ・オリジナル 園田美優」とあった。
――ん? 園田美優……? ナチュラルフーズ……?
聞き覚えがあった。尚樹はすぐに契約者名簿のデータベースで検索をかける。だが、いずれも入力された形跡はなかった。
「ナチュラルフーズ・オリジナルの園田美優っていう人から、納骨のお願いらしきメールが来ているんだけど、何か知っている?」
会費の振替用紙を封筒に入れている山野さんをつかまえて、尚樹は尋ねた。ぴくりと肩を動かした山野さんが、封筒の山を放り出して尚樹のコンピューター画面を覗く。
「何ですか? これって……、あのコメンテーターの園田美優さんじゃないですかね? ……夫って、えっ、まさか。『主人くん』?……、『主人くん』が亡くなった?……」
何も分からない尚樹は戸惑った。
「有名人か?」
「有名人どころか……。あ、館長はテレビを見ないかもしれないので……ちょっと待ってください」
山野さんは尚樹を館長と呼ぶことがある。事務書類上の納骨堂責任者の肩書だが、必ずしも社員がいつも使う言葉ではない。
山野さんがスマホで検索して画面を見せてくる。たくさんの記事が並んでいた。園田美優とナチュラルフーズの名、そして「主人くん」というニックネームの彼女の夫は、世間にあまりによく知られているのだ。
山野さんがいう。
「園田美優は、テレビやSNSの動画でよく知られたコメンテーターです。仕事に出る前にワイドショーを見るんですけど、レギュラーとして毎朝出ています。何より、コメントが上手です。困っている人や悩んでいる人に、とても親身なアドバイスができる人です」
山野さんは関心が相当高いらしく、まるで園田美優の履歴が頭に入っているかのように、すらすらと彼女のサクセスストーリーを話していく。
園田美優は大学を卒業後、保険会社に勤めたが、四年後に見切りをつけ、ナチュラルフーズ社を立ち上げて成功を収めた。彼女が目を付けたのは、「健康食品」だった。安い食品・食材を、健康への近道だと称して売ることを、美優は経営の基本に据えた。「美味しい暮らし 明日も元気に」が、ナチュラルフーズ社が掲げたモットーだった。扱う食品・食材はとくに珍しいものでもなく、法令の制約も受けない。だが、いつの間にか、ナチュラルフーズ社の物は安くて良質というイメージが浸透し、家庭の食卓を席巻したのだ。
「立志伝もあるのですが、それよりも彼女の私生活がみんなの興味を惹くんです。旦那さんは一度もマスコミに出たことがないと思いますけれど、『主人くん』と呼ばれていて、しょっちゅう彼女の話に登場します。仲のいい夫婦の代表みたいなものです」
山野さんが説明を続けた。
起業に大成功した美優には、もうひとつ、持ち前の話術があった。テレビ番組での、人の心を捉えて放さない話しぶり。静かに人の言葉を聞き、素早く内容を咀嚼する。そして、的確な指摘やアドバイスを披露する。柔らかく見える外見の一方で、勝負をつけたいときには、相手に喋らせないほどまくし立てることもあった。何より根底にあるのは、心優しい言葉を操る才だった。硬軟自在、臨機応変に生放送で躍動する女性経営者。そして視聴者の優しい味方。美優はあっという間に一流コメンテーターの地位を確固たるものにしたのだそうだ。
美優の人気は、彼女がときどき披露する私生活、「主人くん」の話題によって、決定的に高められた。彼女が人前で「主人くん」と呼ぶ夫の存在が、とくに女性視聴者の心をつかんだ。美優より四歳年下という「主人くん」は、姉さん女房にすっかり制御される弱い男として語られた。サラリーマンだという「主人くん」は、美優がまだ会社員のころに合コンで知り合ったという話だ。さっさと勤め人を辞めて起業した美優に対して、尻に敷かれる夫だった。だが、節目節目でその「主人くん」が妻に優しく手を差し伸べると美優は話すのだという。
話の最たるものが、夫婦が子づくりをあきらめたときのエピソードだ。不妊治療の甲斐もなく子が授からない美優に、「主人くん」が「子供の分まで二人で生きていこう」といったという逸話は、多くの女性からの共感と賛同を得た。細腕一本で起こしていまや大きく育ったナチュラルフーズ社は、女社長を自宅で優しく励ます年下のか弱い夫が控えている……。その構図に、世間の、とりわけサクセスストーリーを夢見る女性たちは、心から共鳴したのだ。
会社の成功を支える私生活の温かい愛情。「主人くん」はナチュラルフーズ社の邁進を、商いとは別の角度から支えていたが、「主人くん」は一切人前に出ることはなく、顔も知られていない。それがまた大衆に快く受け止められた。
十分ほどで、山野さんは園田美優の半生を語った。
お蔭で尚樹はこの新しい契約希望者のあらましを理解したが、それにしてもメールの様子はどうにも変だと思った。
「だけど、山野さん、このメールは変じゃないか?」
シンプル過ぎる文面。それは、山野さんから聞く「主人くん」との心温まる話の様子とは違っている。夫との永遠の別れなのに……。尚樹は訝しく思わざるを得なかった。
家族を亡くしたときに、葬儀業者に向けて会社名でメールを送ってくること自体が、尚樹は理解できなかった。一日が多忙な仕事に埋もれていると、夫の死亡という究極の私事にまで、経営する企業の名を書く習慣が出てしまうものなのか。それに、「主人くん」の埋葬をすぐ終えようとする美優のメールは、一方的に用件が書かれているだけで、まるでメモ書きような違和感すら受ける。
山野さんがううんと唸った。
「やっぱり、有名人は自分でメールを書かないんじゃないですかね? 秘書さんとかが、いつもの仕事の延長で書いてしまったのではないですか? でも、『主人くん』が亡くなったのをこういうメールで知るのは、私は少しがっかりします」
他に連絡方法がないとあるので、尚樹はやむなくメールで美優と都合を合わせた。だが、美優から来るメールの調子は断片的で、ずっとメモ書きのようなままだった。納骨を行うというのに、大切な話が通じない。尚樹は美優に、多くの人に好かれている人物だということとは別に、心の距離を覚えた。