1
♂
本当の弱者は救いたい形をしていない。
俺は、今回の相談者──多森周平の容姿を観察しながら、その言説を思い出した。つまり、彼の第一印象はすこぶる悪かったわけである。
白く乾いた唇。言葉を発するたびに剥がれかけた薄い皮が上下に揺れる。唇を手でむしるのが癖になっているのだろう。髪は全体的に白く、あちこちにふけが浮いている。年齢は俺と同じくらいの四十七歳と聞いているが、威厳は一切感じ取れない。
「ですから、蛭間先生」
名前を呼ばれたので目を合わせると、「あの……、ちゃんと聞いていましたか?」多森は眉根を寄せた。
「いや、ほとんど聞いていなかった」
「切羽詰まってるんですから、ふざけないでください」
「感情的にならないでくれ。話を聞く気が失せる」
ポケットから取り出した煙草に火をつけた。朝の星座占いのランキング次第で、吸う銘柄を決めている。今日の天秤座は最下位。希望を求めてホープを選んだ。
「どうして煙草を吸ってるんですか」
喫煙者になった理由を訊かれているわけではないだろう。
「非礼や無礼を理由に依頼を見送るまともな相談者は、そもそもこの事務所に辿り着かない。ビジネスマナーを気にするだけ無駄なのさ」
「さすがに……、失礼でしょう」
「気分を害したなら、どうぞお引き取りを。あいにく依頼には困っていないんだ。手ぶらで帰って困るのはあんたの方じゃないのか」
「どういう意味ですか」
「取り立て屋に紹介されて来たんだろう?」
「どうして、それを」
「借金まみれの人間しかここには来ない」
蛭間法律事務所は新規の依頼を獲得するための宣伝を一切行っていない。ホームページも公開していないし、看板も半年前に撤去した。
「債務整理を専門にしている弁護士ということですか?」
「なんだ。ちゃんと説明を受けていないのか」
舌打ちしてから、「詐欺の被害者救済が俺の専門分野だ」と続けた。
「詐欺……」
看板を撤去した頃から、その他の依頼は一律に断っている。多森が詐欺の被害者であることはわかっていたので、前置きは聞き流しても何ら問題がなかった。
「ロマンス詐欺、恋愛詐欺、特殊詐欺、霊感商法──。あんたは、どう騙された?」
期待を込めて俺はそう訊いた。
「結婚を約束していた恋人に、三百万円以上を持っていかれました」
「相手の年齢は?」
「……二十五歳です」
「頂き女子か」
相手を“恋人”と形容している時点で、多森がちょろいターゲットであったことがわかる。自分が被害者だと未だに認めたくない。そういった心理が透けて見えた。
「彼女のことを信じていたんです」
「騙されようと思って騙される被害者はいないよ」
「生命保険も解約して、持ち金全てを彼女に渡しました。それでも足りないと言われたから消費者金融にも行きました。借金以外、もう何も残っていません。大きな病気にかかったら、治療も受けられないかもしれません」
「ここはお悩み相談所ではない」
「お願いします。お金を取り返してください」
金銭的に困窮した人間は、何も差し出せるものがないため、なりふり構わず頭を下げる。頭頂部をじっくり観察してから、先ほど思い浮かんだ言説を口にした。
「本当の弱者は救いたい形をしていない」
「は?」
「聞いたことくらいあるだろう」
「何が言いたいんですか」
この言説が真理であるか否か、SNSでは定期的に激論が交わされる。
医師、看護師、ソーシャルワーカー、介護士……。主に医療や福祉の現場に携わる人々が、自身の経験も踏まえながらさまざまな意見を述べている。
『支援を必要としている人が、素直に助けを求めてくれるとは限りません。むしろ、暴言を吐かれたり、理不尽な要求をされたりすることも珍しくありません。深い孤立やトラウマが、攻撃的な態度に繋がってしまうのかもしれません。弱者ほど救いたくない形で現れる──。この現実を理解していないと、すぐに心が折れてしまいます』
『他者の善意を受け取ることすらできない。そういった弱者にも手を差し伸べ続けられるかどうかが、支援の本質なのかもしれない』
医療や福祉の現場では、利用者を拒むという選択が基本的に想定されていない。そのため、どうすれば弱者に寄り添えるのか日常的に考えているのだろう。
一方で、このような葛藤と向き合っている弁護士は意外と少ない。一部の人権派弁護士を除いて、受任基準を設けて依頼の取捨選択を行っているからだ。
金にならない弱者は、真っ先に切り捨てられる。
「詐欺の被害者が金を取り返せることはほとんどない」
「それは……、わかっています」
「ここに来るまで何人の弁護士に依頼を断られた?」
「三人です」
加害者の特定、詐欺の立証、債権の回収。越えなければならないハードルがいくつも設定されており、どこかで躓けば泣き寝入りを強いられる。
相続、離婚、交通事故……。そういったオーソドックスな依頼を引き受ける方が、遥かに実入りが良い。
「被害金額は約三百万円と言っていたか」
「はい」
「二百万円でどうかな」
多森は座ったまま大袈裟にのけぞった。
「ふ、ふざけないでください。そんな金額、払えるわけないでしょう。他の弁護士からも、五十万円以上の着手金は提示されていません」
弁護士が依頼者に請求できる金銭は、成功報酬と着手金に大きく分けられる。
成功報酬は、事件が終了した後にその成果に応じて算定される。莫大な経済的利益を得た場合は成功報酬も跳ね上がるが、完全敗訴すれば一円も受け取ることができない。
一方、着手金は事件の成功・不成功とは関係なく、依頼の難易度などに応じて受任段階で支払われる費用である。勝ち筋が見えない事件では、タダ働きを避けるために着手金を高く設定することも珍しくない。
しかし、そのようなケチ臭い受任方法を、俺は嫌悪している。
「無能な弁護士と一緒にしないでくれ。貧乏人から金を巻き上げるつもりもない」
「じゃあ、二百万円っていうのは……」
「俺があんたに支払う金額だ」
「えっ」
壁際に設置した金庫を解錠して扉を開いた。中には整然と札束が並んでいる。帯封のざらりとした感触。二個の札束──、二百万円を多森の前に置いた。
「着手金も成功報酬も請求せずに、被害金を買い取る。それが俺のやり方だ。回収が空振りに終わっても、二百万円を返せとは当然言わない」
「満額を回収できたら百万円の儲けということですか」
「納得できないなら断って構わない」
どれほどの好条件を提示されているか、多森は正しく理解しているはずだ。
債権は、回収できなければ金銭を得られないため、絵に描いた餅と喩えられることがある。詐欺の被害金は、抽象画よりも難解で、子供が描いた絵よりも価値がない。そんな落書きに二百万円もの値付けをするのは俺くらいだろう。
「売ります……。売らせてください」
「交渉成立だ」
俺が詐欺の被害者救済を専門にしている理由は、使命感や正義感とは一切関係がない。
弱者の顔が見たい──。それだけの話である。
「余計なことは話さず、感情論も交えず、端的に答える。そう約束してくれ」
「わかりました」
タバコを灰皿に押し付けた。これでようやく本題に入ることができる。
「あんた、友人には何と呼ばれている?」
「……タモと」
多森だからタモ。安直なあだ名だ。被害者の人となりも確認しなければ、この後の調査を進めることはできない。
「まずは、そうだな。加害者との出会いから振り返ってもらおうか」
「名前はルリ。マッチングアプリで知り合いました──」
中年男性が恋に落ちるまでの体験談。ときめきも盛り上がりも期待できないが、聞き流すわけにはいかない。仕方なく、俺は次の煙草に火をつけた。
2
♀
メイクを直していると、メッセージを受信して携帯が振動した。
送信者はタモ。思わず笑みが溢れた。
『ルリさんと出会えて僕は幸せです。明日、楽しみにしています』
このおじさんからは、たくさんお金をもらえそうだ。マッチングアプリは公開されている情報が限られているけれど、第一印象から大きくズレることはほとんどない。
タモのプロフィールには、こう書かれていた。
『仕事ばかりで出会いがなく、友人に勧められて始めてみました。性格は穏やかで優しいとよく言われます。楽しい時間を一緒に過ごせる人と出会えたら嬉しいです。恋愛経験がそこまで多くないので、いろいろ教えてください』
自己肯定感が低め、女慣れしていない、ちゃんと働いている、ガツガツしていない……。短い文章の中で、加点ポイントがいくつもあった。
『年収:八〇〇万円』
『趣味:ドライブ(車いじり)、一人旅』
一人暮らしなら、ある程度贅沢ができそうな年収。それなりに貯金がないと続けられない趣味。車種や旅行先からも懐事情は読み取れる。
最近は外れのおじさんが続いていて、ストレスが溜まっていた。
大当たりを期待して「いいね」を返したのが一週間前のこと。その日からメッセージでのやり取りが始まった。
私は本気で彼に恋をしている! そう思い込めば、質問はいくつも出てくるし、文章にも自然と熱がこもる。どのタイミングで何を訊いたら、気持ちよく自分語りをしてくれるか。どんな情報を開示したら、私のことを知りたいと思ってくれるか……。
焦りは禁物。でも、好意を持っていることは積極的に仄めかす。そうすれば、向こうから釣り針を垂らしてくる。
『明日休みになりました』
通知を確認して、すぐに『えっ! じゃあ会ってみませんか?』と返信した。スタンプや絵文字だけではなく、返信のスピードでも感情は伝えられる。
プロフィール写真は最小限の加工しかしていない。長い黒髪、淡い色合いのワンピース、控えめのメイク。性格はおとなしめ、清楚でかわいらしい……。そんな印象を与えることができたら、信頼関係を築くまでの道のりは楽になる。
『でも、会ったらがっかりされるから……』
タモのプロフィール写真は酷かった。自宅での自撮り、不自然な角度、謎のライティング。顔立ち以前に、自分を魅力的に写そうという意思がまったく感じ取れなかった。
おしゃれとはほど遠い不精髭、野暮ったい分厚いセルフレームの眼鏡。突っ込みどころが満載だった。
もちろんそんなダメ出しをするわけにもいかず、メッセージでの全力フォロー、音声通話、ビデオ通話と段階を踏んで、カフェで会うことが決まった。
“頂き”が成功するかは、初回のデートにかかっている。その重要性を理解しているから、前日は緊張でほとんど眠れない。
ベッドに寝転がったまま、タブレットを起動して両手で持った。
恩人のメルちゃんが作った頂きハンドブック。何十回も読んだから、どこに何が書いてあるかも覚えている。気持ちを落ち着かせるために、好きな文章を読み上げた。
──安心させたらダメ。ドキドキは課金要素だよ。
──一に愛嬌、二にほめ殺し、三、四がなくて、五にメイクくらいかな。
──完璧じゃなくて大丈夫。ちょっと間抜けなくらいが、おじさんはときめくから。
メルちゃんのおかげで私は救われた。
このハンドブックには思い出が詰まっている。楽しかったことも、辛かったことも。眠気が襲ってくるまで、思い出ツアーで時間を潰そう。
*
命の価値は本当に平等なのか?
新宿歌舞伎町。この街で生きていると、私はそんな疑問を抱くことがある。
先月も、夜職の知り合いがビルの屋上から飛び降りた。有名な自殺スポットで、これまでに何人もの若者が命を絶っている。
その子は、どうして死んじゃったんだっけ……。確か、ホストとの喧嘩が原因だったはず。普通の人には理解できない行動かもしれない。いつ死んだっていい。きっと、心のどこかでそう考えていたんだと思う。
歌舞伎町を歩くとき、私はいつもマスクとイヤホンを付けて俯いている。
何も見たくないし、聞きたくないし、嗅ぎたくない。それなのに、街の光景、音、匂いが脳裏にこびりついている。
派手な看板と、妖しげなネオン。香水、酒、中華料理店の油、煙草、いろいろな匂いが立ち込めているせいで、歩くだけで気分が落ち込む。空き缶を持った若者がコンビニの前にたむろしていて、鋪道ではキャッチが通行人に声を掛け続けている。
涙、嘔吐物、体液。あらゆる液体が街に染み付いている。
上京したのは五年前……、十九歳のとき。進学のためでも就職のためでもなく、ただ地元から逃げ出してきた。クラスメイトも、教師も、親も、すべてが大嫌いで、高校の卒業式の翌日に東京行きの夜行バスに乗った。
全財産は二万円、夜行バス代と初日のネカフェ代で半分以上なくなった。住む場所も仕事も当てはなかったけれど、歌舞伎町に行くことだけは決めていた。
歌舞伎町の東宝ビル付近の路地裏には、当時“トー横キッズ”がたむろしていた。家にも学校にも居場所がない。そんな境遇の若者が集まっていたのだ。
SNSの投稿を追いかけながら、私はトー横での生活に憧れを抱いていた。
独特のファッション、心に傷を負った者同士の繋がり、生きづらさを否定しない寛容さ。『トー横に集合』、『歌舞伎町で待ってる』……。この場所に行けば、私も何者かになれるはずだと、そう信じていた。
実際、彼らは私を受け入れてくれた。
過去を詮索しないで、未来のことは考えず、今を楽しむために一緒にいる。付かず離れずの関係性が心地よかった。メンバーの入れ替わりは日常茶飯事。誰かが顔を見せなくなっても、無理に呼び戻そうとしたりはしなかった。
オーバードーズで倒れたり、傷害事件を起こしたり、立ちんぼで摘発されたり。私たちの存在が問題視されていることも知っていた。
トー横での生活を続けるために、みんな自分なりの方法でお金を稼いでいた。
SNSのフォロワーがたくさんいる子は、配信の投げ銭だけで充分なお小遣いを手に入れていた。でも、そんなことができるのは一握りのインフルエンサーだけ。闇バイトに応募して捕まった子もいたし、パパ活をしている子もいた。私もその一人。
もちろん相手は本当の父親ではない。ネットで知り合った本名も知らない中年のおじさん。会うだけで満足する人はほとんどいないから、ホテルに行くまでがセット。その対価としてお金を受け取る。昔は、援助交際って呼んでいたらしい。
身体を売るのは苦痛だった。思い出すだけでも鳥肌が立つ。
ムダ毛も処理していない指で雑に触られる。何を食べているのか不思議に思うくらいの口臭。舐め回すような視線。説教じみた無駄話──。
そのうち慣れるから大丈夫だよ。そう笑って、びっくりするくらいの金額を稼いでいる子もいた。だけど、私は耐えられなかった。
現実から目を背けるために、薬をたくさん飲んだ。そのせいで体調を崩して肌が荒れて、おじさんからも買い叩かれるようになった。
自暴自棄に陥っている私を見かねて、別の稼ぎ方を提案してくれた子がいた。
それが“頂き”だった。
ターゲットのおじさんに恋愛感情を抱かせて、あれこれ理由をつけて大金を支払わせる。それって詐欺じゃないの? そう私が訊くと、その子は「頂きだよ」って否定した。
パパ活は、こっちが提供したサービスに見合う対価しか受け取れない。でも“頂き”は、恋の力で限界までお金を引き出せる。
「恋は魔法なんだよ。おじさんをATMに変身させちゃう魔法」
その子の言っていることは、何となく理解できた。だけど、お金を受け取れるくらい夢中にさせるなんて、私には絶対に無理だと思った。
「そんなルリちゃんに、このハンドブックをプレゼント!」
その子こそが、私の恩人──、メルちゃん。
おじさんから一億円以上を引き出した実績があって、“頂き”の極意をハンドブックにして配っている。メルちゃんの噂はそれまでにも聞いたことがあった。
「情報商材とかだと思ってたでしょ~? でもね、信じる女子は救われるの」
おじさんとの出会い、信頼関係の構築、お金を引き出すための下準備、アフターケア。
ハンドブックには、フェーズごとのポイントがわかりやすくまとめられていた。具体的な会話やシナリオまで紹介されていて、真似するだけで実戦に挑めそうな完成度だった。
「一人でやり切るのは不安だよね。だから溜まり場も作っちゃった」
ハンドブックを持っている子だけが参加できるコミュニティ。そこでは雑談や悩み相談で盛り上がるだけじゃなくて、“頂き”の実況中継までしている子もいた。
おじさんとのメッセージや電話を晒してアドバイスを求める。犯罪の証拠になりかねない行動だけど、そもそも悪いことをしているという実感が乏しかったんだと思う。
メルちゃんは、“頂き”についてかなりキャッチーに語っていた。
「お金を渡すかどうかはおじさんの自由でしょ? 私たちはお小遣いを受け取ってるだけ。みんなハッピー! 誰も不幸になってない」
底抜けに明るくて面倒見がいい。メルちゃんみたいになりたいと私は思っていた。
でも、“頂き”に挑戦する勇気は振り絞れなかった。そんな臆病者のこともメルちゃんは見捨てないで、ご飯を奢ってくれたり愚痴を聞いたりしてくれた。
「昔のメルを見てるみたいで放っておけないんだよね~。歌舞伎町に染まっちゃう前に出ていくのも、一つの選択肢かもしれないよ?」
トー横からいなくなった子たちも、この生活に限界を感じていたのかもしれない。
地元に戻って、両親に頭を下げて、普通の仕事を見つけよう。メルちゃんと話したことで、そう決心していた。
お別れの挨拶をするために、コミュニティのスレッドを開いた。
『メルちゃん、捕まったらしいよ』
逮捕記事のURLも貼られていた。詐欺と詐欺幇助……。幇助の読み方もわからなかったけれど、メルちゃんが逮捕されたのは事実だった。
『えっ……、これヤバくない?』
『私たちは大丈夫だよね』
コミュニティからは、すぐに人がいなくなった。スレッドもほとんど削除されて、まるで部活の活動停止が命じられたような──、そんな雰囲気だった。
ハンドブックがSNSで流出して、メルちゃんの名前はインターネットで一気に広まった。恋愛詐欺グループを結成して、被害者から騙し取ったお金を上納させていたらしい。そんなでまかせまで私の耳に入ってきた。
本当のメルちゃんを知っている人はトー横にしかいない。地元に戻るのは先延ばしにして成り行きを見守ることにした。
数日後。私はメルちゃんの手紙を受け取った。
内容はチェックされるけど、逮捕されていても手紙を送ることは認められている。決まった住所がなかったから、メルちゃんの弁護士がわざわざトー横にまで届けてくれた。
何が書いてあるんだろう。ドキドキしながら封を切った。
突然逮捕されてびっくりしたこと。留置所の生活は最悪の一言に尽きること。取調べ以外はずっと放置されていてとにかく暇なこと。
「だれかと話したいと思ったら、ルリちゃんの顔が思いうかんだの! たいほされる前日に会ってたからかなあ。まだかぶきに残ってる? 出ていっちゃってたら、この手紙は届かないのか。う~ん。ふくざつな感じ」
何かをお願いするわけでもなく、素直な気持ちや逮捕されてからの出来事が記されていた。他の子じゃなくて、私に手紙を書いてくれたことが嬉しかった。
「メル、いろんな子にハンドブックを配ってたでしょ? それが、さぎの手助けをしたことになるんだって。何年間もけいむしょに入るかもしれない。そう弁護士に言われちゃった。出てくるころにはオバさんだよね~」
そして、手紙の最後は「ルリちゃんは幸せになってね!」で締め括られていた。
封筒には弁護士の名刺も入っていた。事務所を訪ねて話を聞いたら、被害者との間で示談が成立しない限り長期間の服役は避けられないと説明された。
メルちゃんは、おじさんから一億円以上を受け取っていたけど、そのほとんどをホストに貢いでいた。だから、示談金を支払うのは不可能だった。
メルちゃんの逮捕から一年。余罪が大量にあるから、裁判はまだ開かれていない。
ねえ、メルちゃん。私はまだ歌舞伎町にいるんだよ。
手紙とハンドブックをお守りにして、必死にお金を稼いできた。我ながら、結構頑張ったと思うんだ。
今の私を見たら褒めてもらえるかな。必ずまた手紙を書くからね。
明日は、カフェでタモとの初デート。睡眠不足は美容の敵。そろそろ眠らなくちゃ。
3
♂
詐欺の被害金を買い取った一週間後。俺と多森はカフェで向かい合っている。
「どういうつもりですか」
コーヒーを啜りながら多森は不服そうに言った。前回と同じシワだらけのチェックシャツを着ている。
「この場所を選んだ理由?」
「そうです」
電子タバコも含めて禁煙らしい。喫煙が可能なカフェは絶滅危惧種レベルに減っている。喫煙者にとっては由々しき事態だ。
「場所と記憶は、密接に結びついている」
「この前は突然帰らされて、今日は一方的に呼び出された。私にだって予定はあるんです。少しは、こっちの都合も考えてください」
「調査には全面的かつ誠実に協力する。納得した上で契約書にサインしたんだろう? 不満なら、途中解除を申し出てもらっても構わない。その場合、契約は遡及的に無効になるし、損害賠償請求権の行使も妨げられない」
「解除なんか考えていません」
既に二百万円は手元に残っていないのかもしれない。
「それなら無駄口を叩かないでくれ」
「…………」
一週間前は、“頂き女子ルリ”との出会いについて多森に語らせた。
仕事一筋の人生を歩んできたので、四十代後半に差し掛かるまでまともに恋愛をしたことがなかった。一方、両親が立て続けに病気で亡くなり心境の変化が生じた。
このまま一人で生きていくのだろうか、誰かに自分の死を看取ってほしい──、と。
職場での出会いも、友人からの紹介も期待できず、マッチングアプリを始めることにした。プライドが邪魔して誰にも相談しなかった結果、スタートから大きく躓いた。
熱意が空回りしている長文のプロフィール。好感度も清潔感も皆無の顔写真……。さらに、二十代や三十代がメインターゲットのアプリを選んでしまったらしく、デートどころかマッチングすら成立しない状況が半年以上続いた。
心が折れかけたところで、「いいね」が届いた。その相手がルリだった。
最初は操作ミスだと思ったという。二十歳以上年下で、プロフィール写真もかわいらしい。自分とのマッチングを望む理由を何一つ見出せなかった。
それでも、もしかしたら──、という誘惑には打ち勝てなかったのだろう。「いいね」を返して、メッセージのやり取りが始まった。
文面はスクリーンショットで共有を受けたが、ルリは手練れの詐欺師だった。
出身、趣味、職種。プロフィールから読み取れる情報を駆使して積極的に会話を展開する。年齢差についても、以前の恋愛での失敗を自嘲気味に伝えた上で、落ち着いた男性と結婚を見据えて交際したいと語っていた。
相手の自尊心をくすぐりながら距離を縮めていき、初デートの予定が決まったという。
「このカフェでルリと初めて顔を合わせた。席はどこだった?」
「……ここです」
「よく覚えているな」
「忘れたくても忘れられませんよ」
手狭な店内には、アンティーク調のインテリアやドライフラワーがセンスよく設置されている。他の客は若いカップルが三組。俺たちは間違いなく浮いているだろう。
「金の無心は、そのときにされたのか」
これ以降の話は、初回の面談では確認していない。直接現場を見ながら説明を受けるべきだと判断したからだ。
「はっきり頼まれたわけではありません」
「つまり、金に困ってる程度の匂わせはあったんだろう?」
「家族の話になって……、父親に暴力を振るわれていたと打ち明けられたんです。だから、ずっと男性が苦手で恋愛にもいい思い出がないと」
恋愛詐欺ではよく聞くエピソードだ。
秘密の共有によって懐に入り込めるだけではなく、金銭を受け取った後もこの設定は役に立つ。相手に責められたり返済を強く迫られたとき、そのトラウマがフラッシュバックしたふりをすれば追及から逃れやすくなる。
「毒親と縁を切るには金が必要だと言われたのか」
「どうしてわかるんですか」
「お決まりの展開だからだよ」
多森は息を吐いて、不幸話の概要を明らかにした。
実家を出て虐待から逃れられたが、定職に就いたことを知った父親に金の無心をされた。自宅での待ち伏せ、職場への突撃。あまりのしつこさに一度金を渡してしまった。その後も要求は続き、これまでの総額は数百万円──。
「父親との関係を清算しないと、誰かと一緒になることは絶対にできない。相手にも迷惑を掛けてしまうから……、そんな話をされました」
「うそ臭いと感じなかったのか?」
「舞い上がっていました。こんなに若くて可愛い子が、私なんかを頼ってくれている。力になりたいと思ってしまったんです」
「愚かだな」
「何とでも言ってください」
初デートの後、ルリから届いたメッセージには『今日はとっても楽しかったです! でも、父親の留守電が何件も残されていて……。前に進むためにも、ちゃんと向き合ってみようと思います』と書かれていた。
「それで?」
「しばらく連絡がありませんでした。父親に危害を加えられたのではないか。心配でほとんど眠れず、携帯の通知ばかり確認してしまう日々が続きました」
それまではこまめに連絡があったからこそ、突然の音信不通に動揺したのだろう。
約一週間後、『やっぱりダメでした。恋をする資格なんて私にはないのかもしれません』と思わせぶりなメッセージが届いたという。
「縁を切るにはいくらいると?」
「百万円です。一回会っただけですが、本当に切羽詰まっているように見えて……。それくらいなら融通できると言ってしまいました」
「借用書は作ったのか」
「いえ……」
どうして百万円を渡せば父親と縁を切れるのか。引っ越し先を伝えず連絡をすべて無視すれば関係を断てるのではないか。冷静な判断ができる状態なら多くの疑問が浮かんだはずだ。しかし、周りが見えなくなってしまっていたのだろう。
「その後も金を要求され続けたわけだ」
「はい。今さら疑うことはできませんでした」
三回に分けて総額三百二十万円。ルリとは金銭を渡すタイミング──、つまり初回デートを含めても四回しか顔を合わせていないらしい。
「消費者金融で金を借りたと言っていたな」
取り立て屋の紹介を受けて、多森は俺の事務所を訪れている。
「最初の百万円は貯金から出しました。でも……、それがほぼ全財産だったんです。頼れる親族や友人もいませんでした」
生命保険を解約して、消費者金融にまで手を出した。
「ルリは、何と言って金を受け取ったんだ」
「これで父親と縁が切れる。そうしたら一緒に住んで結婚の計画を立てよう。もっとお金を要求された。今度こそ本当に……。この繰り返しですよ」
「それで納得したのか」
「するわけないでしょう。追及しても、大声で泣くだけで何も説明してくれなかった。また百万円以上必要だと言われて、いい加減にしてくれと答えたら……、二度と連絡が取れなくなりました」
多森の声は震えていた。慰めの言葉をかけるつもりはない。
「金は手渡しで?」
「はい」
「預金の出金明細や消費者金融の利用明細は?」
「残っています。あの……、どうやってお金を取り返すつもりですか」
「被害金は俺が買い取ったんだ。どうなろうと、あんたには何も関係がない。借金を返してあとは好きに生きればいい」
「ちゃんと制裁を受けてほしいんです。私の人生はめちゃくちゃにされたのに、お咎めなしなんて許せません」
必要な資料を受け取れば、もう多森は用無しだ。会うのは今日が最後になるだろう。
「ルリの被害者は他にも大勢いる」
「どうやって調べたんですか」
多森が使っていたマッチングアプリ、ルリのユーザー名、詐欺。キーワードの組み合わせで何件もの被害告発がヒットした。
「全員、同じようなやり方で騙されている。誹謗中傷に晒されている被害者もいたよ」
「……被害者が?」
「一回り以上年齢差があったんだから、まともな男なら手を出さないし、引っかからない。金で女を買っておきながら被害者面するのはおかしい。おじさんが高望みして痛い目を見ただけ。騙される方にも問題がある……。まだ聞きたいなら続けるが」
多森は首を左右に振った。
「全然、違いますよ。金で買ったって……、助けるために援助したんです。どうしてそれを、買春みたいに言われないといけないんですか」
「世間の認識はこんなものだ。ルリに制裁を加えたいなら思い切った一手を打つしかない」
「どうやって」
コーヒーを飲み切ってから俺は答えた。
「目には目を、だよ」