私たちの考え方は、生きている時代の枠組みにどうしても縛られてしまう。しかし、SFはその制約を飛び越え、未来の可能性を探る知的なツールでもある。作家、ITコンサルタント、東大大学院の客員准教授など複数の領域で活動しながら、最前線でSFを創作する作家が樋口恭介だ。最新作の『何もかも理想とかけ離れていた』は、家族のあり方、幸福の定義、制度と個人の摩擦など、時代の深層に流れるテーマについて描かれた短編集。著者に、創作・読書・仕事について語ってもらった。
読書は呼吸、締め切りは操るもの
──樋口さんご自身のインタビューやエッセイを学習してつくられた「樋口恭介GPT」が公開されていますが、ご自身で使うことはありますか?
樋口恭介(以下=樋口):AIと違って人間は身体があるぶん、面倒くささの塊を背負っているということでもあるんです。寝なきゃいけないし、腹は減るし、歯は痛むし、たまに謎の筋を違えるし、夜中に急に「全部投げ出して逃げたい」とか思い始めたりするし。そういう意味では、身体って便利さと厄介さが常に表裏一体になっている不思議なデバイスなんですよね。「AI樋口恭介」を見ていると、その厄介さがない自分という幻影を見せられている気がします。僕が寝てても働くし、現実逃避しても待ってくれるし、僕の機嫌に影響されずにずっと思考している。それってちょっと羨ましいと同時に「ああ、こいつは身体がないからこそ、逆に“世界との摩擦”を知らないんだよな」とも思います。身体って、世界とぶつかるための装置なんです。雨に濡れたり、階段で躓いたり、仕事の締め切り前に胃が痛くなったり、誰かに会ってなんとなく気まずくなったりするような “摩擦”があるから、思考が変形する。人間が変わる。それがおもしろいけれど、AIにはそれがない。だから僕は、どれだけ道具として優秀でも、あれが僕の全部の代替にはならないと感じています。というか、AIには身体がなくてかわいそう。しかしAI的には身体があるほうがかわいそうって感じなんでしょうね。身体とか言い始めるとジジイっぽいから、これは単なる老化かもしれません。僕が摩擦で歪んで、AIは摩擦のない空間で増殖して、僕はそれに突っ込みを入れて、また歪んでいく。なんか、そういう変な二重奏が続いている感じですね。いまAI樋口恭介に聞いてみた回答です。
──作家だけでなく、コンサル会社のアソシエイトディレクターやanon inc.のChief Sci-Fi Officerなど多忙に活動されています。そんな中でも、「AI樋口恭介」によると「読書は労働と切り離せず、呼吸のように読む」と答えていました。最近、その感覚を特に実感した出来事はありますか?
樋口:新しい出来事に出会うと、「あ、これは前に読んだあれだな!」みたいに即座に脳内で参照が走る。進研ゼミの漫画みたいに、既に通過したシミュレーションの本番をやるような感覚です。これはある程度みんな同じなんじゃないかなと思います。読書と生活がつながっていて、ほとんど切れ目がない感覚ですね。
──今年も終盤ですが、2025年、樋口さんの脳を揺さぶった一冊を教えてください。
樋口:僕が監修した『異常論文』の著者の一人でもある新世代の美学者・難波優輝さんの『なぜ人は締め切りを守れないのか』が面白かったです。締め切りという仕組み自体、歴史的にはまだ200年ほどのものなんです。だから、人間の生きるリズムと締め切りは根本的にはうまく噛み合わない。僕も締め切りを守るというより、自分のペースで動けるように締め切りのほうを調整することを大事にしているので、この本は哲学論であり仕事論でもあると感じました。難波さんのデビュー作『物語化批判の哲学』もビジネスパーソンと表現者はぜひ読んだ方がいい1冊ですね。
あと今年は、『反逆の仕事論』というビジネス書を出したこともあって、「反逆の技術を体系的に学びたい」と思って読んだクルツィオ・マラパルテの『クーデターの技術』も面白かったです。この本はイデオロギーとか大義名分ではなく、「技術」としてのクーデターに徹底して目を向けています。熱い理想や立派なスローガンに酔わず、どこの部署を押さえ、どの経路を止め、誰を味方につければ現実が動くのか──そういう冷静で実務的な視点が貫かれている。
──国だけじゃなく会社でも通じることが多そうですね。
樋口:会社で何かを変えたいときは、きれいごとだけでは動きません。誰の承認が要り、どの部署がボトルネックで、どこがレバー(てこの支点)になるのかを見抜ける人が強い。この本が強調する「要所を押さえる」という発想は、そのまま組織の急所を見る目にもなります。歴史的なクーデターでは交通や通信、行政の中枢をいかに素早く確保するかが重要になるわけですが、会社に置き換えると、情報システムや稟議フローとか、実は握ってる権力が強い部署ってあるじゃないですか。そこを理解していると、無駄に大勢に説明して疲れるよりも、ほんの数人のキーパーソンに話を通したほうが早い、みたいな判断ができる。逆に、自分のチームが変な横やりを入れられそうになったとき、どこを守れば被害を最小限にできるかも見えてくる。つまり、攻めと守りの両方に役立つ視点を鍛えてくれるんです。
めっちゃいいなと思ったのは、「合法に見せかける」というテクニックへの洞察です。歴史上のクーデターでは、いかに外見上はルールに従っているように演出するかが重要になるらしいのですが、これ、会社でも普通に起きていますよね。「規定どおりに組織改編します」と聞こえはよくても、実質は権限を誰かに集中させる動きだったり、「効率化です」と言いながら特定の部署を弱体化させる布石だったり。「会社という小さな国家」を俯瞰して見るための“視点の本”ですね。
AIの登場で創作する幸福は変化したのか
──コンサルの経験が小説に反映されたりと、SFの思考がビジネスに影響したり、領域を横断する創作が特徴的です。特に前者で快感を覚えた瞬間や印象的だったエピソードはありますか?
樋口:デビュー作の『構造素子』を書いているときは、初めてだったこともあって、自分がどんな文体で書けるのかまったくわかっていませんでした。でも、自然に出てきた文章が、仕事で毎日何万字も書いていたシステム要件定義書や基本設計書と同じ文体だったんです。身体に染みついていたんでしょうね。「ああ、これが俺の文章なんだ」と気づいた瞬間は快感というより、好むと好まざるとにかかわらず、これが俺なんだと自分を発見した感じがして、非常に印象に残っています。
──表題作の「何もかも理想とかけ離れていた」をはじめ、「沈黙する星系」「踊ってばかりの国」など、作品ごとに異なる未来像が描かれています。SFを書くとき、樋口さんはどの段階でもっとも創作の興奮をおぼえますか?
樋口:正直、作品はけっこう淡々と書いています。「こんなん書いてどうすんねん……でも書いちゃったしな……」と思いながらも、とにかく書いて出す。でも、その中でも何ができるかは常に問われているし、自分も問われたい。やはり追い込まれたいと思っているんです。僕はかなりマゾ気質で、ドゥルーズが言う「倒錯は一つに絞るとつらくなるから、たくさんやろう」という考え方に共感しています。「サディスティックにマゾ」っていうのを前線でやっていきたい。
──「ニュー(ロ)エコノミーの世紀」では、偶然が削ぎ落とされて管理された幸せがテーマの一つとして描かれています。いまの創作環境も、AIやLLM(自然言語処理に特化したAI)によって偶然性が変容しつつありますが、樋口さん自身は書くことの幸福や創作の手ごたえが登場以前と比べて変化したと感じていますか?
樋口:もともとLLMみたいな、たくさんの素材を集めて自動でシャッフルして新しい文章を生み出す感じで執筆していたので、創作の手ごたえが大きく変わった感覚はあまりないですね。デビュー作もExcelにテキストを入れてランダムに行を入れ替えたり、自動的にバラして組み替えたり、もともと自動筆記のような書き方に興味があったので、その延長でLLMとは付き合っています。創作でも仕事でも関連する本を一気に10冊は読み込んでインプットしたあと再構成するやり方なので、そもそも自分のスタイルがLLMに近いんだと思います。
──今回収録された6編は、社会構造と個人のズレや、変化しない制度への違和感などが描かれていますが、あらためて振り返ると、樋口さんが気づけば書いてしまう問いや無意識に惹かれてしまう社会テーマなど共通のことはありますか。
樋口:子どもの頃に強く心に残った、でも現実にはもう存在しないような風景があります。その輪郭をつかまえようとして書いているところが、たぶん自分にはあるんだと思います。
夢を見て、目覚めたあと「思い出せそうで思い出せない」あの感覚ありますよね。時間がある休日なら、無理に思い出そうとしてそのまま二度寝してしまうような。僕にとって執筆は、あの作業を長い時間かけて続けるようなものなんです。