お弁当店「ききみみ堂」には、ひときわ特別なメニューがある。その名は、「しふく弁当」。依頼主の事情や想いに静かに耳を傾け、贈りたい相手に届ける、世界にたったひとつのお弁当だ。

 

 育休明けの職場復帰に悩む同僚には、そっと応援する味を。新しい生活になじめず、孤独を抱える大学生には、元気を取り戻す一品を。亀裂の入った親子には、仲を修復するごはんを。まるで“食べる手紙”のように仕立てられたお弁当は、明日をがんばる力が湧いてくる。

 

「小説推理」2025年8月号に掲載された書評家・大矢博子のレビューで『しふく弁当ききみみ堂』の読みどころをご紹介します。

 

 

『しふく弁当ききみみ堂』冬森灯  /大矢博子 [評]

 

あなたのことを思って作られた世界に一つだけのお弁当が、がんばる勇気を与えてくれる!

 

 日々の生活の疲れや、ずっと抱いてきた悩み。それらが温かな食事でほっとほぐれていく……というテーマの小説は今や一大ムーブメントとなっている。そこに割って入るのはなかなか難しいと思うのだが『しふく弁当ききみみ堂』を読んだとき、なるほどこの手があったか、と膝を打った。本書に登場するのは「温かな食事」ではない。冷めた状態で食べるのを前提とするお弁当である。

 

 客は、ききみみ堂に誰かに贈るためのお弁当を注文する。ききみみ堂店主の鳴神冴良は注文主から話を聞いてどんなお弁当がいいかを考え、出来上がったものは相手と注文主の両方に届けられるという仕組みだ。

 

 双子の育児に疲弊しながら育休明けの不安を抱える主婦に、同僚が贈ったお弁当。高校までの弱い自分から脱却したかったのに大学デビューに失敗し、孤独を深める大学生。大好きな人と一緒に過ごす日のための特別なお弁当を頼む保育士。彼氏との同居生活の中で価値観の違いを感じる女性。亀裂の入った親子の仲を修復するお弁当を頼む父親。

 

 ひとつひとつの物語がゆるやかにつながり、あれがここで効いてくるのかという楽しい驚きも混ぜつつ、物語はお弁当が人々の心をほぐす様子を描き出す。

 

 肝心なのは、それを贈ってくれた人がいる、ということだ。冴良の腕やアイデア、美味しそうな料理の描写もさることながら、贈ろうと思う人がいなければ話は始まらない。一緒に温かい食事をとれるわけではないけれど、あなたのことを思っているよ、心配しているよという気持ちがお弁当になって届くのである。その連鎖こそが物語の核だ。

 

 お弁当の蓋を開ける行為は、思いのこもったプレゼントを開けるのに似ている。お弁当を届けたい誰かがいる、届けてくれる誰かがいる、それこそが最高の幸せなのかもしれない。

 

 なお、「しふく弁当」は「至福」の意味ではない。では何か。それは本書でどうぞ。