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部屋の豪華さは、萩尾の予想以上だった。建材がいかにも高級そうだし、とにかく広かった。
ソファやテーブルといった調度類も一目見て高級品であることがわかる。広いリビングルームにあるテレビのでかいこと……。
茂手木係長が言った。
「現場はかなり散らかっていた。部屋の中を物色したようだ」
「……で、現金を盗んでいったと……」
萩尾は尋ねた。「他に何か盗まれたものは?」
「いや。現金だけだと、被害者は証言している。まあ、もっとも何か盗まれたにしても、気づかない被害者も意外に多いからな」
秋穂が言った。
「馴染みの故買商がいないんじゃないですかね。だから、現金だけを狙ったんじゃ……」
萩尾はうなずいた。
「それは大いに考えられるな。故買商を知らないと、せっかく何か盗んでも現金にすることができない」
「やっぱり、プロっぽくないですよね。プロなら、馴染みの故買商くらいいるでしょう」
「だがね……」
茂手木係長が言った。「第二の犯行では、高級時計を盗んでいる。そして、第三の犯行では外車だ。これはちゃんと販路に伝手がないと現金化はできない」
秋穂は考え込んだ。
「それなんですよね……」
萩尾は部屋の中を見回した。
すでにすっかり片づけられているから、犯人の癖とか習慣を見いだすことはできない。ただ、部屋の豪華さに圧倒されるだけだ。
萩尾は茂手木係長に尋ねた。
「物色された跡があったということだな?」
「ああ」
「何か気づいたことはないか。犯人の特徴とか……」
「いや、特にないな。ちなみに、検出された指紋はすべて被害者家族のものだった。犯人のものらしいゲソ痕もなし」
「じゃあ、手がかりは、ピッキングの跡くらいなものか……」
「玄関ですれ違った住人によると、若い男だったらしいということだ」
「人着は?」
「その男は黒いスウェットの上下で、フードをかぶっており、マスクをしていたそうだ」
秋穂が言う。
「それって、思いっきり怪しい風体じゃないですか」
「だから、その住人は不審に思ったんだろう」
「でも、通報しなかった……」
「それが普通なんだってば」
管理人が出入り口付近で、手持ち無沙汰な様子で捜査員たちのほうを見ていた。
萩尾は秋穂に尋ねた。
「もっと見るか?」
「いえ。だいじょうぶです」
萩尾は茂手木係長に言った。
「じゃあ、次に行こう」
「相変わらず、あっさりしてるな」
「そうかな……」
次は、中目黒の商店街にある眼鏡・時計店だ。土門は、三人を店の前で降ろすと、コインパーキングに車を停めに行った。
その店はすでに営業を再開している。
客がいたので、店主らしい中年男性に声をかけてから、店の外で待つことにした。
「この店のドアの外に、格子状のシャッターが降りてくるわけだな?」
萩尾はガラス張りの玄関の上部を見上げながら言った。
茂手木係長がこたえた。
「そうだ。鍵は下に付いている」
「それをこじ開けたのか?」
「こじ開けたというか、ピッキングだな」
「じゃあ、マンションの事件と共通点があるわけだな」
「ピンシリンダーキーとディンプルキーのピッキングが、共通点と言えるか?」
萩尾は考え込んだ。
たしかに、どちらも鍵のピッキングだが、難度には格段の違いがある。ピンシリンダーなら、素人でもちょっと練習すればすぐに開けられるようになるだろう。だが、ディンプルキーの場合、鍵開けのプロでも三十分もかかることがあるほど難しい。
萩尾は言った。
「ディンプルキーのピッキングと、電子ロックの解除という差異に注目すべきだということか……」
茂手木係長は言った。
「そうだ。つまり、ハギさんが言ったとおり、同一犯の仕業とは思えない」
すると秋穂が言った。
「私、グループの犯行だという考えを捨ててないんですけど……」
「だがな」
萩尾は言った。「さっきも言ったが、グループだと割りに合わないんだよ」
「リハーサルかもしれませんよ」
「リハーサル?」
「そうです。何か大きな仕事を計画していて、そのための準備段階なのかもしれませんよ」
萩尾は茂手木係長に尋ねた。
「どう思う?」
「SNSの謎かけみたいな犯行予告は何のためだ?」
「それ、本当に犯人が書き込んでいるんですかね? 偶然じゃないんですか?」
「犯行は必ず書き込みの翌日に起きている。そして、内容を考えれば、偶然とは言い難いと思うが……」
秋穂は言った。
「何だか、嘘くさいんですよね……」
萩尾は尋ねた。
「偽物くさいとか、嘘くさいって、おまえさんは言ってるが、何が嘘くさいんだ?」
「ええと……。よくわからないんですよ。でも、何だかリアルな感じがしないんです」
茂手木係長が言う。
「実際に被害にあっている人がいるんだ」
「ええ、それはわかっています。だから、犯人は必ず捕まえなきゃならないと思います。ですから、ここで犯人像を間違えてはいけないと思うんです」
「それはそうだが……」
萩尾がそうつぶやいたとき、店から客が出ていき、店主らしい中年男性が店の外にいた萩尾たちに声をかけた。
「すみません。お待たせしました」
三人は店内に招き入れられた。
小さな店で、入るとすぐ真ん中にガラスのショーケースがあった。入って左側の壁には掛け時計が、右側の壁には、眼鏡のフレームが並んでいる。
萩尾が官姓名を名乗ってから言った。
「犯行時の状況について、もう一度話をうかがわせてください」
「はい、どうぞ」
彼はやはり店主だった。この店の三代目のオーナーだという。
「このお店は電子ロックを付けているそうですね?」
「ええ。そうです。それをやられました」
「電子ロックを解除されたということですね?」
「はい」
「ここの電子ロックは、生体認証とかではなく、暗証番号で開けるタイプですね?」
電子ロックにもいろいろな種類がある。代表的なものは、指紋認証や掌紋認証。眼の虹彩を認証して解除するものや、顔認証で開けるものもある。
「そうです」
店主は苦笑した。「生体認証に比べると、暗証番号使うやつは比較的安いですからね」
「警備会社と契約はしていないんですか?」
「かつてはしていたんですよ。でもね、コロナで収益がガタっと落ちましてね……。経費節減を迫られて、解約しました」
萩尾は意外に思って尋ねた。
「眼鏡屋さんでも、コロナの影響があったんですか?」
「ありましたよ。人出がずいぶんと減りましたからね。この商店街自体の売り上げが落ちました」
「電子ロックの暗証番号をご存じなのはどなたですか?」
「父親と妻、そして息子ですね」
「あなたを含めて四人だけですか?」
「私の知る限り、四人です。でも、私以外の三人が誰かに教えているかもしれません。それは把握できていませんね」
萩尾は茂手木係長に尋ねた。
「暗証番号を知っている者が盗んだという可能性は?」
「無きにしもあらず、だが、違うと思う」
「根拠は」
茂手木係長は、玄関から見える通りの向こう側を指さした。電信柱に防犯カメラが取り付けてあるのが見えた。
萩尾は尋ねた。
「犯人が映っていたのか?」
「人相はわからなかった。なにせ、フードをかぶってマスクをしていた」
秋穂が言う。
「それって、マンションで目撃された人物と共通してますね」
萩尾は言った。
「そういうことは、ちゃんと確認しなければな」
「だが、共通点であることは確かだ」
茂手木係長が言った。「この件が連続窃盗事件だと、武田が認めたことになる」
秋穂が言った。
「認めてないわけじゃないですよ。ただ、単独犯かどうかが疑わしいと思っているだけです」
萩尾は店主に尋ねた。
「盗まれたのは商品ですか?」
「いや、うちはご覧のとおり、それほど高級な商品は置いていません。盗まれたのは、お客さまから修理を頼まれて預かっていたロレックスです」
「えっ」
秋穂が驚いた声を上げた。「専門店じゃなくてもロレックスの修理ってできるんですか?」
「簡単な修理はできます。ただ、メーカーでないと、修理をしたときに価値が落ちたりするので、その点はお客さんと相談です。うちなら安く上がりますから。純正部品が必要なときは、うちからメーカーに出します」
「盗まれた時計は一つだけですか?」
「ええ」
「ちなみに、そのロレックスって、どれくらいの価値があるものですか?」
「三、四十万円といったところだと思います」
萩尾は店主に礼を言った。
三人は店をあとにした。
そこに土門が戻ってきた。
「駐車場がなかなか空いてなくて、この辺をぐるぐる回りました」
茂手木係長が言った。
「次、行くぞ」
「えっ。ようやく駐車場見つけたのに……」
さすがに土門がかわいそうだと思い、萩尾は言った。
「その駐車場まで歩こう」
三件目の現場は、目黒区駒場一丁目の一戸建てだった。家の前に駐車スペースがあり、そこに停めていた車が盗まれたという。
被害者は、四十代半ばの男性で、竹中という名前だった。大きな家の持ち主らしく、いかにも上流階級といった出で立ちだった。
萩尾は竹中に尋ねた。
「盗まれたのは、外車だということですが……」
「メルセデスです」
「イモビライザー等の防犯装置は?」
「当然、ついていましたが……」
茂手木係長が言った。
「リレーアタックやコードグラバーには、イモビライザーは役に立たないよ」
竹中が言った。
「車、戻ってきますかね……」
気休めを言っても仕方がない。萩尾は事実を伝えることにした。
「盗難車両は、海外に売られるケースが多い。常習犯は、販路を確保しています。それに、車そのままではなく、工場でバラして部品を売ることもあります。ですから……」
竹中は溜め息をついてから言った。
「つまり、戻ってこないということですね」
「我々もできるだけのことはしますが……」
その時、秋穂が竹中に尋ねた。
「盗難前、最後に車を使ったのはいつですか?」
「ええと……。一週間前だと思います」
「そのとき、近くに誰かいるのに気づきませんでしたか?」
「近くに……?」
「スマートキーを使ったときの微弱電波をキャッチするために、犯人が近くにいたかもしれません」
茂手木係長が秋穂に言った。
「そういうことはもう、俺たちが質問しているよ」
「いや、待ってください」
竹中が言った。「今、言われて思い出しました。車で出かけようとしたとき、門の近くに誰かいたんです」
秋穂が尋ねた。
「顔を見ましたか?」
「いや、フードをかぶっていたと思います」
秋穂が萩尾を見て言った。
「またフードです」
「同一人物だと言いたいのか?」
竹中が萩尾に尋ねた。
「同一人物?」
「目黒署管内で他に二件の窃盗事件が起きています。その現場付近で目撃されたり、防犯カメラに映っている人物がいまして……。それがフードにマスクという恰好なんです」
「じゃあ、その男がうちの車を……」
「いや、それはまだわかりません」
「何としても捕まえて、車を取り戻してください」
萩尾は繰り返し言った。
「できるだけのことはします」
帰りの車の中で、秋穂が言った。
「やっぱり、本物のプロじゃないと思います」
茂手木係長が言う。
「三件とも、手口は鮮やかだ。ベテランだと思うがね……」
「SNSの予告が引っかかるんです。これ、ただの愉快犯じゃないですか?」
「しかしな……」
萩尾は言った。「おまえさんも手口を見ただろう。どう見てもプロの手口だ」
「そうですかね。なんか嘘っぽいんです。プロの真似をしているっていうか……」
「真似でできる芸当じゃないぞ」
目黒署に到着し、萩尾たちは車を降りた。最後に降りてきた土門が声を上げた。
「あっ。また同じやつの投稿です」
茂手木係長が訊いた。
「犯行予告か?」
「どうでしょう? これ、何だと思います?」
土門が差し出したスマートフォンを覗き込んだ茂手木係長が読み上げた。
「愛の喜び、愛の挨拶……」
萩尾は言った。
「何だそれは。そんなの、犯行予告じゃないだろう」
土門が言った。
「でも何だか、意味ありげですよ」
茂手木係長が言う。
「歌の詞か何かじゃないのか?」
「愛の喜び、愛の挨拶……」
そうつぶやいた秋穂は、「あっ」と声を上げた。
萩尾は驚いて尋ねた。
「目黒署管内にバイオリンを売っている楽器店ってありますか?」
「そりゃあるが……」
「そこで張り込んでいれば、犯人が現れるかもしれません」
「何だって? どういうことだ?」
「『愛の喜び』はクライスラー、『愛の挨拶』はエルガー。どちらも有名なバイオリン曲です」
茂手木係長と土門は戸惑った様子で顔を見合った。
「いやあ、だからと言って」
茂手木係長が秋穂に言った。「バイオリンを盗む予告とは考えにくいだろう」
「これまでの三件を考えてください。謎かけみたいなのが、結果的に犯行予告だったんでしょう?」
「そりゃそうだが……」
「それが犯人のメンタリティーだと思うんです」
「メンタリティー?」
「つまり、特徴です。彼はちょっといたずらをしているような気分なんじゃないでしょうか」
「いたずら気分の手口じゃない」
ここで言い合いをしていても始まらない。そう思って萩尾は言った。
「武田の言うことにも一理ある。それに、いたずら気分というのもうなずけなくはない」
茂手木係長がそれにこたえた。
「じゃあ、バイオリンを扱っている楽器店をリストアップして、捜査員を張り付けよう」
自由ヶ丘、中目黒、そしてJR目黒駅近くの楽器店に的を絞り、捜査員を配置した。萩尾と秋穂は自由ヶ丘の店の張り込み班に組み込まれた。
その結果、中目黒の楽器店に侵入しようとしている男を目黒署の刑事が現行犯逮捕した。秋穂の読みが的中したのだった。
「たまげたなあ……」
茂手木係長が言った。「あんな若い男が犯人だったとは……」
萩尾は言った。
「ベテランじゃないという秋穂の見立ては正しかったわけですね」
「でも」
秋穂が少しばかり悔しそうに言った。「単独犯でしたね。グループの犯行という読みは外れました」
犯人は、盗んだ時計と自動車をまだ処分していなかったので回収することができた。時計の持ち主と自動車のオーナーは大喜びするだろう。
「犯人が言っていたダークウェブって、ヤバいな」
茂手木係長が言うと、土門がこたえた。
「特別なブラウザでないと入れないディープなネット空間なんですけど、武器や薬物の販売から、犯罪の手口の紹介まで、何でもござれです」
秋穂が言った。
「IDやパスワードも売り買いされているみたいですよ」
犯人は二十六歳の若者で、ダークウェブのマニアだった。そこで、いろいろな犯罪の手口を学び、さらに必要な機材を入手して犯行に及んだのだ。
萩尾は言った。
「ディンプルキーのピッキングだって、マスターするのはたいへんだったはずだ」
秋穂が言う。
「彼は本気でいたずらをするんです。ウケるためなら、どんな努力もするし、金も使う」
「その情熱と集中力を、別なことに使ったらきっと成功するだろうに……」
「遊びだから集中するんですよ、きっと」
「たしかに」
茂手木が言った。「ハギさんが言うとおり、もったいない才能だな」
萩尾は秋穂に尋ねた。
「そいつの名前は?」
「馬場小次郎です」
萩尾はうなずいた。
「覚えておこう」
(了)