萩尾と武田秋穂が、猪野係長に呼ばれた。

「目黒署まで出張ってくんないか?」

 萩尾は言った。

「連続窃盗犯の件ですか?」

 猪野係長はうなずいた。

「目黒署によると、SNSに予告めいた投稿があるらしい」

 秋穂が興味津々の様子で尋ねた。

「その予告に、目黒署は対処したんですか?」

「それは、向こうで訊いてくれ」

「連続窃盗ということは、予告がありながら、まんまと犯行を許したということですよね」

「それ、目黒署で言うなよ。へそを曲げちまうぞ」

「だいじょうぶですよ。ちゃんとわきまえています」

 猪野係長が萩尾に言った。

「頼むよ、ハギさん」

 秋穂の手綱を引き締めておけということだろう。萩尾は言った。

「武田は、心配いりませんよ」

 

「いつも思うんですけど」

 山手通りの歩道を歩きながら、秋穂が言った。「目黒署って、駅から遠いですよね」

 たしかに、最寄りの中目黒駅から歩いてかなりある。

「バスだとすぐだ」

「でも、ハギさん、歩きますよね」

「警察官は歩いてナンボだよ」

 実際、警察官はよく歩く。地域課の交番勤務でも巡回で歩き回るし、無線があれば、走って駆けつける。

 刑事は「足で稼げ」と言われるくらい、地取りでも鑑取りでもとにかく歩く。警察官の健脚が日本の治安を守っているとも言える。

 秋穂が言う。

「テレビドラマだと、刑事はみんな車に乗ってるのになあ……」

「捜査員全員に捜査車両を与えていたら、警察本部も警察署もたちまちパンクだ。第一、駐車場がない」

 それでも警視庁は地方の警察本部に比べて所有する車両が多いはずだ。愛知県警や広島県警はすごく車が多いという話もある。地元にトヨタやマツダがあるからだが、それは都市伝説だろうと、萩尾は思っている。

 目黒署刑事課盗犯係にやってくると、係長の茂手木が出迎えた。

「ハギさん。わざわざ済まんね」

「三件の連続窃盗事件ということだね?」

「そうなんだ」

 四十六歳の茂手木係長は肩をすくめて言った。「ちょっとばかり、奇妙な事案でさ」

「予告があったんだって?」

「予告と言えるのかどうか……。だって、犯行場所や日時を指定していたわけじゃないんでな……」

 秋穂が言った。

「場所や時間を指定されていて、犯人を取り逃がしたら大チョンボですよね」

 茂手木係長が言う。

「そうしたはっきりした予告ではないが、犯行を示唆する書き込みだったと言う者が署内にもいてね」

 萩尾は尋ねた。

「盗犯係が非難されているわけか?」

「非難というほど露骨じゃないが、そういう陰口が洩れ聞こえてくると言っている係員もいる」

「陰口なんて放っておけよ。どうせ、捜査を知らない連中が、面白半分に言ってることだよ」

「俺も、部下にはそう言ってるんだけどね……。なにせ、SNSの書き込みだから……。係員の中には、炎上したらどうしようなんてビビっているやつもいる」

「SNSの書き込みね。そうらしいな。具体的には、どんな投稿なんだ?」

「まず、第一の犯行では、ギターのピックの画像がアップされていた」

「ギターのピック? 何だそれは……」

「何の説明もなく、その画像が投稿されていたんだ」

 訳がわからず、萩尾は秋穂と顔を見合わせた。

 茂手木係長の説明が続いた。

「その投稿の翌日、マンションで窃盗事件があった。けっこうな高級マンションでな。手口はピッキングだ」

 萩尾は思わず鸚鵡おう む返しに言った。

「ピッキング?」

「あっ」

 秋穂が言う。「ピッキングで、ピック」

 萩尾は言った。

「ギターのピックがピッキングのことを示していたっていうのか? いやあ、それはこじつけじゃないのか?」

「そうですね」

 秋穂が言った。「駄洒落じゃないですか、それ」

 茂手木係長がこたえた。

「これ一件だけなら、そう言えたかもしれない」

 萩尾は尋ねた。

「次の事件は?」

「SNSの書き込みはこうだ。『柱、腕、電波』……」

 萩尾は眉をひそめた。

「何だ、それ……」

 秋穂が確認した。

「今度は、画像じゃなくて、単語だったんですね?」

「そうだ」

 茂手木係長がうなずいた。「そして、その投稿の翌日、商店から高級時計が盗まれた。被害にあったのは、眼鏡と時計を扱っている町の時計屋だ」

「そうか」

 秋穂が言った。「柱時計に腕時計、そして電波時計。投稿は時計を意味していたんですね?」

 萩尾は言った。

「小学生のなぞなぞだな」

 それに対して秋穂が言う。

「今どきの小学生はもっとハイレベルですよ」

 茂手木係長は言った。

「時計屋の出入り口は、格子状のシャッターが降りており、さらに電子ロックで施錠されていた。その両方が破られた」

「確認させてくれ」

 萩尾は言った。「ピッキングでやられたマンションだが、シリンダーキーか?」

「ああ。だが、ディスクシリンダーじゃなくて、ディンプルキーだ」

「ディンプルキーのピッキングは、ギザギザの鍵に比べて桁違いに難しいな」

「だが、不可能じゃない。ピッキングが専門のベテラン窃盗犯ならやれるだろう」

「じゃあ、犯人はピッキング専門の盗っ人ということか?」

「それがさ、第二の事件じゃ電子ロックを解除しているんだ。これって、まったく別の技術だろう?」

「シャッターの鍵は?」

「単純なピンシリンダーキーだ。これは、ピッキングの専門家でなくても開けられるが、電子ロックとなれば、そうはいかない」

 茂手木係長の言う電子ロックというのは、事務所などでよく見かけるものだ。テンキーを打ち込んだり、生体認証で解除する。

 これを解除するには、電子的な技術や知識を必要とする。たしかに茂手木係長が言うとおり、ピッキングとはまったく違った技術だ。

「別の犯人ってことかな……」

 萩尾が言うと、茂手木係長はかぶりを振った。

「だが、SNSの予告を見ると、連続性がある」

「予告というか、謎かけだがな」

「署内でも何と呼んでいいかわからないので、取りあえず『予告』で統一している。マスコミにもそう発表した」

「二件じゃ偶然ということもあり得るが、三件目が起きたわけだな」

「そうだ。SNSにはこう書き込まれていた。『ライオン、豹、馬、雄牛』。何だと思う?」

 萩尾は再び眉をひそめた。

「動物だな……」

「そりゃあ、誰にでもわかる。武田はどうだ?」

「まさか、動物園かペットショップで、動物が盗まれたわけじゃないですよね」

「そのまんまじゃないか。この犯人はもっとひねってるんだよ」

 秋穂が尋ねた。

「じゃあ、何の窃盗だったんです?」

「車が盗まれた。外車だ」

 秋穂が首を傾げる。

「動物が、どうして自動車泥棒の予告になるんです?」

「ああ……」

 萩尾はぴんときた。「エンブレムか」

 秋穂が聞き返す。

「エンブレム? 車のメーカーのマークですか?」

「ハギさん、ご名答だ」

 茂手木係長が言う。「ライオンはプジョー、豹はジャガー、馬はフェラーリ、雄牛はランボルギーニ。それぞれのエンブレムに動物が使われている」

「ジャガーは豹じゃなくてジャガーだろう」

「だが、そう書いたら車のことだってすぐにわかっちまうじゃないか」

「自動車泥棒の手口は?」

「スマートキーの電波を利用したやり方だ」

「リレーアタックか?」

「いや、もっと進化したやつだ。コードグラバーだ」

 盗犯専門の萩尾はもちろん、それを知っていた。萩尾は秋穂に尋ねた。

「おまえさん、リレーアタックやコードグラバーは知ってるか?」

「知ってますよ。スマートキーの微弱電波を、次々と増幅していって車のロックを解除するのがリレーアタック。そして、本物のスマートキーでロック解除するときの信号をキャッチして、キーをコピーしてしまうのがコードグラバー」

「おお」

 茂手木係長が言った。「さすがにハギさんの弟子だけのことはある」

「三課ですからね。当然です」

「しかし……」

 萩尾は言った。「そうなると、ますます同一犯とは思えないな……。コードグラバーとなれば、専用の機器も必要となる」

「そう。もともとは車のスペアキーを作るために使われる機器だが、それを入手したかあるいは作成したわけだな」

「いずれにしろ、専門的な知識が必要だろう。ピッキングの技術とそういう知識が一人の人間に同居しているとは考えにくい」

「だが、SNSの謎かけは一貫している。それに、電子ロックの解除と車のスマートキーのコピーは、技術や知識に近いものがあるんじゃないか?」

 萩尾はしばらく考えてから言った。

「いや、その三つの事案は、どれも半端じゃない専門的な技術と知識が必要だ。つまり、プロの盗っ人だ」

「そうかもしれない」

「プロなら、狙うものは一つだ。他の分野に手を出したりはしない。いや、できないんだ。ある一分野のエキスパートでいるためには、他の分野を学んでいる余裕などない」

「そうだな。防犯の技術も日進月歩だ。プロの盗っ人はそれと戦わなければならない」

「じゃあ、グループの犯行なんじゃないですか?」

 秋穂の言葉に、萩尾と茂手木係長は同時に彼女を見た。秋穂は続けて言った。「ピッキングのプロ、電子ロック解除のプロ、そして自動車泥棒のプロの三人が組んで仕事をしてるのかもしれません。あ、SNSに書き込んでいるのは、計画を立てて全体を指揮するやつかも……」

 茂手木係長が萩尾に尋ねた。

「どう思う?」

 萩尾は聞き返した。

「被害額は?」

「ピッキング強盗が現金約五十万円。時計は四十万円。外車が五百万円ってところかな」

「トータルで約六百万円か。プロが三人も四人も集まってやる仕事じゃないな……。一人当たりの分け前が少なすぎるだろう」

 茂手木係長がうなずく。

「そうだな。被害額に差がありすぎるしな……」

 秋穂が尋ねた。

「被害額の差?」

「ああ。やつらにしてみれば、それがそのまま稼ぎの差ってことだ。それで山分けはあり得ない」

「稼ぎに応じて配分しているのかも……」

「それじゃ、グループを組む意味はない。一人で盗みをやったほうがいい」

「そうだな」

 萩尾は言った。「茂手木係長が言うとおり、現実的なことを考えれば、三人が組んで仕事をする意味はないな」

「そうですかね……」

 秋穂は納得しない様子だ。萩尾はそれが気になった。

「何だ? 何かひっかかることがあるのか?」

「うーん。ひっかかることって言うか……」

 秋穂はしきりに何かを考えている。「どう言ったらいいのかな……。感じるんですよ」

「感じる? 何を?」

「うまく言えないんですけど、偽物くさいというか……」

「偽物くさい? 何が偽物だって言うんだ?」

「手口です」

 すると、茂手木係長が言った。

「偽物も何も……。事実、犯行に及んでいるんだ」

「いや、そうなんですけど……」

 秋穂が何を感じているのか、萩尾は興味があった。彼女の勘はあなどれない。秋穂が言う「偽物」という言葉が気にかかる。

 萩尾は言った。

「SNSの書き込みについてはどう思う?」

「愉快犯っぽいですよね」

「じゃあ、三件の犯行自体が愉快犯ということか?」

「うーん。どうでしょう」

「とにかく」

 萩尾は言った。「現場を見てみよう」

 茂手木係長が言った。

「わかった。案内しよう」

 

 当然ながらバスと徒歩の移動だと、萩尾は思っていたが、茂手木係長は車を出してくれると言う。無線付きの捜査車両だ。

 萩尾は驚いて言った。

「目黒署は恵まれているんだな」

 茂手木が言った。

「ほら、俺、これでもいちおう係長だから……」

 土門ど もんという名の盗犯係の若手が運転手をつとめてくれた。彼の頭の中には、管内の地図が入っている様子だった。ほとんどカーナビを見ないで運転している。

 現場は碑文谷ひ もん や五丁目のマンションだった。五階建てだが、茂手木係長が言っていたように、そこそこ高級そうだ。

「オートロックだな」

 萩尾が言うと、茂手木係長が言った。

「そう」

「犯人にとっては、これが第一関門だ」

「その問題は、あっと言う間にクリアしている。物陰でじっと待っていて、マンションの住人が出てくるときに、入れ違いでするりと侵入した」

「目撃者がいたのか?」

「マンションから出てきた当事者だよ。ドアが閉まる前に入ってきた男がいたので、不審に思ったということだ。時刻から考えて、犯人だと思う」

 秋穂が尋ねた。

「そのマンションの住人は、通報しなかったんですか?」

「人は妙だなと思っても、いちいち通報はしないよ」

「通報していれば、その犯人、捕まったかもしれませんよね。ディンプルキーのピッキングには時間がかかるでしょうから……」

 茂手木係長が言った。

「運がよかったな」

「運に頼るなんて、やっぱりプロとは思えません」

 秋穂はどうやら、プロの仕業という萩尾と茂手木の見方に疑問を抱いているようだ。

「被害にあった部屋を見てみよう」

 萩尾が言うと、茂手木は土門に合図をした。土門が携帯電話を取り出して連絡すると、すぐに管理人らしい年配の人物が現れた。

 不動産と建設業を営む会社のロゴが入った灰色のジャンパーを着ている。聞くと、マンションを管理しているのがその会社で、管理人として派遣されているのだという。定年後のささやかな収入源だと言っていた。

 その管理人がオートロックの玄関ドアを開けてくれて、捜査員たちは中に入った。

 被害にあった部屋に案内された。

 ドアとドアの間隔が広い。ワンフロアの部屋数が少ないのだ。大きな間取りで、やはり高級なマンションだということを物語っている。

 茂手木係長が言った。

「犯行後、被害者はしばらくホテルに泊まると言って留守にしている」

 萩尾はうなずいた。

「気味が悪いんだろうな」

 管理人が言った。

「鍵を開けますか?」

 萩尾はこたえた。

「まず、ドアを拝見します」

 鍵穴を仔細に観察した。それから場所を空けて、秋穂に言った。

「どう思う?」

 入れ替わりで秋穂がしゃがみ込み、鍵穴を調べはじめる。彼女はスマートフォンのカメラを使って、鍵穴を拡大している。

 しばらくすると、彼女は言った。

「鍵穴の周辺に、かなり傷がついていますね。鍵開けに苦戦したようです」

 萩尾は言った。

「だが、結局は成功している」

「こんなに傷をつけるなんて、プロっぽくないですね」

「プロだって、ピッキングの後は、これくらいの傷は残すさ」

「そうですかね……」

 萩尾は管理人に言った。

「部屋の中を見せてもらえますか?」

 

(つづく)