世界190カ国に配信されて、大旋風を巻き起こしたNetflixドラマ『全裸監督』。AV業界の帝王こと村西とおる監督の半生を描いた作品で、AV現場の裏側はもちろん、違法の裏本販売や警察とのゴタゴタ、裏社会とのトラブルなど、コンプライアンスに縛られる現代の地上波では到底放送できない衝撃的な内容であった。
そんな『全裸監督』の原作者・本橋信宏氏は1979年に物書き稼業を始めて40年以上。昭和、平成、令和という移りゆく時代を、ペンひとつで渡り歩いてきた氏は、もともと「週刊大衆」の記者でもあった。
このたび、本橋氏の駆け出しのライター時代を綴った本が出版された。タイトルはズバリ『全裸編集部 青春戦記1980』。のちに「全裸監督」を生み出す作家の、若き日の“体当たり人生”を語ってもらった。
アダルトビデオもまだ普及してない時代だったので、「ビニ本」「裏本」が大ブームに……
──そんな足で稼ぐ取材を続ける中、『全裸監督』こと村西とおる監督と出会うんですね。
本橋:1982年の頃でした。今の若い方は知らないと思いますが、この頃、「ビニ本」や「裏本」と呼ばれるものが大ブームとなっていたんです。要は、無修正のエロ本ですね。歌舞伎町や神田神保町にある本屋などでは、ある時間帯がくると、普段は店頭に置いていない違法の本がダンボール箱から出されて販売されるんです。アダルトビデオもまだ普及していない時代ですからね。世の男性たちはそれを求めて、こぞって買いに来ていたんです。
──まさにアンダーグラウンドの世界ですね。
本橋:はい。中でも「北大神田書店」というグループは、全国にビニ本・裏本の販売網を広げている日本最大のシンジケートで、莫大な利益をあげていたんです。駆け出しのフリーライターだった私は、これはネタになると睨み、取材を開始しました。そして、「北大神田書店」を統括している“会長”と接触することができたんです。その会長こそが、若き日の村西とおる監督だったんです。
──そこから村西監督との付き合いが始まるんですね。今回の著書でも「裏本」撮影現場に潜入した体験談や、AV黎明期の生々しい裏事情なんかも書かれていました。
本橋:村西監督と出会ったことで、私は裏本、そしてアダルトビデオというアンダーグラウンドの世界に飛び込んでいきました。その後も、不定期で「週刊大衆」の仕事は続けていましたが、この世界に飛び込んだきっかけとなった「週刊大衆」メインでライターをやっていた時期は、2~3年くらいですかね。ただ、濃い時間を過ごしたせいか、自分の感覚的にはもっと長くやっていた感じです。また、ずっと童貞で異性と話すことも苦手だった私が、女性がらみの取材をたくさんさせてもらったことで、男としてひと皮もふた皮も剥けることができたと思います。本当に刺激的な人ばかりで、裸一貫で体当たり取材をする、まさに“全裸編集部”でしたね(笑)。
──最後に本橋さんから見て、今の「週刊大衆」編集部に伝えたいことはありますか?
本橋:いつまでも“不良の匂いのする週刊誌”であってほしいです。私は「週刊大衆」を偉大なる二流、だとも思っています。編集者たちも大手の出版社を受けたものの落とされて、「週刊大衆」に入ったという方が多かったんですね。第一志望で順風満帆、トントン拍子という人はいないんですよ。いわば一度負けた人たちです。だけど、負けた人というのは、人の痛みがわかるから優しいし、そして、“次は勝ってやる!”という負け犬の勝利の法則も持っているんです。今は紙媒体が厳しい時代ですが、だからこそ、負けても次は勝つ、という不良の精神で奮闘してほしいですね。