世界190カ国に配信されて、大旋風を巻き起こしたNetflixドラマ『全裸監督』。AV業界の帝王こと村西とおる監督の半生を描いた作品で、AV現場の裏側はもちろん、違法の裏本販売や警察とのゴタゴタ、裏社会とのトラブルなど、コンプライアンスに縛られる現代の地上波では到底放送できない衝撃的な内容であった。

 そんな『全裸監督』の原作者・本橋信宏氏は1979年に物書き稼業を始めて40年以上。昭和、平成、令和という移りゆく時代を、ペンひとつで渡り歩いてきた氏は、もともと「週刊大衆」の記者でもあった。

 このたび、本橋氏の駆け出しのライター時代を綴った本が出版された。タイトルはズバリ『全裸編集部 青春戦記1980』。のちに「全裸監督」を生み出す作家の、若き日の“体当たり人生”を語ってもらった。

 

パソコンもネットも普及していない時代だから、手作業のアンケートが今よりも重宝されていた

 

──物書きを始められる前は、イベント制作会社で働いていらしたんですね。

 

 本橋信宏(以下=本橋):昔から物書きになりたいという夢はあったのですが、大学卒業後、まずは違う分野を見ておくのもいいだろうと思い、就活をしたんです。テレビやラジオ、広告代理店、芸能プロダクションなんかも受けましたね。ただ、どこにも採用されなくて。大学のOB二人が作ったイベント制作会社に転がり込ませてもらったんです。

 

──そのイベント会社で手がけた仕事の一つに、街中の女子大生やOLたちのアンケート取材があったんですよね。

 

本橋:まだパソコンもネットも普及していない時代だから、手作業のアンケートが今よりも重宝されました。アンケートの内容は「今年の夏、光った女性は誰ですか?」というもので、集計結果を紙媒体にも紹介してもらおうと思ったんです。その流れで「週刊大衆」にも持ち込ませてもらいました。以前から物書きに憧れていた私は、本物の編集者やライターさんと会って、とても感動しましたね。喫茶店でお会いしたのですが、編集者の方がくわえ煙草をしながら、私の持ってきたアンケートをパラパラと読む姿もかっこよくてね(笑)。そのときはアンケートを渡すだけで終わったのですが、半年後に「女子大生の特集をやりたいから、協力してくれないか」と声をかけてもらったんです。私のライター人生はそこから始まりました。

 

──とはいえ、「週刊大衆」といえば、女・酒・ギャンブルを主に扱う男の欲望まみれの週刊誌。著書にも書かれていましたが、本橋さんは当時、まだ童貞だったと。

 

本橋:はい(笑)。女性と付き合ったことはあったんですが、いざとなると緊張して、ダメだったんですね。そんな私が、「週刊大衆」のライターになってすぐに任された仕事が、ソープランドの体験取材。当時はトルコ(※注)と呼ばれていましたね。本書でしっかり説明しているのでここでは端折りますが(笑)、つまり、私の“初体験”は、取材の一環でした。

 

──さらに時代はバブル期で、女子大生&OLブーム。本橋さんは街中で若い女性たちに声をかけて、初体験や不倫の話を聞くというインタビュー取材も任されていたんですね。

 

本橋:いやあ、毎日が刺激的でしたね。なんせ、ついこの前まで童貞だった私ですから、ナンパはおろか、異性と会話をすること自体、かなりハードルが高かった。ただ、仕事となれば恥ずかしいなどと言っていられないし、締切りもありますからね。それに面白いもので、“取材”という名目があると、シャイな私でも人が変わったようにしゃべれることに気づいたんです。ふだん、無口な役者さんもカメラの前に立てば、突然別人になるように。

 

著書を前にインタビューに応じる本橋氏

 

インタビューに答えている素人の女性たちも、実名で顔出し……。令和時代では考えられない昭和時代の当たり前!

 

──驚くべきは、当時の「週刊大衆」はインタビューに答えている素人の女性たちも、実名で顔出し。許可を取るのも、かなり難しかったと思われますが。

 

本橋:今では考えられない話ですよね。素人の女子大生の実名ヌードグラビアなんかも掲載していました。私が取材した、都心のお嬢様大学に通う女子大生が無期停学になりかけたことも。彼女のインタビュー記事は彼氏の有無や好きな男性のタイプを聞いている程度だったのですが、同じページに、女暴走族の女性二人を取材した記事もあったんです。そっちはまあ、「中学2年生で処女喪失した」とか、「30人以上とヤッた」とか書いてあったから、そんなハレンチな雑誌に、我が校の生徒も載ることが大学の品位を貶めるとかで(笑)。私はとにかく頭を丸めて、彼女の無期停学を解いてもらおうと学長に謝罪へ行こうとしました。ただ、その後、誤解が解けて、彼女の停学も解除。私もなんとか丸坊主にならずに済みました。

 

──実名報道しかり、週刊誌がイケイケだった時代ですよね。校内暴力で荒れる中学校の卒業式に保護者の振りをしてもぐり込んだ挙げ句、十数名の不良に囲まれてボコられそうになったり、有名人も参加していると噂の乱交パーティに潜入したり、当時、“ナンパ島”といわれた伊豆七島の新島に突撃ルポしたり、あまりにも過激な内容なので、ここでは詳細を控えさせてもらいますが……(笑)。

 

本橋:まさに昭和の週刊誌スタイルですよね。「週刊大衆」の編集者やライターもヤンチャでハチャメチャな人ばかりで、みんな、ありとあらゆる場所に突撃していました。私も「ライターは、1日に3人以上は初めて会う人と名刺交換をしろ」と言われていましたね。とにかくいろんな人に声をかけて、コミュニケーションを取って、ネタを掴んでこい、と。

 

※注)1980年代まで、個室付特殊浴場の名称として使われた。トルコ人留学生からの指摘を受け「ソープランド」と改称。現在では不適切な呼称とされる。

(後編)へつづく