心あたたまる成長物語や、軽妙なエッセイ、ひたむきに生きる若者の姿を描いた青春小説など、数々のヒット作を生み出してきた三浦しをん。だが、本作はこれまでとは一味違った“しをん節”が光る青春小説だ。
舞台は、海と山に囲まれた温泉街。かつては旅行客で賑わっていたが今はその影もなく、のどかで寂れた町に暮らす男子高校生の怜は、複雑な家庭の事情や、迫りくる進路選択など、悩み多き日々を送っている。そんななか、地元の博物館から縄文式土器が盗まれたとのニュースが飛び込み……。
どこか「ぬるま湯」のような居心地のよさもある小さな町。そこで暮らすちょっとオバカな高校生たちは、夢や目標もなく、一見何も考えていないように見えて、実は未来に対する漠然とした不安を抱え、それぞれに悩みがある。そして、大人たちにもそれぞれ事情がある。
閉鎖的だけれど愛すべきこの町で、日々泣き笑い、時にバカ話なんかもしながら確実に変化していく少年たちを見守る青春小説『エレジーは流れない』が、この度ついに文庫化された。
「小説推理」2021年6月号に掲載された書評家・大矢博子さんのレビューで、本作の読みどころをご紹介する。
■『エレジーは流れない』三浦しをん /大矢博子[評]
進路の悩み、家庭の事情、悪友たちとのバカ騒ぎ。のどかな温泉街で、少年は自分を知り、他人を知り、大人になっていく。三浦しをん絶品の青春小説。
エレジーとは「哀歌」という意味である。
今なら菅田将暉の曲を連想する人が多いだろうが、温泉街となれば思い浮かぶのは戦後歌謡の「湯の町エレジー」だろう。温泉街に初恋の人の面影を求めながらギターを弾く「流し」の哀切たる心情を歌ったヒット曲だ。
だが、本書のタイトルをよく見ると、エレジーは「流れない」のである。温泉街なのに『エレジーは流れない』? 流れてナンボではないのか。どういうことだ?
と疑問に思いながらページをめくった。
舞台は海と山に囲まれた餅湯温泉。一大リゾート地だったのは過去の話で、今はやや寂れがちの、けれどそのぶんのどかな温泉街だ。そんな街の商店街の、お土産屋の1人息子で高校2年生の怜が物語の主人公である。
母親とふたり暮らしの怜の、賑やかにして平凡な朝の様子で物語は幕を開ける。学校でつるんでいるのは、真面目な美術部員のマルちゃん、彼女とのイチャイチャに余念のない脳筋男・竜人、自然児・心平、旅館の跡取りの藤島。屋上で弁当を食べ、修学旅行ではしゃぎ、町の博物館で起きた縄文土器盗難事件のニュースで盛り上がる。
普通だ。極めて普通の、ちょっとおバカな男子高校生たちの日常だ。でもこういう日常のわちゃわちゃを描かせると三浦しをんはめちゃくちゃ上手いんだよなあ──とほのぼのしながら読んでいると、背負い投げを食らう。突然、怜の複雑な家庭環境が読者に明かされるのである。
ふたつの家を定期的に行き来する怜。その中で彼は、これまで蓋をしてきた問題に直面する。進路のこと。本当の親のこと。そしてそのどちらも、心配が解消された後で、自分がそれを心配していたことに気づくのだ。
気づく、というのがポイント。自分が心の底では何を望んでいたのか、それをなぜ見ないふりをしていたのか、それに気づくことで怜は少しずつ成長していくのである。
同時に、おバカな仲間たちにも悩みがあり、大人たちにも事情があることが徐々に明かされる。怜だけでなくみんながそれぞれの思いを抱えながら、人を助け、人に助けられ、笑いながら毎日を生きている。そう気づいたとき、この寂れたのどかな温泉街がとてつもない楽園に思えた。
だからエレジーは流れない、のだ。哀しみに浸ろうが浸るまいが明日はやってくる。だったら笑って生きた方がずっといい。その力が、その知恵が、私たちにはあるのだとこの物語は謳っているのである。