数多くの人気時代小説シリーズを手掛ける稲葉稔の最新作は、放蕩三昧の大店の息子が、馴染みの太鼓持ちと訳ありの武士と共に諸国を巡る、人情味あふれる道中記。三人の愉快な掛け合いに笑い、思いがけず巻き込まれる事件に手に汗握り、なにより旅先での人々との出会いには心打たれることうけあいだ。

 書評家・細谷正充のレビューで『へっぽこ膝栗毛(一)』の読みどころをご紹介します。

 

へっぽこ膝栗毛 一

 

■『へっぽこ膝栗毛(一)』稲葉稔 /細谷正充[評]

 

札差の放蕩息子が、太鼓持ちと用心棒と共に旅立った。騒動だらけの珍道中。三人の旅から、目を離せないのだ。

 

 双葉文庫+稲葉稔。この組み合わせを見れば、「百万石の伊達男」「浪人奉行」「本所見回り同心控」など、数々の文庫書き下ろし時代小説のシリーズを思い出すことだろう。その作者が、新たなシリーズを開始した。『へっぽこ膝栗毛』というタイトルを見れば分かるが、ユーモア色の強い道中記ものだ。

 御蔵前の札差「小泉屋」の跡取りの新兵衛は、放蕩三昧の日々を過ごしていた。そんな彼に、両親が縁談を持ってくる。相手は、浅草東仲町にある茶問屋「山城屋」の娘で、浅草小町と呼ばれるお菊だ。ところが、新兵衛に金魚の糞のように付き従う太鼓持ちの和助と一緒に、彼女の顔を見にいったものの、ちょっとした勘違いで、へちゃむくれの女中をお菊だと思い込んでしまう。さらに縁談を断るなら、次男の新次郎に家を継がせると、父親の新右衛門に言われてしまった。なんとか父親を言いくるめ、世間を広くするための旅に出ることにした新兵衛。もっともお供が和助だけでは心もとない。和助の見つけてきた浪人の稲妻五郎(本名は平助)を用心棒として雇う。無外流の免許持ちだという五郎だが、腕前のほどは分からない。かくして、へっぽこな三人が、とりあえず箱根を目指して旅出つのだった。

 読み始めてしばらくは、主人公の新兵衛に感情移入できない。ろくでなしの放蕩息子にしか見えないからだ。だが、母親のおようが、若い髪結いと密通していることをネタに、旅費をせしめた場面で、ちょっと印象が変わる。意外と目端が利く男だ。さらに戸塚宿の旅籠で、陣痛に苦しむ女を助け、不毛な関係にあった男女を諭す。といっても正義感を振り回すわけではない。目の前の現実を踏まえ、自分の出来る範囲で、手を差し伸べるのである。最初の印象がマイナスだっただけに、どんどん主人公の好感度が上がっていく。巧みな作劇だ。

 そして箱根についた新兵衛たちは、物の怪が出るという塔ノ沢に向かう。奇怪な首吊り人形、物の怪の噂、物盗りの跳梁と、状況は錯綜している。ほとんど何も分からず、塔ノ沢を去ろうとしたが、五郎が仲良くなった老夫婦の金が盗まれた。これにより三人の旅は、予想外の方向に捻じれていく。

 塔ノ沢に行ってから一気にミステリーのテイストが強まる。ここが本書の、大きな読みどころだろう。一方で、悲劇に見舞われた老夫婦のために奔走する新兵衛たちの姿が、弾むような筆致で描かれている。新兵衛・和助・稲妻五郎、みんな気持ちのいい男たちなのだ。だから本書は、温かくて痛快な物語になっているのである。

 また、「小泉屋」の面々や、「山形屋」のお菊といった、江戸にいる人々も、なんらかの形で、今後の物語にかかわってきそうだ。幕府の政策の影響や、五郎が本当に強いのかどうかという疑問も、読者の興味を掻き立てる。これからの三人の“膝栗毛”が、楽しみでならないのだ。