第1回

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 やっと四階に着いた。

 それにしても息が切れる。姑の多喜たきが七十代後半になってもなお、エレベーターのない団地に住み続けていたことを考えると、そのバイタリティには頭が下がる。とはいえ、その有り余るエネルギーのせいで、嫁の自分は長年に亘り迷惑を被ってきたのだが……。

 それにしても、遺品整理は何日くらいかかるものなのだろうか。

 姑と聞けば、真っ先に「安物買いの銭失い」という言葉を思い浮かべる。となれば、ゴミは相当な量になるかもしれない。

 あっ、もしかしてゴミを出しに行くたびに、この階段を上り下りしなければならないとか?

 ……当たり前じゃないの。エレベーターがないんだから。

 次の瞬間、恐怖心に似たような不安でいっぱいになった。五十歳を過ぎたあたりから、望登子もとこは体力の衰えを感じることが多くなっている。

 姑の葬儀は先週終えたばかりだ。あんなに元気だった人が脳梗塞であっけなく逝ってしまうなんて考えてもいなかった。夫は一人っ子だし、相変わらず残業が多いので、自分一人で片づけに通わなければならない。郊外の3DKで、更に駅からバスという不便な場所なのに、家賃は月八万円もする。それを思うと、のんびりしてはいられない。一日も早く片づけて退去しないと、誰も住んでいない部屋に家賃を払い続けることになる。

 十数年前、しゆうとが亡くなったのをきっかけに姑は二階建ての一軒家を売り、同じK市内にあるこの団地に引っ越してきた。それまで住んでいた戸建ては、大きな掃き出し窓のある部屋が一階に二つもあるから、女の年寄りが独りで住むには物騒だというのが理由だった。引っ越し先を息子夫婦の近くではなくK市内にしたのは、近所にたくさん知り合いがいて、この町を離れたくないからだと聞いていた。

 戸建てに住んでいた頃は、子供を連れて遊びに来いと毎月のように呼びつけられたものだ。だが、この団地に引っ越してからは、もう子供が大きくなっていたこともあり、それほど頻繁には呼び出されなくなった。だから望登子は、この団地のことや周辺にはあまり詳しくなかった。

 ドアの前に立ち、「堀内康夫」と舅の名が書かれた表札を見上げた。舅は十数年前に亡くなっているから、この団地に住んだことはないのだが、表札は男性名の方が防犯上いいのだと姑から聞かされたことがある。

 望登子はバッグから合鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。

 一瞬、心がシンとなる。

 姑が不在のときに、部屋の中に入るのは初めてだった。

 重い鉄の扉を手前に引く。

 生ゴミの強烈な臭いを覚悟していたが、意外にも何の臭いもしなかった。冬だからだろうか、それとも食材はすべて冷蔵庫に入っているのか。

 足を一歩踏み入れたとき、思わず動きを止めた。部屋の奥の方で足音が聞こえた気がした。

 息を殺して耳を澄ませる。

 するすると窓を開ける音? それとも閉める音?

 誰か、いるの?

 まさか……。

 そういえば、いつだったか、上下階や隣室の音がよく聞こえると姑が言っていたことがあった。なにしろこの団地は築四十年以上だから無理もない。

 狭い沓脱ぎを見下ろすと、ウォーキングシューズが行儀よく二足並べられていた。白地に紫色の花柄のものと、もう一方はゴールドだ。花柄や派手な色が好きな人だった。

 姑は戦後、青森の女学校を出てから行儀見習いとして上京したと聞いている。当時は花嫁修業として、都市部の上流家庭で住み込みで働きながら礼儀作法や家事を仕込んでもらう風潮が日本全国にあったらしい。姑は文京区だか荒川区だかの教育長の家にしばらく世話になり、そこの奥様の紹介で、同じ青森から出てきて鉄鋼メーカーで働いていた舅と結婚した。つまり姑は故郷には帰らず、かれこれ六十年以上も東京で暮らしてきたことになる。だが、この花柄の靴を見ればわかるように、洗練された都会的感覚はついぞ身に着かなかったようだ。

 そんな姑に比べて、十五年前に亡くなった実家の母はセンスのいい女性だった。生涯を北陸で過ごした母は、常に時と場合をわきまえていて、地味めではあったが、普段から上質で品のいい物を身にまとっていた。花柄の靴なんて間違っても選ばなかった。

 望登子は、姑の派手な靴を横目で見ながら黒革のブーツを脱いできちんと揃え、廊下にそうっと足を忍ばせた。泥棒でもあるまいし、こそこそする必要はないのだけれど、天井付近に姑の霊が漂っているような気がしてならない。

 不在のときに住み処を見られるのは誰だって嫌に決まっている。親しい茶飲み友だちが来たときだって、せいぜい部屋の中をさっと見渡す程度だろう。それなのに、もとは他人だった嫁の自分が、引き出しの中もタンスの中も押入れの中も全部見ようとしている。そして、要る要らないの判断を勝手に下し、使えそうな物は持ち帰り、不要と思われる物は容赦なく捨てる。

 ――勝手に捨てないでちょうだいっ。

 もしも姑が生きていたなら、金切り声を上げて怒るだろう。

 短い廊下を数歩行くとキッチンがあり、床に段ボール箱がぽつんとひとつ置かれていた。覗いてみると、レトルト食品や紙パックのリンゴジュースなどがぎっしり詰まっている。何事にも手早かった姑も、さすがに寄る年波には勝てなくなったのだろう。食事作りが面倒になってきていたのかもしれない。

 流しには湯呑がひとつと急須が置かれている。急須の蓋を開けてみると、茶殻が干からびていた。

 冷蔵庫のドアに手をかける。

「すみません、開けますよ」

 知らない間に口の中で小さくつぶやいていた。

 死後の世界など露ほども信じていないのに、今日に限って姑に見られている気がして仕方がない。

 恐る恐る冷蔵庫を開けてみると、庫内が薄暗くなるほど食品がぎっしり詰め込まれていた。玄関からここまで、それほど埃が溜まっていなかったから、冷蔵庫の中もすっきりしているだろうと思ったら大間違いだった。

 瓶詰めがたくさんある。マーマレードにイチゴジャム、ブルーベリージャム、ピーナツバターに黒ゴマペースト。「夏みかん」と手書きのシールが貼ってあるジャムは手作りだろうか。奥の方には鮭フレークも見える。佃煮の小瓶も色々だ。椎茸入りの海苔、小女子こうなご雲丹うに、鯛味噌、刻み生姜煮……全部で三十個はありそうだ。どれもこれも食べかけで、少ししか減っていない。どんな味か試してみたが、気に入らなかったということだろうか。

 それに比べて、母にはこだわりというものがあった。ジャムならイングランド屋のイチゴジャムとマーマレードの二種類だけで、佃煮なら地元の老舗の海苔とちりめん山椒と決まっていた。そのことは、望登子が物心ついたときから母が亡くなるまでずっと変わらなかった。姑とは違い、母は食い意地とは無縁の人で、ほっそりとしていて食も細かった。太っていた姑は、「おばさん」とか「おばあさん」という呼び名がぴったりだが、実家の母は「婦人」という名に相応しい女性だった。

 冷凍室を開けてみると、肉や魚が入っていて霜がついていた。餃子やチャーハンの冷凍食品もある。最下段の野菜室には、茶色くなったレタスや萎れたほうれん草があった。早く処分しなければドロドロになってしまう。そう思って手を伸ばしかけて、ふと動きを止めた。

 ――焦りは禁物よ。

 友人の冬美ふゆみにそうアドバイスされたのだった。

 ――あのね、最初にどの部屋もざっと見るの。それからきちんと計画を立てた方がいいわ。闇雲に手をつけ始めると、私みたいに身体を壊すわよ。遺品整理っていうのはね、想像しているのよりずっと重労働なんだからね。

 冬美の母は長い間一人暮らしをしていたが、骨折して以来、車椅子が手放せなくなり、実家近くの施設に入居した。空き家になった家を片付けるために帰省したのだが、片付け終わる前に疲労で寝込んでしまったのだった。それというのも、飛行機とバスを乗り継いで実家に着いてすぐに片づけ作業に入り、休憩を取ることさえ忘れ、気づけば夜中という毎日だったらしい。泊まりがけで根を詰めたせいで、一週間後にはくたびれ果てて熱を出し、結局は自力で片づけるのを諦めて、片づけ業者を呼んだという。既に半分近く処分済みだったのに、それでもなお七十万円も支払ったと聞いた。

 自分はそんなには払えない。マンションのローンだってまだ残ってるし、子供を二人とも高校から私立に行かせたから預金は少ない。そのうえ娘は大学院まで進み、去年やっと就職したばかりだ。

 同い年の夫は四年後には定年を迎える。夫は会社勤めから解放されるのを心待ちにしているようだが、六十歳以降も働いてもらわなければ、とてもじゃないが暮らしていけそうにない。

 自分ももっと節約しなければと思う。だがその一方で、最近テレビや雑誌などでよく見聞きする「元気年齢」なるものが、五十代半ばの自分にはあと何年くらい残っているのだろうと考えると、明日からでもあちこち旅行してみたくてたまらなくなる。それは衝動的といってもいいほどの、身体の奥底から突き上げるような思いだった。

 冬美も自分と同じ気持ちらしく、お茶するたびに旅行をする話で盛り上がる。だが、互いに実行に移せないでいた。子育てが終わって自分の時間を取り戻せると思っていたのに、親の介護や孫の世話を頼まれるなど、次々に用事が舞い込む。そのうえ夫が定年した後の暮らしを考えると、パートの時間を増やさざるを得ない経済状態だ。

 冬美とは、息子を通じて知り合った、いわゆるママ友だ。さっぱりした嫌味のない性格だからか、付かず離れずのつき合いが三十年も続いている。彼女とは共通点がたくさんある。同い年だし、大学進学のために地方から上京し、卒業後も東京で就職して結婚した。自分は北陸で生まれ育ち、冬美は山陰だから、日本海側特有の湿度の高さや雪深さに郷愁を覚えるのも同じだし、食べて育った魚の種類も似ているから味覚も合う。二人とも大学の同級生と結婚し、中堅企業に勤める夫の、決して多くはない給料でやりくりし、末子が小学校に上がると同時にパートに出たのも同じだ。そして実家がともに地方の名家であり、裕福な家で育った点まで似ている。

 気づけば、腰に手を当てて背中を伸ばしていた。

 まだ何もしていないうちから疲れを感じている。こんなことでは先が思いやられる。きっと朝から緊張していたせいだ。通勤時間帯の混んだ電車に乗るのも久しぶりだったし、亡き人の家に勝手に入ることに、畏れみたいなものも感じていたからだろうか。

 自分たち夫婦の住むマンションから、この郊外の団地までは片道一時間半もかかる。両方とも都内とは言うものの、千葉県に近い東側に住む自分からすると、都心を横断しなければならない西側の郊外団地は遠すぎる。

 だが不平不満を並べていても仕方がない。なんとかして片づけなければならない。

 気を取り直し、持参したペットボトルの水をゴクリと飲んだ。

 冬美の言った通り、最初に全部の部屋をざっと見た方がいいだろう。

 3DKの間取りは三室とも和室だ。六畳が二間と四畳半が一間。三畳のキッチンの床は懐かしのリノリウムだ。

 台所と居間を隔てるふすまをそっと開けてみた。雑然としているが、散らかってはいなかった。姑の年齢や体力を考えたら立派な方だろう。

 あれ?

 空気が温まっているように感じるのは気のせいだろうか。

 まるで、さっきまで暖房が入っていたみたいに感じる。

 ベランダを見ると、物干し竿にかけられた雑巾が風に揺れていた。姑が倒れてから三週間、分厚いカーテンは開けっ放しだったらしい。レースのカーテン越しに、眩しいほどの光が差し込んでいる。ベランダが南に面していると、冬でもこれほど温かいものなのか。

 壁際にはオーディオラックがあり、その横にテレビと仏壇、大きな本棚、部屋の真ん中には炬燵こたつが置かれていて、座椅子や座布団の横には雑誌や新聞が山と積まれ、処方薬の袋などもたくさんある。

 本棚にはぎっしり本が詰まっていた。最下段には角が丸くなった箱入りの広辞苑や二十巻もある百科事典、植物図鑑など古色蒼然とした本が並んでいる。こういうのは、きっと古書店でも引き取ってはくれないだろう。見るからに重そうだが、これらもゴミ置き場まで運ばなければならないのか。本格的な腰痛になる前に腰痛ベルトをつけておいた方がいいかもしれない。何年か前、ぎっくり腰になったときに整形外科でもらったのが家のタンスにしまってあるはずだ。

 壁際にあるCDラックを見ようと、部屋を横切ろうとしたときだった。

 炬燵布団に足を引っかけて転びそうになり、咄嗟に炬燵板の上に手をついた。

 えっ、温かい?

 これも太陽の恵みなの?

 直射日光を浴びているわけでもないのに、炬燵板がここまで温まるものだろうか。

 まさかと思いながらも、炬燵布団をかき上げて中に手を突っ込んでみた。

  えっ?

  はっきりと温かかった。

 これは太陽の熱なんかじゃない。誰かがさっきまでここにいたのではないか。

 いきなり背筋がゾッとした。怖くなってきた。

 まさか、そんなこと……。

 あ、なるほど。

 きっと、この三週間というもの、ずっとスイッチを入れっぱなしだったに違いない。姑はスーパーの帰りに昏倒して救急車で運ばれ、そのまま入院した。それ以来ここには帰ってきていない。あの日、うっかり炬燵のスイッチを切らずにスーパーに行ったのだろう。その後も、姑が入院している間に夫が会社帰りにここに何度か立ち寄り、健康保険証やら年金手帳やら銀行のキャッシュカードなどを探して持ち出したことがあった。そのときの夫は、炬燵のことまで気が回らなかったのだろう。

 スイッチを切ろうとして、床に散らばった雑誌を片づけながら、赤白チェックのコードを目で辿ったときだった。

 えっ?

 両腕に鳥肌が立った。

 コードの差し込み口はコンセントから抜かれ、畳の上に置かれていたのだ。

 どういうこと?

 やっぱり、さっきまでここに誰かいたの?

 玄関ドアを開けたとき、奥の方から足音や窓を開け閉めするような音が聞こえたが、あれは上下階や両隣の音ではなくて、この部屋の音だったの?

 思わず息を殺した。

 今まさに、泥棒が侵入しているとか?

 次の瞬間、望登子は咄嗟にバッグを引っ掴むと、台所を突っ切って玄関まで走った。そして大きくドアを開けてストッパーで止めた。

 そのときだった。

「あんた、変だよっ」

 隣家から女性の大声が聞こえてきた。

 その大声で気がついた。この団地の敷地内に一歩足を踏み入れてからというもの、話し声ひとつ聞こえなかったことに。

 ここに来るのに、駅からバスに五分ほど乗った。その間も、道路は貸し切りかと思うほど空いていたし、団地の入り口からこの棟まで辿り着くのに、集会所やいくつもの棟の脇を通ったが、誰ともすれ違わなかった。まるで誰も住んでいないのかと思うほど閑散としていた。

 つまり、空き巣が狙うには絶好の場所ではないか。

 見ると、隣の玄関ドアが細く開いていた。沓脱ぎの所に、背が高くて痩せた女性の後ろ姿が見える。

 隣家は生活保護を受けているシングルマザーが住んでいると姑から聞いたことがあった。無職で心療内科に通っていて、一人娘は去年の春に高校を卒業して親元を離れたらしい。

「あんたね、言うことだけは立派だけどさ、やることが伴ってないじゃないのよっ」

 叱咤しているのは市の女性職員だろうか。生活保護費に甘えず、自立しろと指導しているのか。

 それにしたって、あんな大きな声を出されたら近所中に聞こえてしまう。シングルマザーは、いたたまれない気持ちになるのではないか。いくらなんでも近所への配慮があってしかるべきだ。

「とにかくさ、寒いから部屋に入れてよ。それとも男でもいるわけ?」

 痩せた背中がそう言ったので驚いた。どうやら市の職員ではなさそうだ。

「今は……誰もいないけど」と、か細い声が聞こえてきた。

 今はいないということは、男が来る日もあるということか。

 心療内科に通っていて生活保護を受けている身なのに、男を連れ込むような浮かれた気分なのか。さっきまでの同情が一瞬にして反感に変わった。

 いや、そんなことどうだっていい。部屋の中に不審者がいるかもしれないのだ。誰でもいいから顔見知りになっておきたかった。一人でいるのが怖い。

「あのう……すみません」

 望登子は思いきって声をかけた。

 痩せた女がこちらを振り返ったが、ギロリと睨むだけで何も言わない。なんて感じが悪いんだろう。それに、表情にどこか粗野なところがある。

 そのとき、ふくよかな女性が痩せた女の横から顔を出し、ドアを大きく開いて出てきた。三十代後半くらいだろうか。濃いピンクのブークレ素材のロングカーディガンを羽織っている。愛くるしい顔立ちだからか、デブといった感じはなく、ふわふわした少女のような可愛らしさの片鱗が残っていた。足もとを見ると素足で、ネグリジェだかワンピースだか知らないが、これもまたピンクで、裾にヒラヒラがついている。ミニ丈だから大根のような白い太腿が丸見えで、思わず目を逸らした。男が来ることもあるというのがすんなり納得できてしまうような、あられもない姿だった。

 ドアが大きく開いているので部屋の中が丸見えだった。真正面に食器棚が見える。大きくて立派なものだ。食器がびっしりと詰まっている。自分が思い描いていた、生活保護を受けている人のイメージとは違う。

「こんにちは。何か?」と、そのピンクの女性が尋ねた。

「私は、堀内ほりうち多喜の長男の嫁で望登子といいます」

「やっぱりそうでしたか。初めまして。私、中田なかた沙奈江さなえです」

 沙奈江は、人懐こい笑顔を見せた。

「早く部屋の中に入れてってば」

 痩せた女は、こちらの会話を無視するように、なおも言い募っている。

「うん、いいけど、でもフミさん……」

 沙奈江は気弱そうな顔をして、必死に愛想笑いを浮かべようとしている。

 他人につけ入る隙を与えやすいタイプかもしれない。フミという女は舐め切った態度で沙奈江を睨んでいる。そのうえ沙奈江には薄幸の匂いがつきまとっているような雰囲気があり、他人事ながら心配になった。

「変なことを聞くようですけど、この辺りで空き巣に入られたという噂はありますか?」と望登子は尋ねてみた。

「いいえ、特に聞かないですけど」

「そうですか。炬燵の中が温まっているような気がしたものですから」

 そう言うと、沙奈江はふんわりとした笑顔を見せた。「泥棒が炬燵でのんびり身体を温めるってことはないと思いますよ」

「それは……そうでしょうけど」

「南側の部屋はとっても暖かいんです。うちも暖房要らずで助かってます。それに四階だと、さすがの泥棒もベランダ側から登ってくるのは難しいと思いますよ」と言いながら、泥棒が登る姿を想像でもしているのか、噴き出しそうになるのをこらえているような笑いを漏らす。

「そうですよね。ここ四階ですもんね」

 ベランダに面したサッシ窓の鍵が一ヶ所壊れているのは姑から聞いていた。もう何年も前からだが、防犯上問題はないと言っていたことがある。配管が建物の外付けではなく内蔵されているから、空き巣が配管を伝って上ってくることはできない。そのうえ、前の棟から丸見えだし、夜は外灯がベランダを煌々と照らし出しているというのが理由だった。

 やはり考えすぎだったか。周りが静かすぎて物音に敏感になっていただけかもしれない。そのうえ、勝手に姑の家に上り込むことに罪悪感があるから、神経質になっていたのだろう。

 もっとしっかりしなければ。

 そのとき、フミが突然「あ」と言って手を一回打ち鳴らした。「沙奈江、ついでにアレ、返しちゃいなよ」

「そうか、そうだったね」と沙奈江がこちらをチラリと上目遣いで見る。「多喜さんからお預かりしてたものがあるんです。ちょっとここで待っててくださいね」

 沙奈江はいったん自分の部屋へ引っ込むと、茶色い毛皮のような物を胸に抱えて戻ってきた。

 長い耳と、毛で埋もれた中につぶらな瞳があった。

「これなんですけど」

 ぬいぐるみかと思ったら、鼻をヒクヒク動かしている。

 生きているウサギだった。

「すごく重いんですよ。抱っこしてみます?」と言いながら近づいてくる。

 近くで見ると、びっくりするほど大きかった。

「預かってから太ったんじゃないですよ。もともと太ってたんです。本当ですよ」

 沙奈江が言い訳がましく言う。

「このウサちゃん、今ここでお返しするのは無理ですか?」と沙奈江が遠慮がちに言うと、「なに言ってんの、さっさと渡しちゃいなよ」とフミが言う。

 姑がウサギを飼っていたなど聞いたこともなかった。自分も夫も時々は顔を出すようにしていたが、ウサギなどかつて一度も見たことがない。

「返しちゃいなってば。沙奈江は病気なんだから、自分のことで精一杯じゃん」

 心療内科に通っている人間には、ウサギを飼うことが慰めや生きがいになるのではないか。それとも逆に負担になるのだろうか。

 気づけば、望登子は呆然とウサギを見つめていた。

 どうしてもウサギに手を伸ばせないまま戸惑っていると、「お家の片づけが済むまで私が面倒みましょうか?」と沙奈江が尋ねてきた。その隣で、フミがこれ見よがしに大きな舌打ちをする。

「それは……ありがとうございます。よろしくお願いします」

 頭を下げてはみたものの、内心では釈然としなかった。

(第2回につづく)