1998年1月に刊行された海外個人旅行のバイブル『バックパッカーズ読本』。その第7作目となる全面改訂版が1月に刊行された。四半世紀余を経て、旅をとりまく状況が大きく変化しているなかで、海外個人旅行の基本から最新情報までを詰め込んだ伝説のバイブルが待望の完全復活となる。第1作目からメインライターを務め、今回も編集とメインの執筆を担った室橋裕和氏に、バックパッカー旅の魅力や本書に込めた思いなどについて、お話を伺った。

 

旅をしたい、行ったことのない場所に行きたい、知らないものを知りたいというマインドは不変

 

──究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』の全面改定版が刊行されました。1998年に刊行された第1作目(初版)から四半世紀余りの時を経ています。どうしてまたこのタイミングで全面リニューアルとなったのでしょうか。

 

室橋裕和(以下=室橋):前回の改定版(2017年7月刊)から5年以上経ち、コロナ禍が落ち着いて出入国制限が世界的に解除され、他社からも旅行ものの本が少しずつ刊行を再開しつつあった状況を見てのことかと思います。

 

──室橋さんは1998年の初版でもメインライターでした。当時と今とで大きく変わったことはなんですか。

 

室橋:なにもかもが変わっていると思います。日本や世界の国際情勢、経済状況、為替レート、インターネットの有無、日本人旅行者の数。

 本書ではおもにアジアを中心としたユーラシア大陸をメインにした旅のノウハウを紹介していますが、初版刊行時は行きにくい国が多かったですね。いま日本人旅行者に人気のカンボジアはまだまだ危険な国だったし、中央アジアはどこもビザ取得がやっかいでした。ベトナムやラオスも高額なビザが必要で、どこの国の在外公館なら安く取れるとかそういう情報を参考に旅をしていました。ネットの普及が始まったばかりの時代なので現地のニュースもつかみづらいし、まずは行ってみて出たとこ勝負でした。

 たとえるなら、世界地図に雲がかかっているところばかりで、現地になにがあるのか行ってみないとよくわからないという時代だったように思います。だからそこを手探りで歩いて、自分なりに解き明かしていく、雲を晴らしていく楽しさがあった。いまはネットの普及で世界地図はほぼすべてクリアになっています。

 それから、あの当時は気がつかなかったけれど、強い円を背景に旅させてもらっていたんだなあと、円安のいま改めて思います。あの頃とは変わって、90年代にバックパッカーが多かった途上国がどんどん経済成長して物価が上がり、それらの国から日本に観光旅行に来る人々が増える時代になっています。先日大阪の西成にある宿に泊まりましたが、タイ人やインドネシア人のバックパッカーがいて時代の変化を感じました。

 1998年当時はバブルの余韻がいくらか残っていたのか、いまほどの閉塞感がなかったからか、『深夜特急』(沢木耕太郎・著)の影響もあったでしょうが、日本人バックパッカーは本当に多かった。だから関連書籍もいろいろ出ていましたし、本書もそのムーブメントの中で刊行されたように思います。旅行関連の書籍もいろいろ出ていましたが、いまはSNSやYouTubeで旅の情報を集める時代になって、旅行記の類が激減したと思います。

 

──なるほど。では、逆に、変わらないことは?

 

室橋:旅をしたい、行ったことのない場所に行きたい、知らないものを知りたいというマインドは不変なのだろうと思います。いまの時代の日本人は内向きと言われますが、経済的状況から一時的にそうした好奇心が少しだけ減衰しているだけなのだろうと信じたいですね。

 それと媒体は移り変わっても、旅のことを発信したいという気持ちを持つ人はいつの時代も多いように思います。SNSで旅クラスタは大きなジャンルを形成しているし、ZINEもたくさん出ています。既存の出版社がそんなニーズを捉えきれず置き去りにされてしまった感もあります。

 

──大きく変わったところと変わらないところ、目配りが大変そうです。個人的には「必要なのは少しのお金とスマホと勇気!」というキャッチに時の流れを感じました。デジタル時代のバックパッカーにとって、やはりスマホは必需品でしょうか。

 

室橋:スマホでもなんでもいいのですが、ネットにつながった端末がないと旅がしにくい時代になっているかと思います。航空券、ホテルの予約から、現地のことを調べたり、現地で知り合った人とコミュニケーションを取ったり。あらゆる場面でネットが介在するようになりました。

 ネットを活用すれば、旅はきわめて快適にできる時代です。昔のように宿が見つからずさまよい歩いたりとか、鉄道のチケットを取るのに1日がかりで駅の大行列に並んだりとか、そういう苦労はなくなりました。いつでもどこでも日本のニュースがわかるし人とコミュニケーションもできる。楽になりすぎて、ちょっと手ごたえがなくなったような気もします。

 

──わかるような気がします。“one day one swing”なんて言葉もありましたね。「今日はもう郵便局行ったからいいや」とか「鉄道のチケットとったから終わり」とか(笑)。

 

室橋:本書でもネットを駆使してどうやって安宿を確保するのか、交通チケットの買い方、便利なアプリとかSNSの活用法、そもそも海外でスマホを使うにはどうしたらいいのか、根本的なところから詳しく解説しています。

 本書のライターには京都の宿のマネージャーもいるのですが、彼女の視点から見たホテル予約サイトの読み解き方やレビューをどう見るかなど、ネット上にあふれる情報をどうやって判別していくかという話にもかなりページを割いています。

 

──それはかなり有益な話です。他にはLCC活用術についてもページを割いていらっしゃいますね。

 

室橋:航空券の買い方は自分自身も模索しながらのところがあるので、詳しい書き手にノウハウを教えてもらいました。旅の予算の大部分を占めるのは航空券なので、やっぱり少しでもお得に買いたいですよね。

 それと本書では、今回も現役の旅行者の皆さんにアンケートを取って、それを掲載するほか全体の構成に反映させてもいるのですが、航空券の買い方についてもいろいろな意見があって面白かったです。

 

──一方で、旅に出る前の準備や現地のゲストハウス事情、リアルな旅行術、トラブル対処法などの情報は不変ですね。

 

室橋:心構えや現地での人との接し方という面ではいつの時代も同じなのだと思います。しかし、なにを持っていくかという準備面では大きく変わっています。SIMカードとか充電関連、各種コードとかデジタル系のガジェットが増えました。クレジットカードも必須で、できれば複数持ちなんて話も昔とは大きく違います。代わりにトラベラーズチェックがなくなったり、国際キャッシュカードが廃止になったりと不要になったものも多いです。ガイドブックはデジタル化したし、そもそも持っていかない人も増えました。

 ゲストハウスも様変わりしています。昔はとにかくオンボロだけど安いという宿ばかりでしたが、いまではどの国も値段が上がり快適な宿が中心です。ドミトリーも昔は雑居房のようでしたがいまは個々のベッドにカーテンやコンセントや鍵付きロッカーなどが完備でエアコンもあって、なかなか快適です。

 現地での旅行術でも、Googleマップの活用法などを考える時代です。こうした変化にも本書では触れています。

 

──旅のルートについて、定番の東南アジアやインド・ネパールだけではなく、中央アジアやコーカサス3国、東欧やバルカン半島まで紹介されているのが印象的です。

 

室橋:コーカサスや東欧、バルカンは実際に訪れる人が増えているので、それを反映させたかった。ジョージア在住でコーカサスにもバルカンにも詳しい小山のぶよさんに執筆をお願いしましたが、見どころがたくさんあり食文化も豊かで物価がまだ安く、魅力的な地域です。ほかにもアンケートに答えてくれた旅行者が何人もこのエリアの話をしてくれて、僕も感化されてしまいました。仕事抜きでいま行ってみたいのはジョージア、アルメニア、アルバニア、北マケドニアあたりですね。

 

──これは旅行ガイドとして正しい表現かわかりませんが、本書は「詳しく書きすぎないこと」を意識されているように感じました。

 

室橋:本書はあくまで入門書というか、旅のことをなにも知らない人がバックパッカー旅の空気やアウトラインをつかむための本なのだと思います。だから現地に持っていくガイドブックとは少し性格も役割も違うのかなと。観光地とか主要都市とか、各地の実践的な情報はカバーしきれませんし、そこはガイドブックにおまかせしています。本書はその前段階で読んでいただきたい本です。この本を読んで行き先を決めて、それからSNSやガイドブックでより深く調べていくという流れなのかなと。

 それに、情報は詳しいほど変化していく部分も多いです。その変化に紙媒体はついていけません。だから書籍に求められているのは情報の詳しさや多さ、速さではなく、たくさんある情報を正確にわかりやすく編集し、パッキングして届けることだと思います。そういう意味では詳しさよりも、情報を取捨選択してわかりやすく提示するという形に自然となっていったのかもしれません。

 

(後編)に続きます