国民的歌手だった祖母が生きた「きれいな世界」に私の居場所はなかった──。歩は祖母と比べられ「がっかり」されるのが嫌で、なるべく地味に暮らしていた。しかし運営するファッションブランドが経営困難に陥り、距離を置いていた親族に支援を乞うことに。そのときに出会ったモデルの穣司がブランドの立て直しを手伝うことになったが……。

 繊細な人間の感情を描くことに定評のある著者による、弱さを抱えた男女の成長物語が待望の文庫化! 「小説推理」2019年2月号に掲載された書評家・大矢博子さんのレビューで『珠玉』の読みどころをご紹介します。

 

珠玉

 

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■『珠玉』彩瀬まる 著  /大矢博子:評

 

自分の望む自分にも、他人の望む自分にもなれない──そんな時は立ち止まって考えてほしい。不器用なふたりと誇り高い真珠が織りなす「珠玉」の物語。

 

 たとえば、こうなりたい、こんな自分でありたいという理想に、現実の自分がどうしても追いつけないとき。あるいは、こうあるべきという他者の基準に、がんばって合わせようと足掻くとき。

 生きていると、人は皆、そのような事態によく出会う。理想に向かって努力することは素晴らしいし、他人に認められるというのも嬉しいものだ。だが往往にして、私たちは現実と理想の齟齬そごに疲れ果てる。目指すものを見失う。あきらめる。そして自分が持っていたはずの理想も、他者から与えられて受け入れていたはずの基準も、いつしか自分を縛りつける鎖へと変わってしまう。

 彩瀬まる『珠玉』は、そんな鎖に縛られて身動きがとれなくなったふたりが出会う物語である。

 真砂リズという不世出の歌姫の孫として生まれた真砂歩は、華やかだった祖母とは似ても似つかない、地味で平凡な娘だ。そのため美しい人と自分を比べ、どうしても卑屈になってしまう。友人と始めたアパレルブランドも、歩に愛想をつかした友人が出て行って開店休業。

 そんなときに出会ったのは、見目麗しいハーフのメンズモデル、穣司だった。その美貌を武器として使う穣司は歩にとって苦手なはずの存在だったが、穣司は半ば無理やり、歩の仕事を手伝い始める……。

 穣司もまた理想と現実の齟齬に思い悩むひとりなのだが、そんなふたりが、自分の目指すべきは何なのかを探っていく過程が読みどころ。自分が理想だと思っていたものは本当にそうなのか。自分を殺して他者に合わせることは本当に正しいのか。自分がゆるぎない自分でいるための基準は誰が決めるのか。強いメッセージが心を打つ。

 注目は、本書のもうひとりの語り手、キシだ。なんとリズの現役時代のお守りで、歩に譲られた真珠である。珍しい色の南洋の真珠で、その出自にプライドを持っている。そして模造真珠のカリンを見下しているのだが……。

 いやあ、このアイディアは面白い。キシはリズの人生を読者に伝える役割だが、同時に、自分とは何かという本書のテーマに深く切り込んでくる重要な存在でもある。終盤の展開には驚き、そして胸が熱くなった。真珠を語り手に据えたのはこういうことか、と溜息が出た。

 勇気が出る物語だ。自分の人生は他の誰でもない、自分が決めていいのだと背中を押してくれる物語だ。明日を見失ったとき、手に取りたい一冊である。