第 1 回

序――隠れ住んで花に真田が謡かな

 山をおりるぞ、と父に告げられた。

 まだ年若い彼にとって山とはすなわち〈この山〉であり、それを含めた一帯が〈高野山〉と呼ばれていることを知ってはいたが、それは肝要ではない。大事なのは〈この山〉をおりると決まったことだ。

 すなわち、彼ら親子は一族郎党をひきいて〈御城おしろ〉にむかうのだ。そして〈関東〉の軍門に降った恩知らずの武家どもと戦い、これらを平らげ、〈殿下〉の輝かしき御代の魁となるのだ。そのようにすべては定められているのだ……彼が〈この山〉で、この家に、生まれ落ちた時から。

 が。

 どういうわけか、父は、つづけて、

 ――大助よ。もしも九度山に残りたくば、それでもよいぞ。いや、残るならば蓮華定院れんげじょういんのほうがよかろう。われら一族との縁もある。きっとおまえを引き取ってくれよう。頭をまるめて読経の日々だ。悪くあるまい。

 などと言い出した。

 彼は驚いて、はげしく首を振った。

 ――父上! わたくしがこれまで〈この山〉で鍛錬を重ねて参りましたのは、ひとえに、いつか〈御城〉にあがらんがため、そして〈殿下〉に拝謁をたまわり、その御ために戦い、この一命を捧げんがためにござります……わたくしの決心をないがしろにするようなお言葉、たとえ父上でも聞き逃すわけには参りませぬ!

 ――ふうむ、そうか(と父はつぶやいた)。いくさに命を捧げるか。

 ――もちろんでござります。

 ――大助よ。いくさとは生き残ることだ。すくなくとも我ら真田の家のいくさは、な。

 ――気構えのことを申しているのです、わたくしは。

 ――そうか。ふうむ。いくさに詳しいのだなあ、おまえは。

 というのは、もちろん父ならではの皮肉で、しかし、どこか楽しげな……まるで極上の酒でも味わうような口ぶりに、息子を問いつめる気配はかけらもなかった。まだ少年である彼が、いくさの何を知っているわけでもないことは、どちらも重々承知だった。

 それどころか、〈外〉そのものを。

 少年は〈この山〉で生まれた。十四年前のことだ。そして、一度たりとも〈外〉を見たことがなかった。

〈この山〉は〈高野山〉の北の麓にあった。

 といっても、〈高野〉の広さ、大きさにくらべれば、〈この山〉は物の数ではなかった。〈高野〉を掌とするならば〈この山〉は小指の爪に挟まった胡麻の一粒にすぎなかった。〈高野〉は高く、寒く、厳しかった。樹々はどこまでも聳え、川はあちこちで激しく飛沫をあげ、道はひたすらに暗く、獣と鳥が深いふかい声を交わし続けた。

 そして彼にとって、その〈高野山〉ですら〈外〉ではなかった。

〈外〉はもっと広いのだ、と彼は聞かされていた。父から、亡くなった祖父から、そして年を経るたびに少なくなってゆく老いた家臣たちから。

 幼い頃から、それこそ思い出せるよりもはるかに昔から、少年は〈外〉の広さを想いながら、〈高野山〉のあちこちを自在に駆けめぐった。

 もちろん、見張りもいた。

 あの〈浅野〉の家中だ。

〈高野山〉を取り巻く一帯は、ぐるりと〈浅野〉の所領で、今のあるじは〈長晟ながあきら〉というらしかった。〈御城〉の若君すなわち〈殿下〉を見捨てて、〈関東〉に寝返った、武家の風上にもおけぬ奴ばらの一人だ。

 見張りどもの目を盗み、裏をかき、こちらの気配を消して、すばやく動くわざを、少年はいつのまにか身につけた。枝から枝へ、陰から陰へ、四季の変わり目ごとに〈高野〉を行き来するましらの群れさながら、少年は駆けた。出ようと思えば、〈外〉へも出ることはできたに違いない。が、それだけは父にかたく止められていた。山をおりてはならぬ、と父は常に彼に告げた。そのときは必ずおとずれる。それまでおりてはならぬ、と。

 やがて――少年の祖父が没すると、見張りどもは、ほとんど姿を見せなくなった。たまに現れても、ひどく呑気に、大きな物音を立てつつ〈この山〉にむかう一本道を、物見遊山のように一列となって登ってくる。それどころか、困ったような薄笑いをうかべながら、父の小さな屋敷に干し魚の束を運んできたり、〈信州〉から届いたという書状を手渡したりもしたのだ。

 つまり〈関東〉がおそれ憎んでいたのは彼の祖父ただひとりであったらしい。少年のそんな合点を父に告げると、

 ――ふうむ。まあ、そうだろうな。親爺さまに……あの真田安房守殿にくらべたらば、わたしなんぞは、ただの付け足しだ。これまでいくさに出たのも、たった二度にすぎぬのだし。

 そんなふうに、くすくすと笑うのみだった。

 そのたった二度の戦いが、二度とも、〈関東〉の首魁である〈徳川〉を相手取って、しかもこちらの勝ちであったことを、父は自慢するそぶりもなかった。

 それが少年にはひどく誇らしく、同時に、なんとも歯痒かった。

〈この山〉をおりることになったきっかけは、数日前におとずれた密使だった。

 森だか毛利だか、名を名乗るにもひどく小さな声だった。〈高野〉の修験者の風体をして、しかし父の屋形に上がりこむなり、人払いを、と言い出したので、家臣たちは少しばかり腹を立てたようだった。もっとも、その数はほんの数名にすぎなかったのだが。

 少年もまた、当然ながら、「人払い」された側だった。が、老臣たちが廊下の障子にへばりつくようにして耳をそばだてたのを尻目に、彼は物音一つたてずに天井裏へとすべりこんだ。まもなく廊下の老人たちが父の苦笑まじりの一言で追い払われ、屋形の中はひどく静かになった。少年は細い隙間から、小さな板張りの部屋を覗き下ろした。真下の父は、天井裏の彼には気づいたそぶりもなかった。これも〈浅野〉の見張りどもとの追いかけっこのおかげだな、と彼は生まれて初めて、あの恩知らずどもを有り難く感じた。

 父たちの交わす言葉は聞こえなかった。わずかに少年の目に映ったのは、密使の差し出す黄金こがねの塊と、さほど長くない書状と、十文字の紋が入った脇差だった。

 はて、あれはどこの家の紋だろう、と彼は首をかしげた。あとで誰かに聞いてみよう。

 それにしても、いかにして山をおりるのか、少年には見当もつかなかった。数年前より減ったとはいえ、見張りがいなくなったわけではない。しかもまわりは〈浅野〉の領地ばかりだ。

 〈この山〉の北には大きな〈河〉が流れているが、もちろんここも見張られているだろうし、渡し場までは一本道だ。まさか川面を走って渡るわけにもいくまい。

 身支度を終えてから、そのことを口にすると、父は、大きな声で笑って、

 ――むつかしく考えるな。おまえの悪い癖だ。

 ――ですが、しかし。あの〈長晟〉めが。

 ――ふふ。その長晟殿が、しぶしぶながら、われらの下山と入城を見送ってくださるのだぞ。なんなら、挨拶の一つもしてゆくか、大助よ。

 ……種明かしは、こうだった。

 〈浅野〉は今でこそ〈関東〉についてはいるが、長きにわたって豊臣の権を支えた一族だった。この紀州も、〈長晟〉の前は〈長政〉の統べる土地だった。すなわち、すべては〈殿下〉の父君にあらせられる〈太閤殿下〉の御威光のもとにあった。

 この地に棲む民草は、それを忘れてはいない。

 それ以上に、〈関東〉の風下に立つのを善しとはしていない。

 民の心は、変わっていなかった。変わらぬものだった。〈高野〉の峰々が古より形を変えぬように。樹々が変わらずそこに聳えているように。

 つまり……たとえ当代の領主が一時ひととき〈関東〉になびこうとも、民草までがそれにしたがう謂われはないのだし、そうした民の意を根こそぎ無きものとすることなど、〈浅野〉はもちろん〈徳川〉といえども出来はしない。武家は、そこまで強いものではないのだ。

 ――では、わたくしたちは……。

 ――堂々と、粛々と、山をおりるのだよ。明日の夜明けと共に。近在の者らに見送られてな。

 かくして。……

 朝靄の中、戦装束をまとい、手綱をとり、ひやりとした向かい風を左右に割くようにして、十四歳の少年は、父・真田左衛門佐信繁と共に、数少ない郎党をひきいて、北へと駈けた。

 不思議な縁というべきか――二人とも、すぐに名前が変わった。

 少年は、真田大助から幸昌へと名乗りをあらため、父のほうは、真田幸村として、のちの世に永く知られることになった。

 ……そして二人とも、九度山に生きて帰ることは二度となかった。

(つづく)