厳しくも温かい言葉で悩める人間の心を癒してきた喫茶店『珈琲屋』の主・行介。 シリーズ5作目となる本書でも、様々な苦しみから人々を解き放していく。

 男性の前でつい自分の年齢を若く伝えてしまった女性……その顛末は? 軽い気持ちで喫茶店を開いた落ちぶれたホスト……その本心とは? シリーズを通して描かれてきた、行介と冬子の恋の行方も見逃せない、好評シリーズの最新刊がオリジナル文庫で登場。

「小説推理」2022年11月号に掲載された書評家・吉田伸子さんのレビューで『珈琲屋の人々 心もよう』の読みどころをご紹介する。

 

珈琲屋の人々 心もよう

 

■『珈琲屋の人々 心もよう』池永陽  /吉田伸子:評

 

『珈琲屋』シリーズ第5作。服役中に知り合った行介を「兄貴」と慕う青年・順平が背負っていた過去とは。冬子と行介、二人の愛の行方は……。

 

 総武線沿線の商店街にある、レトロ感漂う喫茶店『珈琲屋』。店主は、かつてある事情から人を殺め、服役していた過去を持つ宗田行介。「珈琲屋シリーズ」は、この行介の店を訪れる人々のドラマを縦糸に、行介と幼馴染である「蕎麦処・辻井」の冬子、二人の愛の行方を横糸にして描かれていて、本書はシリーズ第5作。ファンにとってはお待ちかねの最新作でもある。

 冬子と同じく行介の幼馴染であり、商店街で「アルル」という洋品店を営む島木。刑期を務め終えた行介を、以前と変わらない態度で受け入れたのは、この島木と冬子の二人だけで、『珈琲屋』の常連であり、シリーズのレギュラーでもある。

『珈琲屋』にやって来るのは、みな心のどこかに何かを抱えている人々だ。重く切実なその“何か”と向き合うため、ふんぎりのつかない自分の覚悟を決めるために、彼らは“人殺し”である行介の店にやって来る。

 そんな彼らに、行介は黙って熱々の珈琲を差し出す。彼らがなんのために自分の店にやって来たのかは、行介が一番よく分かっている。彼らは本当は踏みとどまりたいのだ、ということを。行介が踏み越えてしまった一線の向こう側ではなく、ぎりぎりで持ち堪えているこちら側にいたいのだ、ということを。

 本書では、冒頭の1編「それから」に登場する順平と、過去シリーズにも登場した、曰く付きのおでん屋を新たに再開した理央子、この二人が物語全体のキーパーソンだ。順平は暴行傷害の罪で服役中に行介と知り合い、行介を「兄貴」と慕っていた青年だった。その順平が行介と同じ町に職を得て、『珈琲屋』のある商店街に引っ越して来たことから、物語は回り始める。

 池永さんの物語巧者ぶりは、本書でも随所にあらわれているのだが、なかでも順平と理央子、行介と冬子という2組を対比させているところが絶妙だ。本書では、とある場面での冬子のこんな台詞が切なく響く。「恋心は冷めますが、執着心を覚ますことはなかなかできません。言い換えれば呪いのようなもので、尋常一様のものではありません」

 呪いのようなもの、と口にする冬子の、その淋しい横顔と、その哀切な響きに、それでも応えてやれない行介の悲しげな口元が浮かび上がって来る。

 ざわざわとした余韻を残すラストまで、じっくりと味わいたい一冊だ。